健康な食事を毎日考えるの、大変すぎません?
健康な食事を毎日考えるの、大変すぎません? え? 私だけ? 嘘だと言ってよ。
朝起きて、寝ぼけ眼でまず思う。「今日の朝ごはん、何にしよう…」。
パン? ごはん? いや、タンパク質も摂らなきゃ。卵? ヨーグルト? ああ、でも野菜も…。
そんなことを考えているうちに時間は過ぎて、結局いつもと同じトーストをかじりながら、罪悪感だけをトッピングして家を飛び出す。
昼は昼で、会社の近くのランチはだいたい茶色いし。
「健康のため!」とか言って手作り弁当を持参してる同僚の女子力に、心の中で白目を剥く。
すごいよ、あなたは。本当にすごい。でもね、私には無理なんだ。前日の夜に、明日の弁当のおかずまで考える余裕なんて、ない。1ミリもない。
そしてやってくる、ラスボス、夕食。
仕事でクタクタ、人間関係でズタボロになった心と体を引きずってスーパーに寄る。
そこで始まる「健康」と「欲望」と「現実(財布の中身)」の三つ巴の戦い。
ああ、もう考えたくない! 今すぐポテトチップスを抱きしめて、コーラで流し込みたい!
でも、頭の片隅で誰かが囁くんだよね。
「ちゃんと食べなきゃ、ダメだよ」って。
うるさーーーい!
…と、まあ、こんな感じで毎日、脳内会議と自己嫌悪を繰り返している、そこのあなたへ。
大丈夫。仲間はここにいます。
これは、そんなあなたの心を少しでも軽くするための、お守りみたいな記事です。
完璧なレシピも、画期的な時短術も出てきません。
ただ、「わかる、わかるよ!」って、あなたの肩をぶんぶん揺さぶりたいだけ。
そんな、心の叫びです。
目次
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なぜ私たちは「健康な食事」という呪いにかかってしまうのか
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スーパーは戦場だ。カゴの中身は、私の罪悪感の塊。
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キラキラSNSごはんが、私を殴ってくる件について
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もう頑張らない!「これでいいや教」へようこそ
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結論:健康って、たぶん心の平穏のことなんだと思う
1. なぜ私たちは「健康な食事」という呪いにかかってしまうのか
そもそもですよ。
なんでこんなに「健康的な食事」に縛られなきゃいけないんでしょうね?
テレビをつければ健康番組。雑誌をめくれば特集記事。ネットを開けば「これを食べろ」「あれは食べるな」の大合唱。
まるで、健康的な食事をしていない人間は、社会人失格、いや、人間失格みたいな空気感。
怖すぎる。
「一汁三菜」って言葉、あるじゃないですか。
考えた人、誰ですかね? ちょっと話がしたい。
いや、素晴らしい文化ですよ、わかってます。バランスが取れてて、理想的。
でも、それは毎日時間に追われず、丁寧に暮らしを営める人の話であって…!
こっちは仕事のメールに返信しながら、子どもの宿題を見て、たまった洗濯物を横目に見て見ぬふりして、やっとキッチンに立ってるんですよ。
そこから、主食、主菜、副菜、汁物…?
冗談でしょ?
聖母マリアじゃないんだから、そんなこと毎日できるわけないじゃん!
昔、一度だけ奮起したことがあるんです。
「私も丁寧な暮らし、してみようかな…」なんて、魔が差したんですね。
土曜の朝に早起きして、常備菜ってやつを作ってみたんです。きんぴらごぼう、ひじきの煮物、ほうれん草のおひたし。
キッチンは戦場のようになり、半日潰れました。
出来上がったのは、小さなタッパー数個分の、地味な色の惣菜たち。
「これで平日が楽になる…!」
そう信じてました。
月曜、火曜はよかった。お弁当に詰めたり、夕飯に一品足したりして、「私、えらい!」って自己肯定感も爆上がり。
でも、水曜日あたりから、もう飽きる。
木曜日には、冷蔵庫の奥で見るのも嫌になる。
金曜日、気づいたらちょっと傷んでて、泣く泣く捨てることに…。
あの時の虚しさ、わかります?
時間と労力と食材を無駄にした、あの絶望感。
もう二度とやるもんか、と心に誓いました。
結局、私たちを苦しめているのって、「こうあるべき」っていう強すぎる理想像なんですよね。
誰かが作った完璧なモデルに、自分を当てはめようとするからしんどい。
でも、あなたの生活は、あなたのもの。
テレビの中の女優さんとも、SNSのキラキラ主婦とも、違うんです。
当たり前だよね。
だからまず、その呪いを解くことから始めませんか?
