男なら精力剤を飲んでパワフルに動くというのもありじゃない?

2025/06/10

おい、そこのお前。そう、画面の前で死んだ魚みたいな目をしてる、お前だよ。
最近どうだ? 元気か?
…なんて、聞くまでもねえか。元気なわけ、ないよな。

月曜の朝、地獄の釜の蓋が開くみたいに目覚ましが鳴り響き、満員電車っていう名の圧縮機に体をねじ込まれる。会社に着けば、終わりの見えないタスクの山、山、山。上司の理不尽な叱責、後輩のうっかりミス、鳴り止まない電話。昼飯なんて味わってる暇もねえ。5分でかき込んで、またデスクに逆戻り。気づけば窓の外は真っ暗で、終電間際のホームでまた圧縮機のお世話になる。家に帰って、冷めた飯をチンして食って、風呂入って、気絶するようにベッドに倒れ込む。

…で、ですよ。また次の日には地獄の釜の蓋が開く、と。
は? 何これ。俺たち、何のために生きてんの?
冗談じゃねえよな、マジで。
そんな無限ループに魂を削られている、世のすべての“戦士”たちに、俺は今日、あえて問いたい。
「男なら精力剤を飲んでパワフルに動くというのもありじゃない?」って。
いや、待て待て。石を投げるな。わかる。言いたいことはわかるよ。
「精力剤」って言葉の、この、いかがわしさ。胡散臭さ。
なんか、紫色の毒々しいパッケージが目に浮かぶよな。深夜の通販番組で、やたらとテンションの高いおっさんが「いや〜、奥さん、ビックリですよ!」とか言ってる、アレだろ? わかる。俺もそう思ってた。

「あんなもんに頼るなんて、男としてどうなんだ」
「所詮は気休めだろ」
「ていうか、そういうのは“夜”の…ムフフな目的で使うもんじゃないのか?」
うん、全部正解。そして、全部、ちょっとだけ間違ってる。
少なくとも、今の俺はそう思ってる。
これは、かつて俺と同じように、心身ともにカッスカスに干からびていた一人の男が、禁断の果実(?)に手を出し、その結果どうなったか、という、まあ、わりとどうでもいい話だ。
でも、もしお前が、マジでもう一歩も前に進めないって思ってるなら…まあ、聞いていけよ。コーヒーでも飲みながらさ。



俺と“アレ”の、気まずい出会い
あれは確か、2年前の梅雨時だったかな。ジメジメした空気と、終わらないプロジェクトのプレッシャーで、俺の精神は腐りかけの豆腐みたいになってた。水曜日だか木曜日だかの夜10時。もうね、脳みそが機能してないのよ。キーボードを打つ指は鉛みたいに重いし、モニターの文字は意味を持たない記号の羅列にしか見えない。目の奥がジンジンして、頭痛もする。
「ああ、もう無理だ。帰ろう…」

そう思って席を立ったはいいけど、明日、朝イチでクライアントに提出しなきゃいけない資料が、まだ7割しか終わってない。絶望って、こういう時に使う言葉なんだなって、本気で思ったね。
ふらふらと会社を出て、吸い込まれるように近くのコンビニに入った。もう、何か、こう、ガツンと来るものが欲しかった。エナジードリンクの棚をぼーっと眺めてたんだ。いつものやつじゃ、もう効かない。翼なんてとっくに折れてる。
その時、ふと、視界の端に入ってきたんだ。
エナドリコーナーの、一番下の、ちょっと薄暗い場所に、そいつらはいた。

黒とか金とか、やたらギラギラしたデザインの小瓶たち。
デカデカと書かれた「マカ10000mg!」とか「トンカットアリエキス配合!」とか、そういう、いかにもな文句。
そう、精力剤だ。
うわ、と思った。見てはいけないものを見てしまった、みたいな。
でも、目が離せない。

だって、そこに書いてあるんだよ。「ここ一番の勝負に!」「漲る活力!」って。
いやいやいや。俺の勝負って、クライアントへの資料提出だぞ? ムフフな夜のベッドの上じゃねえんだぞ? 漲らせたいのは活力であって、下心じゃねえ。
でも…でもだ。もし、もしだよ? これを飲んだら、この腐った豆腐みたいな脳みそが、もう一度、シャキッとするんじゃないか? あと2時間、いや、1時間だけでもいい。集中力が続くなら…。
脳内で、天使と悪魔が壮絶なバトルを繰り広げたね。
「やめとけ!そんなもんに頼るのはダサい!」
「うるせえ!ダサくても何でもいい!この地獄を乗り越えられるなら何でも飲むわ!」
「レジの若い女の子にどう思われるんだよ!『うわ、この人…』って思われるぞ!」
「知るか!どうせ二度と会わねえよ!ていうか、俺の人生かかってんだよ!」
数分間の葛藤の末、俺は、一番なんだか強そうな、黒いパッケージの小瓶を、ひったくるように手に取った。そして、他に買うもの…そうだな、ポテチと烏龍茶もカゴに入れて、カモフラージュしながら、足早にレジへ向かった。心臓、バクバクだったね。完全に不審者だ。

