琥珀色の静寂を飲み干して
2025/12/29
一年の終わり、という節目が近づくと、街の呼吸は急に速くなる。
カレンダーが最後の一枚になり、その余白に書き込まれた予定が埋まっていくたびに、私たちは何かに追い立てられるようにして足を早める。駅の改札を通り抜ける人々の背中は、どこか硬く、冷たい空気に肩をすくめている。
けれど、不思議なことに、十二月も三十一日が近づくにつれ、その喧騒はふっと熱を失い、代わりに奇妙な静寂が街を包み始める。私はこの、嵐のあとのような、あるいは深い水の底に沈んだような「年末独特の空気感」が、昔からたまらなく好きだ。
1.掃除という名の記憶整理
年末といえば、避けては通れないのが大掃除だ。
日頃は見ないふりをしていた家具の隙間の埃や、クローゼットの奥に押し込んだ「いつか使うかもしれないもの」たちと対峙する時間。雑巾を絞り、冷たい水に指先を痺れさせながら床を拭いていると、それは単なる住居の清掃ではなく、自分自身の脳内を整理しているような感覚に陥る。
ふと、本棚の隅から一冊の古い文庫本が落ちる。
挟まっていたのは、いつかどこかの映画館の半券だったり、もう連絡を取らなくなった友人からの手紙だったりする。それを見つけた瞬間、時計の針が逆回転を始める。あの時、自分は何を思っていたのか。どんな風に笑い、どんなことで絶望していたのか。
年末の掃除とは、残酷なまでに「過去の自分」を突きつけてくる儀式だ。
一年前の自分は、今の自分を想像できていただろうか。成し遂げたことよりも、成し遂げられなかったことの方がずっと多い。書けなかった日記、続けられなかった習慣、伝えられなかった言葉。埃と一緒に、そうした「後悔の欠片」も掃き集めてゴミ袋に詰める。けれど、その袋を口を縛って玄関に出すとき、心は不思議と軽くなっている。捨てることは、忘れることではない。それは、新しい空気が入るための隙間を作ることなのだ。
2.「忘年会」という名の優しい嘘
十二月になると、街には「忘年会」という言葉が溢れる。
年を忘れるための会。なんとも身も蓋もない名前だが、これほど日本人の心情に寄り添った言葉もないと思う。
居酒屋の座敷、あるいは少し気取ったレストランで、私たちは「今年も大変だったね」と笑い合う。グラスが触れ合うカチンという音は、一年の苦労を浄化する鐘の音のようだ。
実際には、忘れたいことなんてそう簡単に忘れられるものではない。仕事での失敗、大切な人との別れ、自分自身の不甲斐なさに震えた夜。それらは血肉となって自分の一部になっている。
それでも、私たちは「忘れよう」と口にする。
それは、過去を否定するためではなく、「とりあえず一区切りつけよう」という、自分たちへの優しい嘘なのだ。その嘘を共有することで、私たちはまた明日から、あるいは来年から、新しく生きていくための活力を得る。琥珀色のビールや、熱い日本酒の湯気の中に、私たちはやりきれなかった思いを溶かしていく。
帰り道、少し火照った頬に当たる夜風が心地いい。
街灯の下、自分の影が長く伸びている。
「さよなら」でもなく「また明日」でもない、一年という長い時間の終わりを告げる夜の空気。駅のホームで電車を待つ人々の顔が、どこか穏やかに見えるのは、きっと誰もが心の中で「お疲れ様」と自分に言い聞かせているからだろう。
3.トワイライト・ゾーンの静寂
三十一日の夕暮れ時。私はこの時間が、一年で最も美しいと思う。
太陽が西の空に沈み、空が深い群青色に染まっていく。窓から見える住宅街には、一つ、また一つと明かりが灯っていく。その一つ一つの光の下に、それぞれの家族の形があり、それぞれの「年越し」がある。
キッチンから漂ってくる出汁の匂い。テレビから流れる賑やかな音楽。
そんな日常の断片が、年末というフレームに切り取られるだけで、どうしてこれほどまでに愛おしく、そして少しだけ寂しく感じられるのだろうか。
「除夜の鐘」が鳴り響くまでの数時間、世界は一種の真空状態に置かれる。
百貨店はシャッターを下ろし、オフィス街からは人が消える。いつもは止まることのない経済の歯車が、一瞬だけその回転を止める。