「毎日完璧な食事なんて、そもそも無理ゲーである」と。
声に出して言ってみましょう。せーのっ。
「無理ゲー!」
うん、ちょっとスッキリした。たぶん。
2. スーパーは戦場だ。カゴの中身は、私の罪悪感の塊。
仕事帰りのスーパーほど、精神を削られる場所はない。
あの独特の、ちょっと寒い空気。延々と流れる陽気なBGM。
それが逆に、私の疲労感を際立たせるんですよ。
まず野菜コーナーで、意識の高い自分を演じます。
「うんうん、緑黄色野菜は大事よね」とか言いながら、ほうれん草をカゴに入れる。
トマトも彩りにいいわね、なんて。
この時点では、まだ心は穏やか。むしろ「今日の私、イケてる」くらいに思ってる。
でも、その足でお肉・お魚コーナーへ向かうあたりから、雲行きが怪しくなる。
「国産のお肉は高いな…」「あ、こっちの外国産、半額だ…」
「お刺身食べたいけど、これだけじゃお腹いっぱいにならないし…」
「ああ、もう考えるの面倒くさい!ひき肉でいいや!ひき肉なら何にでもなるし!」
思考がだんだん、雑になっていくのがわかります。
そして、最大の魔境、惣菜コーナーと冷凍食品コーナーが待ち構えている。
キラキラと輝く唐揚げ、コロッケ、天ぷら…。
「チンするだけ」で完成する、魅惑の冷凍パスタやチャーハン…。
カゴの中のほうれん草が、私に問いかけてくる気がするんです。
「私を買った時のあの志は、どこへ行ったのですか?」と。
ごめん、ほうれん草。
今日の私には、君を美味しく調理してあげる気力は残っていないんだ。
結局、カゴの中はこうなります。
・罪悪感を打ち消すための、申し訳程度の野菜(サラダとか)
・調理が楽そうな、特売の肉か魚
・豆腐(なんかヘルシーな気がするから)
・そして、誘惑に負けてこっそり入れた、割引シールが貼られたカツ丼とか、菓子パン。
レジに並びながら、前の人のカゴをチラ見して、また勝手に落ち込む。
「うわ、あの人、ちゃんと野菜いっぱい買ってる…偉い…」
「それに比べて私のカゴ、茶色いな…」
もうね、買い物に行くだけでHPがゼロですよ。
家に帰る頃には、もう何かを作る気力なんて残っちゃいない。
で、結局、買ってきたカツ丼を食べる、と。
じゃあ、ほうれん草、なんで買ったの?
…明日使うから。うん、たぶん。
この無限ループ、いつまで続くんでしょうかねえ。え?
3. キラキラSNSごはんが、私を殴ってくる件について
メンタルが弱っている時に、インスタグラムを開いてはいけない。
これは、現代を生きる我々の鉄則です。
わかっているのに、見ちゃうんですよね。
そして、見事に打ちのめされる。
#おうちごはん #丁寧な暮らし #ヘルシーメニュー
ああ、もう、そのハッシュタグやめて!
画面に並ぶのは、カフェもびっくりのワンプレートランチ。
彩り豊かで、栄養バランスも完璧そうで、何より、器がオシャレ。
木のお皿とか、豆皿とか、可愛いカトラリーとか。
うちの食卓、見てほしい。
ニトリで買った白い皿(一部欠けてる)に、茶色い炒め物がドン!ですからね。
ランチョンマット?そんな文明、我が家には伝来しておりません。
あのキラキラごはんをアップしている人たちって、一体何者なんですか?
本当に毎日あんなもの食べてるの?
そのパプリカのマリネ、いつ作ったの?
その謎の葉っぱ(ディルとか、そういうやつ)は、どこで買ってるの?
そして、その写真を撮るために、一体どれだけの時間をかけてるの?
料理して、盛り付けて、自然光が入るベストポジションを探して、何枚も写真を撮って、加工して、ハッシュタグ考えて…。
食べる頃には、冷めてるんじゃない?
なんて、ひがみ根性丸出しで悪態をつきながらも、心のどこかで憧れてる自分もいるから、タチが悪い。
一回だけ、真似してみようと思ったことがあるんですよ。
アボカドとサーモンのポキ丼。なんかオシャレじゃないですか。
わざわざアボカドを買ってきて、いい感じの熟れ具合になるのを待って(これがまず難しい)、いざ作ろうとしたら、なんか黒くなってるし。
結局、ぐちゃぐちゃに混ぜて、醤油をかけて、わさびで食べました。
見た目は最悪だったけど、味はまあまあ美味かった。
でも、写真は撮れなかった。インスタにはあげられない、そんな見た目だった。
SNSは、他人の「一番いいところ」だけを切り取った、ファンタジーの世界。
頭ではわかってる。
でも、自分の現実(茶色いごはん)と比べて、勝手に落ち込んじゃう。
あのキラキラが、無言の圧力で「あなたもこうあるべき」って言ってくる気がして。
もう見るのやめようかな。
いや、でも、猫の動画も見たいしな…。
悩ましい問題です、はい。
4. もう頑張らない!「これでいいや教」へようこそ
さんざん愚痴ってきましたが、じゃあどうすればいいんだ、って話ですよね。
私がたどり着いた結論は、もう、頑張らないことです。
完璧を目指すから、しんどくなる。
100点満点の食事じゃなくて、30点でもいい。いや、赤点じゃなければ、もう花丸!
