大人がギターを始めるなら、ギター教室はもはや「選択肢」ではなく「必須科目」だと私は思っています。なぜなら、大人の趣味、特にギターのような技術習得が必要なものは、驚くほど簡単に「挫折」という名の魔物に飲み込まれてしまうからです。子どもの頃のように、隣で一緒に始めてくれる友達も、文化祭で輝いて見える先輩もいません。あるのは、仕事の疲れと、迫り来る明日の会議だけ……。そんな孤独な環境で、独学という荒野に一人で飛び込むのは、あまりにも無謀だと思いませんか?
ギター教室は、その荒野に突如現れるオアシスであり、頼れるガイドがいるキャラバンみたいなものです。あなたが道に迷えば正しい方角を示してくれ、喉が渇けば(モチベーションが下がれば)水を与えてくれる。独学で数ヶ月、いや、数年かかるかもしれない道のりを、ぐっと短縮してくれる。ここでは、なぜギター教室が、私たち大人にとって最強の「挫折回避装置」なのかを、具体的に解き明かしていきます。
ギターを始めようと思ったことがある人なら、一度は耳にしたことがあるでしょう。悪名高き「Fコード」。人差し指で6本の弦をすべて押さえる、あのバレーコードのことです。はっきり言います、あれは独学者の心を折るために存在しているとしか思えません。
私ですか?ええ、もちろん見事に心を折られましたよ。もう10年以上前の話ですが、なけなしのお金で買ったアコースティックギターと、一番売れてそうな教則本を手に、意気揚々とギターライフをスタートさせたんです。
最初の1週間は楽しかった。「キラキラ星」くらいなら、なんとか弾けるようになる。でも、ちょっとカッコいい曲を弾こうとすると、必ずヤツが現れるんです、Fが。教則本の写真の通りに指を置いているはずなのに、鳴るのは「ベベンッ」という鈍い音だけ。指は痛いし、手首はありえない角度に曲がってる気がするし、何より音が全く綺麗じゃない。YouTubeで「Fコード 簡単な押さえ方」なんて検索して、出てきた動画を片っ端から試しました。でも、ダメ。画面の向こうの優しいお兄さんは「力を抜いてリラックス」とか言うんですけど、こっちは指がちぎれそうなくらい力んでるんだよ!って、何度スマホに悪態をついたことか。
結局、私は2ヶ月でギターを壁のオブジェにしました。これが独学のリアルです。でも、もしあの時ギター教室に通っていたら?きっと講師は私の手の形や指の長さを見て、「あなたの場合は、親指をネックのこの位置に置くと力が入りやすいですよ」とか、「最初は1弦と2弦だけ鳴ればOK。完璧を目指さなくていいんです」とか、的確なアドバイスをくれたはずなんです。たった一言、自分だけに向けられたその言葉が、絶望の淵から救ってくれることがある。Fコードは、独学の壁の象徴。そしてギター教室は、その壁を乗り越えるための最高の道具なんです。
孤独な練習という名の精神修行 そして誰もいなくなった
Fコードの壁をなんとか乗り越えたとしましょう。でも、独学の次なる刺客は「孤独」です。これ、地味に、でも確実に心を蝕んでいきます。考えてみてください。仕事からクタクタになって帰ってきて、夕食を食べて、ちょっと一息。そこから重い腰を上げて、一人でギターの練習を始める。シーンと静まり返った部屋で、自分の拙い演奏だけが響き渡る。誰かに聴かせるわけでもなく、誰かに褒められるわけでもない。ただひたすら、自分との戦いが続きます。
最初のうちは良くても、だんだん「あれ、俺、何のためにこれやってるんだっけ?」という疑問が湧いてくるんです。YouTubeの先生はいつも笑顔で励ましてくれるけど、こっちの演奏を聴いて「今の良かったですよ!」とは言ってくれない。当たり前ですけどね。上達しているのかどうかも、客観的な指標がないからよくわからない。昨日よりはマシな気がする、くらいの曖昧な感覚だけが頼り。これって、結構つらいですよ。
人間って、やっぱり誰かに認められたい、見ていてほしい生き物なんです。ギター教室に通えば、そこには必ず「聴いてくれる人」がいます。講師です。週に一度、自分の演奏をプロに聴いてもらい、フィードバックをもらう。
「お、先週より格段にスムーズになりましたね!」「このフレーズの解釈、すごく良いじゃないですか!」なんて言われた日には、もう、ねえ?嬉しくて、帰りの電車でニヤニ-Яしてしまいますよ。来週までにここを完璧にして、先生を驚かせてやろう、なんていう健全なモチベーションが生まれる。この「誰かが見ていてくれる」という安心感と適度な緊張感が、孤独な練習という精神修行を、楽しい成長の時間に変えてくれるんです。一人で黙々と続けるのが苦手な人ほど、ギター教室の効果は絶大です。うん、たぶん、いや、絶対に。