ご挨拶とプロフィール

こんにちは!
「カイロプラクティック ステージ」院長の
梶原吉晴です。
1968年、尼崎で産まれ、中学2年の時に
現在の大阪市西淀川区に移り住みました。


趣味:オートバイ(今でも、前傾姿勢のレーサーレプリカ
   に乗っています。)
   筋トレ(以前は、大きな負荷をかけて筋肉を太くする
   トレーングでしたが、現在は軽い負荷で、筋肉の左右
   のバランス重視をメインとしたトレーニングをしてい
   ます。)
   小説を読む(ローダンシリーズ、池波正太郎、真山仁、浅田
         次郎、夢枕獏が好きです。)
   クロスバイク(KONA)に乗ってます。
   
プロレスや格闘技番組が好きで、今でもよくテレビで観ます。

特技:公式テニス(20代後半に、中学の同級会の誘いで、
   スクールに3年通いました。
   少林寺拳法:映画「キス・オブ・ドラゴン」のジェット・
   リーに憧れて、少林寺拳法を習いました。
   どちらも、それほど上手にならなかったですが。

自分の肩こりが死ぬまで治らないと本気で悩んでいました。

 私の肩こりの記憶は、小学校低学年の頃まで遡ります。その頃は、まだ肩こりという自覚はなかったのですが、して分からなかったのですが、首が固くなって重たくなる感覚でした。首を上に向ける動作をすると首から「グキッ!」という音がしていました。首を上にむけると、首を動かしやすくなっていました。次第に、無意識に首をほぐそうとして、首を上に向ける動作の回数が増えていきました。そのうち、肩も回すようになりました。肩を回していると母親からは、「寒いの?」とよく聞かれました。
寒くないのですが、肩を回すと上半身に、血液が巡るような感覚がありました。
その頃、母親の棒灸で、首を温めると首の動きが軽くなりました。それから、小学校高学年になり、首を回すようになりました。首を回す回数も次第に多くなり、「母親からは、首がバネでできた首振り人形みたいやね!」と言われていましたが、首が固くなって気持ちが悪いので、仕方ありませんでした。
中学3年の頃、高熱と激しい頭痛が何日も続き、1ヶ月くらい入院しました。画像診断や血液検査をしましたが、ハッキリとした原因が分かりませんでした。入院して安静にしていると、熱も下がり、頭痛も治まりたので退院しました。
入院中は毎晩、首と肩が痛かった記憶があります。
その後、高校へ進学して水泳部に入部しました。3年になったとたんに肩と首がしんどくなりました。この時に初めて、これが肩こりんだと分かりました。
部活を休部せざるを得なくなり、泳げるシーズンのほとんどを棒に降りました。かろうじて最後の大会に、出場できただけです。
鍼灸院へ通いましたが2~3日、体が軽くなるくらいで、また元のしんどさに戻りました。
部活を引退してから、更に肩こりの自覚症状がひどくなりました。
自動車専門学校時代もウェイトトレーニングとランニングをしていましたが、全く肩こりに改善の兆しもなかったです。
専門学校を卒業後、自動車の販売会社で整備士として働いていしたが、肩こりに耐える毎日でした。朝に起きた時が、一番肩こりの自覚症状が強く、日中も肩こりがつらかったです。整形外科で画像診断、電気を当て、首を牽引し、痛み止めの薬をもらいますが、
回復の兆しも見えませんでした。整骨院と鍼灸院へも通いましたが、全く変わりませんでした。
お盆休み、年末年始の休み、ゴールデンウィークの長期休暇の時に自宅で安静にしていても、肩こりが楽になることはありませんでした。肩こりが毎日、苦痛でもうどうしていいか分かりませんでした。
そこで出会ったのが、カイロプラクティックでした。
そこから私の肩こりが、回復に向かって行きました。