そんな、「これでいいや教」の教えを、いくつかご紹介させてください。
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週に一度の「思考停止デー」を設ける
曜日を決めて、その日はもう、食事について一切考えない日を作るんです。
カップラーメンでもいい。コンビニ弁当でもいい。ポテチとアイスが夕飯でもいい。
何を食べてもOK。そして、絶対に罪悪感を持たない。
「今日はそういう日だから」で、すべてを許す。
これ、めちゃくちゃ心が楽になりますよ。ガス抜きって、大事。 -
「とりあえず一品、野菜があればOK」ルール
一汁三菜なんて、遥か彼方の夢。
でも、何か一品、野菜があれば、それで今日のミッションはコンプリート!ってことにするんです。
コンビニの千切りキャベツにドレッシングをかける。これだけで立派なサラダ。
お味噌汁に、乾燥わかめと冷凍の刻みネギを入れる。立派な汁物。
ミニトマトをヘタ取って、そのまま食べる。ビタミン摂取完了!
ハードルを地面スレスレまで下げるんです。これなら、できそうでしょ? -
冷凍庫と友達、いや、親友になる
日本の冷凍食品技術、なめてもらっちゃ困りますよ。
冷凍のブロッコリー、ほうれん草、揚げなす、里芋…。カット済みだし、下茹で済みだし、神か?
冷凍の焼き魚は、レンジでチンするだけで、立派な主菜。
冷凍うどんは、常にストック。困った時の救世主。
これらを「手抜き」じゃなくて、「賢い選択」と呼ぶことにしましょう。
だって、忙しい私たちのために、企業が頑張って開発してくれた商品なんだから。
ありがたく、使わせていただきましょうよ。 -
最終兵器「うまいタレ」に頼る
料理の味付けが面倒?わかります。
醤油、みりん、酒、砂糖…配合を考えるだけで頭が痛くなる。
だから、もう、美味しいタレに全部お任せするんです。
ちょっといいポン酢、ごまドレッシング、焼肉のタレ、すき焼きのタレ、めんつゆ…。
焼いた肉にかければ、だいたい美味い。
茹でた野菜にかければ、だいたい美味い。
豆腐にかければ、もう一品完成。
味付けは、プロに任せる。これ、最高の時短術であり、精神安定術です。
どうです?
これなら、なんとか毎日生きていけそうな気がしませんか?
頑張るのをやめて、「ま、いっか」を増やす。
それが、「これでいいや教」の神髄なのです。
5. 結論:健康って、たぶん心の平穏のことなんだと思う
ここまで、いかに健康的な食事を考えるのが大変か、そして、いかに頑張らないで乗り切るか、という話をしてきました。
で、思うんです。
そもそも、「健康」って何なんでしょうね?
体にいいものを食べて、病気にならないこと?
もちろん、それも大事。めちゃくちゃ大事。
でも、そのために毎日ストレスを感じて、イライラして、自分を責めて…。
それって、果たして「健康的」なんだろうか?
心がギスギスしてたら、いくら体にいいスーパーフードを食べたって、意味ないんじゃないかな。
むしろ、大好きなジャンクフードを、心の底から「うめえええ!」って笑いながら食べる方が、よっぽど体にいい時だってあるんじゃないか、って。
(※毎日じゃないですよ、たまに、ね?)
完璧な食事を目指すのをやめてみる。
誰かと比べるのをやめてみる。
昨日の自分より、ちょっとだけ野菜が多かったら、自分を褒める。
惣菜に頼ったけど、ちゃんとお皿に移して食べたなら、もう満点。
カップ麺だったけど、お湯を沸かして、3分待って、ちゃんと座って食べた。えらい!
そんな風に、自分で自分を甘やかして、認めてあげること。
「ちゃんとしなきゃ」の呪いから自分を解放してあげること。
それこそが、一番の「健康法」なんじゃないかな、って最近は本気で思っています。
食事が、義務や苦行になったら、おしまいです。
食事は、本来、私たちの体と心を満たす、楽しくて幸せなものであるはずだから。
だから、もしあなたが今夜、夕飯を作る気力がなくて、お弁当を買って帰ったとしても。
自分を責めないでください。
「今日も一日、お疲れ様、私!」って、美味しいお弁当を、心穏やかに味わってください。
それが、あなたにとっての、今日の「最高の健康ごはん」です。
まあ、こんなこと言いながら、明日になったらまた「ああ、野菜食べなきゃ…」とか言って、スーパーで悩んでるんでしょうけどね、私も。
人間って、そんなもんですよね。うん。それでいいんだ、きっと。
あなたはどう思いますか?
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