体格差や技術の限界を感じている

そんな悩みを抱えているならばまずは以下の動画をご覧下さい!
 
この力は、インチキでもやらせでもありません

何故に二人の連なった人間があのように崩れてしまうのか?


あなたはその方法を知りたくないですか。
知りたい方はこのまま読み進めてくださいね。


あなただけにその方法についてお伝えさせていただきます。



はじめまして。
私は古伝体術心水会を主宰する
中野由哲(よしのり)と申します。

今見ていただいた二つの動画で指導している本人です。


聞きなれないかもしれませんが古伝体術とは、
空手や中国武術、または日本の古武術など、
あるゆる武術に共通するエッセンスを抽出し、
「根本原理」をまとめあげたものとなります。


ところで
私が長年に渡り、
武術を研究する中で得られた気づきというものは沢山あるんですが、
その中でも目指すべきひとつの方向性として確信を持っている理念があります。
それは「調和する」ということになります。


「調和するってどういうこと?
それと強くなることに一体どんなつながりがあるの?」


そんな疑念が湧いてきたかもしれませんが、もう少しお付き合いください。


「調和する」という理念に基づいて身心のあり方を整えることで、
相手との力のぶつかり合いや衝突がなくなり、自分の力(エネルギー)を
相手に伝えることが出来るようになります。


つまり、そのことによって「強くなる」という結果がついてくるのです。
ひとくちに「強くなる」といっても様々な意味があるでしょう。


武術的な技法を用いて強くなるということにおいて
「調和する」という身心の理解と体得が必要となってくるのです。


そして、それが「衝突しない・貫通する」技法を体得出来るようになるのです。


なぜ「調和する」なのかということについて
私なりの解説をさせていただきたいと思います。


まず「調和する」ということに関連する考えとして、
松下電器産業の創業者でもある松下幸之助氏(故人)は
以下のような言葉を残されております。



『考えてみれば、この宇宙のいっさいのものはすべて対立しつつ調和している。それぞれのものがそれぞれの個性、特質をもって、いわば自己を主張し合っている。月と太陽、山と川、男と女……これらはすべて対立していると考えられる。しかし、ただ対立しているのではない。対立しながらもお互いに調和し合って、この大自然は生成発展し、秩序を保っている。したがって、「対立と調和は、いわば一つの自然の理法であり、社会のあるべき姿だ』
ここで「対立と調和」という言葉が出てきました。



この世に存在するものは対立しながらも調和し合って秩序を保っている、と。
私は武術というものを「争いを止める術」だと定義しております。


その考えに基づくならば「争い=対立」「止める=調和」
となるのではないかと思います。


つまり、争い事が生じるのは当然のことであって、
それをいかに調和させ秩序を保つかということが
自然の理法になるのではないかと考えます。


対立が生じた時にいかに調和させて秩序を保つか、
その方法が武術なのだと私は思います。


なので、武術の技法は「調和する」ということが基盤になければ
それはただの殺人術や暴力といったものになってしまい、
それはどちらかというと対立の状態なのではないかと思います。


確かに世の中には様々な武術が存在し、そういった技法が着目され、
またそのような殺人術としての武術が全面的に出ていた歴史があることも否めません。


確かにただやみくもに、調和だ和合だと言っても
そこに相手を制する力が実際になければ、
それは机上の空論ということになってしまいます。


実際に相手を制する実技とエネルギーを体得してこその
武術だということを前提に考えていただけたらと思います。


対立状態にある相手を傷つければなにかしらで遺恨が残ります。
対立状態を暴力で解決しようとすれば
新たな対立を生み出すだけとなってしまいます。
そのことは暴力の連鎖などといった言葉で表現されます。


対立と調和が世の秩序を保つことだとするならば、
対立状態に対しては調和することが
バランスを保つことになるのだと思います。


それを可能とするのが


「戦わずして勝つ・勝つのではなく負けない」
などといったマインド設定、そして
「ぶつからない力・貫通する力・調和する力」
などのフィジカル面での技術。


それらを体得することによって対立状態に対して、
ぶつからずに和合するなどといった
「武術」で調和状態を実現出来るようになるのです。


では「調和する」といっても何から調和させていけばよいのか?
これはヨガなどでもよく言われることですが、
自分自身を調和させることとなります。


では具体的に自分自身を調和させるとはどのような状態なのか?
それは、肉体的にも精神的にも宇宙とのぶつかり合いがない状態だと
私は考えております。


宇宙とのぶつかり合い??
と疑問が出たかもしれないですね。


肉体と精神だと、肉体的にぶつかり合いのない状態とはどんなものか
といったことが実感しやすいです。


その肉体のぶつからない感覚が、精神的にも
ぶつかり合わないといったことへつながっていきます。


なのでまずは肉体的にぶつかり合わないといったことから学習していきます。



ヨガでは理に適ったカラダのポーズを取ったり、
呼吸法によって自身の調和状態というものを
学んでいく方法が紹介されております(ハタ・ヨーガ)
武術でも同じように姿勢や呼吸を整えることで
調和状態というものを学習していきます。


そこで重要となってくるのが「型」による稽古なのです。


ただし、やみくもに型稽古をするのではなく、
どのような姿勢がエネルギーがあるのか。


またはその状態からいかにしてぶつかり合いがなく動けるか
ということを考えながら稽古していくのです。


その時にカギとなるのが
カラダの各種関節を「抜く」という感覚を明確化させることなのです。


それは自身のカラダの中に滞っているものを取り除いていくといった感覚となります。


自分の中の詰まりがなくなってどんどんクリアになっていく感覚(クリアリング)。
その自身の詰まりのない感覚が宇宙とのぶつかり合いのない状態、
つまり、調和するといった状態になるのです。


それを学習する方法として先人達は「型」というものを
我々に遺してくださったのではないでしょうか。


そのようにして「調和する」ということを念頭において
学習していった先に冒頭で紹介した動画のような事が出来るようになるのです。


理由としては、自身のぶつかり合いのない状態を形成することで、
相手ともぶつかり合いが起こらなくなるといった単純な理屈なんです。


イメージ的には自身がクリアになればなるほど、
つまり、自身が調和すればするほど、調和のエネルギーが
どんどんと流れ込むといったものとなります。


そして、そのエネルギーはより強く貫通するようになります。


なので、自分からエネルギーを出すというよりは、
自身がエネルギーを通す器となるといった感覚となります
(そのエネルギーを増幅させたり圧縮させたりする方法もありますが)
よく言われる、自身と相手が同化するなどといった合気道の理念は、
以上のような理屈で考えるとよく理解できます。



合気道創始者の植芝盛平翁は、
「邪気は関節にたまる」ということを仰られていたようです。
だとすると、各種関節を「抜く」訓練をすることによって、
邪気を抜くことにもなるのではないかと考えております。


姿勢を整えること、そして関節の抜きによって邪気が抜ければ抜けるほど
クリアーとなり自身に調和のエネルギーが流れ込むようになるのだと思います。


それが対立を調和する武術のエネルギーの大元となっていくのです。


あなたも、この武術の調和するエネルギーに必要となる
「姿勢」と「抜く」ということを学習して、
本物の武術を体得しませんか。