この「何も動いていない時間」に、私は独り、温かい紅茶を飲みながら窓の外を眺めるのが好きだ。
ふと思う。時間は本来、途切れることのない連続体だ。
一月一日になったからといって、世界が劇的に変わるわけではない。空の色も、風の温度も、自分の抱えている悩みも、基本的にはそのままだ。
それなのに、人類はどうしてこんなにも「区切り」を必要とするのだろう。
たぶん、私たちは「永遠」には耐えられない生き物なのだ。
終わりがあるから、頑張れる。リセットボタンがあると思えるから、もう一度立ち上がれる。
「去年まではこうだったけれど、来年からは変えられるかもしれない」
そんな淡い期待を抱くために、私たちはわざわざ暦を作り、一年の終わりを祝うのだ。
4.冬の星座と、届かない手紙
夜が深まると、空気がさらに澄んでくる。
ベランダに出て空を見上げると、都会の空でもオリオン座がはっきりと見える。何光年も前の光が、今、私の瞳に届いている。星たちの時間に比べれば、人間の一年なんて、瞬きの一回にも満たない。
そんな小さな時間の中で、私たちは右往左往し、泣いたり笑ったりしている。
今年、新しく出会った人たちの顔を思い浮かべる。
反対に、もう二度と会えなくなってしまった人のことも考える。
手帳をめくると、五月の欄に走り書きされたメモがある。その時の自分が何を考え、何を求めていたのか、今の私にはもう正確には思い出せない。
思い出は、時間と共に風化していく。
それは悲しいことのようだけれど、救いでもある。
辛かった記憶のカドが取れ、丸くなり、やがて風景の一部になっていく。
年末の夜、私たちはそうした記憶の集積を愛でる。一年前よりも少しだけ厚くなった自分の歴史を、慈しむように。
もし、一年前の自分に手紙を書けるとしたら、私は何と書くだろうか。
「大丈夫、なんとかなるよ」だろうか。それとも「もっと準備しておけ」だろうか。
おそらく、どちらも書かない気がする。
ただ、「よく生き抜いたね」とだけ伝えたい。
大きな事件がなかったとしても、ただ毎日を繰り返し、朝起きて夜眠るという営みを続けたこと。それだけで、十二分に賞賛に値する。
5.午前零時へのカウントダウン
時計の針が重なろうとしている。
テレビの中ではカウントダウンが始まり、人々の歓声が響いている。
けれど、私の部屋の中は静かだ。
年を越す瞬間、私はいつも少しだけ息を止める。
古い年が去り、新しい年が滑り込んでくる瞬間の、目に見えない隙間を見逃さないように。
「ゴーン――」
遠くのお寺から、一番初めの鐘の音が聞こえてくる。
その振動は、空気を震わせ、地面を伝い、私の足の裏から心臓へと届く。
百八つの煩悩を払うというその音は、実際のところ、何かを消し去ってくれるわけではない。ただ、重く澱んでいた空気に、鮮やかな一石を投じてくれる。
「あけましておめでとう」
その言葉を口にする時、私たちの声は少しだけ弾んでいる。
昨日までと同じ自分なのに、言葉一つで新しい自分になれたような気がする。
この「勘違い」こそが、年末年始という季節が私たちにくれる、最大の贈り物なのかもしれない。
結びに:未来へのまなざし
新しい年が始まった。
といっても、外はまだ暗く、冷たい冬の夜の中だ。
けれど、心の中には小さな灯がともっている。
年末に感じた、あの胸を締め付けるような切なさ。
自分の限界を知った時の、あの静かな諦念。
そして、それでも誰かと繋がっていたいと願った、あの切実な思い。
それらを全て、私はお守りのようにして新しい年へと持ち越していく。
琥珀色の静寂は、もう飲み干した。
グラスの底には、明日への期待がわずかに残っている。
明日の朝、昇ってくる初日の出は、きっと今日よりも少しだけ力強いはずだ。
街は再び動き出す。
新しいカレンダーの、真っ白な一ページ目。
そこに最初に書き込む言葉を、私はまだ決めていない。
ただ、冷たい空気をお腹いっぱいに吸い込んで、一歩を踏み出す準備をする。
「さあ、行こうか」
独り言のように呟いて、私は明かりを消す。
窓の外では、新しい年を祝福するように、冬の星たちが静かに瞬いていた。