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英国王室とイギリス国教会

2020/12/11

イギリスの宗教改革はヘンリ8世の離婚問題から

イギリス国教会が成立した経緯をみると、そもそもは、ヘンリ8世の離婚問題からなんです。
当時、ドイツにおいて民衆の間から起こった宗教改革ですが、イギリスの場合は国王によって始まりました。
ヘンリ8世は、亡くなった兄の奥さんと結婚するにあたりローマ・カトリック教皇の許可がいるのですが、本来認められなかった結婚を、政治がらみ、金がらみで無理やり許可をもらいます。
ところが、女の子しか生まれなかったのと、別に好きな女性ができてしまい、
ヘンリ8世「やっぱ、今の奥さん(兄の嫁)とは離婚するわ!」
ローマ教皇「そんな離婚認められない!破門じゃ!」
となって、
ヘンリ8世「じゃ、いいよ。イギリスは、イギリスで新しいキリスト教にするわ、ほんでもって国王が一番上の位にするね」※もっと品の良い言い方とは思いますが、、^^;)

すごくざっくりと軽い言い方ですが、英国国教会ができたのです。
その後、ヘンリ8世のそれぞれの子供たちが内容を整え、今はローマ・カトリックとは全く独立した形で、独自のキリスト教となっています。
エドワード6世:国教会の教義、制度を整備
メアリー1世:旦那がスペインの皇太子でカトリックだったため、一時的にカトリックを復活させ、プロテスタントの信者を弾圧、処刑しました。でも6年でおわりました。
エリザベス1世:イングランド国教会の確立。完全にローマ・カトリックを排除しました。国王が英国教会の頂点になります。

その後、これと対立するピューリタンがメイフラワー号でアメリカに渡り、新天地をもとめました。
そして、現在においては、戴冠式には英国教会の司教が執り行います。

 
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