2016年3月3日に岡山市に出した「婚姻届」が不受理になって以来、4つの裁判をしてきました。全て負けました。約3年もの年月を棒に振ってしまいました。妻の子が小学校に入学するタイミングで田舎に越してきて、もう3年生になりました。着実に、新しい生活が進んでいます。そして実はこの期間にこそ、私たち自称「家族」はあるシンプルな法則に気がついたのです。世間が認める、認めないに関係なく、私たちがお互いを必要として、理解しあって、助け合って、学び成長し続けることが、私たちの生きる土台を揺らがないものにしてくれるということです。そんな濃い時間を一緒に過ごして社会に飛び出す準備をさせてくれる場所が「家族」っていうものかなと思っています。いちばん近い人間関係を1つずつ丁寧に紡いでいたら、相対的に社会との絆も深まるというフラクタル現象が起こるようですし。長い裁判にようやく決着がつき、結局私たち家族は同じ状況に置かれています。でも、もう私たちは「前と同じ」ではありません…。
世間様からは好き勝手なことを言われていました。けれども、私はこれから来る「未来の日本」を見ていました。2012年にアルゼンチンが「性別&結婚自由」のジェンダー・アイデンティティ法を作ってからは、私の確信は全く揺らがなくなりました。だって、国境を超えれば私たちが生きたいように生きられる国はあるんですから。地球に生まれ落ちた一人の人間として、国家の枠組みに囚われて窮屈な思いをするのは「もったいない!」せっかくはるばる地球まで旅しに来たのに、日本という小さな国のルールだけに縛られて自由意志や行動を制限されるなんてとんでもない「機会損失」をしています。
あれ、どうして日本人はみんな頭カタイんだろ? どうして自分の信念じゃなく、制度に寄せて我慢してるんだろう? 好きなように生きていいんだよ。自分の人生なのに、なんで他人の価値観に預けてんのかな? あぁ、世界の情報が入って来てないんだ。ただの無知でこれからどうなるか、読めないだけなんだ…。
だから「話せば分かる!」そう思って、裸になってyoutubeを配信しました。胸出し、顔出し、名前も住所も電話番号まで公開して、ヤケクソでした。ただの家裁案件が思いの外、全国区のニュースに流れてしまい、注目する人が増えました。誹謗・中傷も増えました。それで分かったのは「話しても伝わらない」ということでした。どれだけ丁寧に伝えても、受け手のステージや世界観によって、世の中の見え方が全く違うのです。未来には当たり前の「スタンダード」を語りかけても、視力が弱い人にしてみれば「チンプンカンプン」な「馬鹿野郎のたわごと」で終わりです。しかし私はまだ40代、100年時代の半分も生きてません。まだ青い未熟者なわけですから、世間様の半分以上は人生の先達です。そう、賛同者もそれを増す勢いで膨らみ続け、心励まされています。特に地元で! やっぱり私たち家族がどう生きているかを「生」で見ている人は「拒み」ようがありません。目の前で、息をし、動き、笑っているんですから。「存在」していることをスッと受け入れます。そして、耳を傾けてくれます。みんなと同じ一人間だと理解してくれます。岡山はトランスジェンダーの聖地だと思ってます。ウェルカミングアウトな場所で暮らせることは幸せです。
岡山ではまだレインボーパレードも、パートナーシップ条例もありません(2019年2月現在)。裏を返せば、ありのままで社会に馴染んで生きていける「場」と「市民権」を育む土壌があると言えるのかもしれません。私は顔の見える人口1000人いない小さな村に住んでいますが、生活上、不都合とか差別をまったく感じません。分からないこと、疑問に思うこと、困ることは、面と向かって話してくれますし、風の噂に乗って私のところへ必ず届きます。実にお互い何を考えていてどうしたいのかがよく分かります。「対話」(時にケンカ)がある健全なコミュニティです。だから調整しやすいし、問題も解決するので、調和を保ちやすいんです。
私はすでに外国にそういう生き方があることを知っていました。そしてそういう生き方、信念を貫ける方法を探そうともがいていました。ガラスのコップの中に閉じ込められたノミは頭打ちを繰り返すとやがて、コップを取り除いてもそれ以上の高さを飛ばなくなります。本当は、すごいジャンプ力があるのに。その跳躍力を取り戻す簡単な方法は、そのノミの近くに「普通」のノミを置いてやることだそうです。するとそれを見たノミは、本来の姿・能力を取り戻してピョンピョン飛べるようになります。日本の常識にどっぷり浸かっていると、それが「絶対」かのような錯覚をしてしまいます。でも軸をいろいろ変えながらメタして眺めてみると「公理」がその都度変化すると気づけます。そして自分がどう生きたいのか、生まれた使命をどのポジションに見出したらいいのか、しっくりしてきます。
