史跡散歩を実施しました~土気史跡を巡る
2020/09/21
史跡散歩を実施しました@土気史跡を巡る
集客の手法で、様々な会合に顔を出して
人脈作りをするということを実践する一環として、千葉ワクワクときめきの会のメンバーで「とけ史跡散歩の会」を実施しました。史跡散歩の会はこれで3回目の開催になります。私を含めて4名の参加で実施しました。
場所は千葉市緑区土気地区で土気城址のほか、いくつか史跡があり、主だったものを巡ることにしました。
土気城址&貴船神社
土気城主墓所
縣神社
善勝寺
本寿寺
大椎城址
土気城の初代酒井定隆公は出自が明らかではないのですが、遠江や京都説があり、西の方から移ってきたという方のようです。東に下ってきたときに日泰上人と出会い法華宗に帰依して領内七里四方の寺院を改宗させたことで有名で5代にわたりここ土気城を主に百年ほど治めたといわれています。法華宗改修につづき城内にあったとされる祠を東北鬼門の地に移して縣神社を創設した。その後東金に支城を設けて原氏、里見氏、北条氏と主君を変えながら北条家と運命を共にしました。
善勝寺は土気城の一角に、本寿寺は大手口隣接にいずれも七里法華根本道場として重要な寺院です。
大椎城は酒井氏治世の遥か以前に将門公から三代下っての平忠常の居城になり、千葉常重が亥鼻に拠点を移すまでの拠点でした。いわば千葉氏の故郷といえる地になります。
土気城主墓所
縣神社
善勝寺
本寿寺
大椎城址
土気城の初代酒井定隆公は出自が明らかではないのですが、遠江や京都説があり、西の方から移ってきたという方のようです。東に下ってきたときに日泰上人と出会い法華宗に帰依して領内七里四方の寺院を改宗させたことで有名で5代にわたりここ土気城を主に百年ほど治めたといわれています。法華宗改修につづき城内にあったとされる祠を東北鬼門の地に移して縣神社を創設した。その後東金に支城を設けて原氏、里見氏、北条氏と主君を変えながら北条家と運命を共にしました。
善勝寺は土気城の一角に、本寿寺は大手口隣接にいずれも七里法華根本道場として重要な寺院です。
大椎城は酒井氏治世の遥か以前に将門公から三代下っての平忠常の居城になり、千葉常重が亥鼻に拠点を移すまでの拠点でした。いわば千葉氏の故郷といえる地になります。
散策終了後はお約束の懇親会で話題もさまざまに楽しい時間があっという間にお開きになりまし。次の散策は頼朝上陸から鎌倉凱旋までの道のりを追うことをテーマにしたいと思います。
土気城周辺(クラン坂、貴船神社、墓所)
クラン坂、急峻な坂が谷まで続いています。
土気城の起源とされる貴船城に関連する神社、元亀年間、奈良時代に大野東人による創建
土気城の西隣に設けられた塚の墓所、女人塚らしきものも見られます
縣神社、善勝寺墓所、本寿寺
土気城の鬼門に置かれた縣神社、格式の高い神社です
七里法華根本道場の一つ、善勝寺にある墓所、土気城の一角に存在
七里法華根本道場の一つ、本寿寺。
大椎城址と周辺、懇親会
大椎城址遠景、私有地のため、途中までしかいけません
大椎城址の隣にある高級住宅地ワンハンドレッドヒルズ、通称チバリーヒルズ、
品川ナンバーのロールスロイスが入っていきました
品川ナンバーのロールスロイスが入っていきました
懇親会は地元大京で、締めにラーメンを
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