大阪市立中大江小学校卒。太平洋戦争の末期、卒業前夜、総代として選ばれていた答辞を手に、アメリカ軍の空襲を受けて防空壕へ。家族一同、こんなことが起こるとは真実とは思えないまま、翌日ぎゅう詰めの列車に揺られ、トイレも水もない中、母の実家のある広島に疎開、広島県立第一女学校に入学。広島原爆投下時、家族一同広島市内にいて家族全員被爆。その後、父の実家の岡山へ。当時、東京、大阪、京都などから避難してきた人たちが美術や文学などの文化を生徒たちに惜しげなく与えてくれたことが、今振り返ってみると私の絵画への影響を与えてくれたのかとも思う。終戦後、大阪に戻り、新制高等学校として男女共学となった大阪府立大手前高校に入学、卒業。