遅咲きながら5年ちょっと前に、40歳の誕生日にカミングアウトをしました。それまでは、正直なところビビりまくりでした。隠れキリシタンのような生きかたでした。自分が認められるとも、理解されるとも思っていません。周りも私のことをどう扱ってあげていいのか分かりませんから、お互い空気を読みあい、距離を取り、ごまかしごまかしやってきました。時に傷ついたり傷つけたりして、リラックスした人間関係ではありませんでした。常にヴェールをかぶったような怪しげな雰囲気をまとい、自分を脅かすパーソナルスペースにまで入ってくることを許しませんでした。ところがカミングアウトをしたところ、あっさり世間から受け入れられる経験をしました。ありゃ。今まで自分は「逆差別」をしていた。勝手に一人で「世間はこう思っているはず!」と決めつけて、その歪んだイメージの中でウジウジしていただけだったんだ。目が開かれました。周りの優しい眼差しに居場所を見つけました。でも同時に、自分が情けなかったんです。なんという時間の無駄、精神ダメージの浪費をやってきちまったんだ! 自分らしく生きることを否定する人なんて誰もいなかったのに…。そんなことがあって「自分をさらけ出す」ことを恐れているのは、社会ではなく紛れもなく自分自身なんだと受け入れることができました。
田舎暮らしなので、生活っぷりも情報も、頭の中の思考回路までほぼ筒抜けです。まるでガラスの家に住んでいるようなものです。だから余計に周りの人たちは、私が何者なのか手に取るように「見える(可視化)」のです。ある日突然「男」として生きるようになり、やがて家族を持ち、パパとして夫としてコミュニティで当たり前のような顔をして生きています。多少、価値観がそぐわないところや理解できないところもあるはずです。もちろん戸籍的には前となんら変わっていません。でも(お互い顔が見える)田舎が面白いのは、見ているのは「制度」とかそんなところじゃなくて、実際問題リアルでこの人はどうなのかっていうところです。戸籍なんかでこの人の素性を確認しなくても、生きている姿を見たり、話を交わしたりすれば分かってくれるという。
「この前新聞に出とったな。」「世の中には同じような人もたくさんおるんじゃな。知らんかっただけなんじゃなぁ。」「手術したい人はすりゃぁええし、したくない人はせんでええと思う。」「お父さんなんじゃけぇ、しっかりやりんさいよ。」近所の人が思ってることをちゃんと話してくれます。手作りの野菜や漬物を持たせてくれ、夕食をご馳走になり、子どもを預けたり、家族みたいなもんです。それが可能なのは、関係性が透明で、かつ近いからです。お互いどんな人かをよく分かっている。個と個がちゃんと交流しあっているんです。私のケースは、家族や地域という土台がしっかりと自分を受け止めてくれたことがとても大きかったと言えます。だから世の中のルールはルールであるにせよ、それでも自己の信念&あり方を貫くことが幸せでいられる秘訣なんだという勇気と実感を持てました。そこで隣に誰が住んでいるかよく分からないような都会の喧騒の中でも、同じことをやるのは可能でしょうが、どこかお互いに不安感が拭えないかもしれません。少なくとも自分のことを受け入れてくれる家族のような「土台」となるコミュニティは、身近な住環境の外に求めざるを得ないかもしれません。
ただ1つの存在(あなたの使命)を生きることが、結果的に個人レベル、国家レベル、宇宙レベルで『最大のパフォーマンス』を引っ張り出します。それが本当だということを証明したいですし、ユニークな存在の掛け合わせが『創発』を起こすモデル・コミュニティをネット上で試みてみたいと思います。ざっくりいうと、ファミリー・オフィス的なゆるい繋がりが欲しいんです。知識や資産を共有して、知恵を継承する家族のような共同体です。たかきーとワールドも全開します。多少うざいかも。たかきーと【ENTP】を形作っている『感覚・感情・思考・直感』を開けっぴろげに提供します。そしてよりよい世界を作り出すクリエイト・チーム(後述)を作っていきます。
というのも、最高裁が終わり、これでやっと建前で話さなくても良くなりました。際どい本音が言えるようになりました。裁判の過程では、私自身人間も表現力も未熟で色々な方面に迷惑をかけてしまったこともあります。だから、誤解されて不理解や拒絶へ傾いたり、揚げ足を取られたりしないよう、細心の注意を払って言葉を選ぶようになりました。それまでは話せば分かると思って、情報発信にもエネルギーを注いでいたのですが、世の中にはいろんな価値観、世代、ステージの人が混在していて、全ての人にはメッセージが通じないことも知りました。ステージが違う一部のグループからは「わがままなタワゴト」を言うクレイジーな危険分子と警戒されていた節もあり、悔しかったのですが、ずっと沈黙を貫いてきました。その分、いちばん身近で自分のことを等身大で見て、知っている「家族」と向き合ってきたわけです。足元を固めることが、結果、誠意が自ずと伝わる「波動」を生み出すのだなと感じています。もう口で物を言ったりしなくてもいいレベルで。
最高裁が終わって地元テレビ局が特集を組んでくれた時に、数少ない友達の1人がfacebookでこんな風に私のことを紹介してくれました。何が嬉しかったかって、七転八倒しながらも信念を貫き誠実に生きようとしてもがいている自分の姿を、ちゃんと見てくれている人がいるんだなという希望です。もしも世界中がみんな敵だったとしても、たった1人自分の味方がいたら、どんだけ勇気をもらえるか。最後の力を振り絞って、命を賭けて立ち上がる価値があるってもんです。
「常に、文字通りの意味で自分をさらけだし、
ひとにたいしても、社会に対しても(!)向き合っている
で、それが全部、愛から来てるのではないかと
たかきーとを見ていて思うのです
あ、偉人的な「愛の人」的なとはちょっとちがって
いつも等身大で(そこが偉大なのかも?!)
最強のパートナー幸さんと息子ちゃんと、
なんだかハチャメチャなハッピーライフを楽しんでいて。
愛をもって堂々と社会と向き合うたかきーとを尊敬しています。
短い動画です。ぜひ最後までご覧ください。」
結果は棄却でしたが、裁判官2人よる補足意見(http://bit.ly/08827_hanrei)が素晴らしい内容でした。法律家の先生の中にもこれを見て涙を流した人が多数いたと聞いています。もちろん私も泣けました。愛のある一言一言に「理解された」気持ちになり、今まで1人で抱えていた重荷が吹き飛びました。
「性同一性障害者の性別に関する苦痛は,性自認の多様性を包容すべき社会の側の問題でもある。その意味で,本件規定に関する問題を含め,性同一性障害者を取り 巻く様々な問題について,更に広く理解が深まるとともに,一人ひとりの人格と個 性の尊重という観点から各所において適切な対応がされることを望むものである。」
先日関西圏に行く機会がありました。この裁判に勇気をもらっている人がたくさんいるということを教えてもらいました。この裁判をずっと追いかけ続け、私が声を上げたことに感謝しながら応援してくれていた人がいっぱいいたと知りました。私は中国山地のど田舎に住んでいるし、周りにも当事者が少ないので、世間の声とか裁判がもたらした意義を認識しきってなかったようです。
今までは頭のおかしい人が勝手なことを言って社会を錯乱していると糾弾されていたのに、蓋を開けてみると、最高裁の裁判官みずから「社会の側の問題でもある」と心強いメッセージを送ってくれました。結果については今の時点では仕方ありません。とはいえ、私が一貫して主張きたことへ一定の理解を示してくれたことは大きな意味を持っています。
1に、何も力も持たないただの1個人であっても、現実を正しく認識し、時代の動きをメタした思考ができれば、あなたの主張に共感してくれる時代を作り出せるということです。
2に、家裁、高裁、世論から支持されてこなかったというのは、引き出したかった結果とは関係なかったということです。誰から認めてもらえるかの数じゃなく、誰に認めてもらいたいかなんです。残念ながら一定割合で不理解層は常に存在します。たとえ数は少なくてもコアな理解者と、深く濃い人間関係を構築し、思い切って使命に生きた方がよっぽど人生が充実します。全ての人から好かれたい、理解されたいとは思っていません。価値観が共鳴する『波動』を持ったあなたと繋がれたら、少人数でもきっといい世界を『創発』できると思っています。あなたの視点&力(リソース)を貸してください。
3に、私は決して変ちくりんなことを言っていたのではなかったということです。むしろまだ世間が気がついていなかったことを「可視化」させただけです。一度「見える」ようになれば、それが常識に変わります。そんな社会の価値観のパラダイムシフトを体験できました。社会が変わる流れがなんとなくですが、つかめました。他の人が見ていない視点、知らない情報、世界を縦横無尽して集めた知識、経験、アイデアもたくさんあります。今回の最高裁の経験も、大きな糧となりました。
実は最高裁の棄却が出た時は、日本ではやりきったな、もう自分のお役目は終わったなと胸をなで下ろしていたんです。いい結果も引き出せたし、これ以上訴えていくところはないし。だけど、最高裁棄却決定に対する海外の痛烈批判の報道を見ていて自分の認識は甘かったと思い直しました。「日本は野蛮、遅れてる、人権無視!」そんな意見を目にするたびに、日本がこのままでいいはずがないと心を痛めました。私は立ち上がります。
マイノリティだからとか、マイノリティのためにだけじゃなくて、この地上に同じ時代を共に生きる仲間として思うことがあります。この世界をもっと生きやすくするには一人一人がまず「自分で在る」ことが先です。その後、個性がくたばらないような場所を社会全体でクリエイトしていけば、時代は確実に変わるんです。そういう順番です。そのために、一人一人が「ユニークでいい」ということを意識して、自分を抑えたりせずに自分に許可を出して生きてみることです。誰かのせいにしたりせずに『自己責任』で動き出しましょう!
私も「ネクスト・ステージへ!」挑戦し続けることをここに宣言します。
・このプロジェクトは、ファンクラブ方式(定額課金制)です。
・入会申請後、メールでFacebookグループへの参加手順をご連絡します。
お手数ですが「購入画面」をスクリーンショットし画像を保存しておいてください。
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