レジのお姉さんは、別に俺のことなんて気にも留めてない顔で「ピッ」とバーコードを読み取った。まあ、そりゃそうだよな。俺が勝手に自意識過剰になってただけだ。
外に出て、コンビニの明かりが届かない薄暗い場所で、俺はゴクリと、その液体を呷った。
味?
最悪だったよ。
なんか、薬臭さと、無理やりつけられた甘さが混じった、悪魔の飲み物みたいな味。でも、その不味さが、逆に「これは効くぞ…」っていう妙な説得力を生み出してた。プラシーボ効果って、こういうのを言うんだろうな。
世界が、変わった(気がした)
会社に戻る道すがら、なんか、こう、体の内側からポカポカしてきた。
いや、気のせいだろ。さっきまでクソ寒かったのに。
会社の自分の席について、PCの電源を入れる。
すると、どうだ。
さっきまで霞んで見えていたモニターの文字が、やけにクッキリと目に飛び込んでくる。
カタカタカタ…
キーボードを叩く指が、軽い。思考が、クリアになっていく。
さっきまで「ああでもない、こうでもない」とウンウン唸っていた部分の文章が、スラスラと出てくる。
「は? なんだこれ…」
マジで声が出た。
周りにはもう誰もいないからいいけど。

明らかに、何かが違う。
脳のギアが、一段階、ガチャン!と上がったような感覚。
疲労感は? ある。眠気は? ある。でも、その上から、無理やり一枚、分厚い“元気の膜”をコーティングされたような感じ。
これは…ドーピングだ。
俺は、そこから約2時間、猛烈な集中力で資料を完成させた。自分でも信じられないくらいのパフォーマンスだった。完成した資料を見直した時、ちょっと笑いがこみ上げてきたね。「俺、やべえな」って。
もちろん、わかってる。
これが全部、精力剤のおかげだなんて言うつもりはない。
「火事場の馬鹿力」みたいなもんだったのかもしれないし、強烈なプラシーボ効果だったのかもしれない。
でも、事実として、あの絶望的な状況を打破する“きっかけ”をくれたのは、あの不味い小瓶だったんだ。
俺は思ったね。
これ、別に“夜”だけのもんじゃねえぞ、と。
これは、現代社会を戦い抜くための、サラリーマンの最終兵器なんじゃないか?と。
精力剤は「日常のブースター」という新解釈
その日を境に、俺の精力剤に対するイメージは180度変わった。
もちろん、毎日ガブ飲みするようなもんじゃない。それはわかってる。依存したら終わりだ。
でも、「ここぞ!」という時の、お守りみたいな存在になった。

例えば、
・絶対に失敗できないプレゼンの日の朝。
・子供の運動会で、他のパパたちに負けられない徒競走の前。(まあ、負けたけど)
・徹夜でゲームのイベントを走りたい時。(おい)
・休日に、朝から晩まで家族サービスで運転手兼荷物持ちをやらなきゃいけない時。
わかるか? この感じ。
俺たちが欲しいのは、ムフフな活力だけじゃない。
平日の夜、疲れ果ててソファで死体になるんじゃなくて、子供とちょっとだけ遊んでやれる体力。嫁さんの話を、ちゃんと目を見て聞いてやれる気力。溜め込んだ録画ドラマを1本観る、ささやかな“余力”。
そういう、日常のほんの些細な「あと一歩」を踏み出すためのエネルギーなんだよ。
昔、「24時間戦えますか」なんてCMがあったけど、無理に決まってんだろ、そんなもん。俺たちは戦いたくて戦ってるわけじゃねえ。戦わざるを得ない状況に追い込まれてるだけだ。だったら、使えるもんは何でも使って、少しでも有利に、少しでも楽に戦ったって、いいじゃねえか。誰に迷惑かけるわけでもないんだから。
ちょっと脱線するけどさ、そもそも「精力」って言葉のイメージが偏りすぎなんだよな。辞書で引いてみろよ。「精神・肉体の活動する力。元気」って書いてあるぜ。ほらな? 別に下ネタじゃねえんだよ、本来は。
仕事する力も、遊ぶ力も、優しくする力も、全部「精力」なんだ。
そう考えると、精力剤ってのは、俺たちの失われた「人間らしい活動力」を取り戻すための、まあ、一種のカンフル剤みたいなもんじゃないかと思えてくる。
もちろん、良いことばかりじゃないぞ(一応言っとく)
ここまで持ち上げといてアレだけど、もちろん手放しで絶賛するつもりもない。
さっきも言ったけど、常用は絶対にダメだ。
あれは、いわば“体力の前借り”だからな。
ブーストが切れた後の虚無感、ハンパないぞ。次の日、倍になって疲れが押し寄せてくる感覚がある。だから、本当に「ここぞ」という時だけにしないと、マジで体を壊す。
根本的な解決策は、やっぱりバランスの取れた食事、質の良い睡眠、適度な運動。これに尽きる。わかってる。百も承知だ。
でもな、それができりゃあ、苦労しねえんだよ!
「毎日7時間寝ましょう」「3食しっかり食べましょう」「週に2回は運動しましょう」
…できるか、そんなもん!
それができない現代社会の構造にこそ、問題があるんじゃねえのか?
って、まあ、社会に文句言っても始まらないから、俺たちは俺たちで、自分の身を守る術を身につけるしかないんだよな。
だから、俺のスタンスはこうだ。
基本は、自力で頑張る。飯食って、寝る。
でも、どうしようもなく追い込まれた時のために、机の引き出しの奥に“最終兵器”を一個だけ忍ばせておく。
それがあるだけで、「まだ俺には奥の手がある」っていう、精神的なお守りになる。プラシーボかもしれんが、それで心が少しでも軽くなるなら、安いもんじゃないか?
結論:男なら…っていうか、人間なら。
さて、長々と語ってきたけど、結局何が言いたいかっていうとだな。

「男なら精力剤を飲んでパワフルに動く」

このフレーズ、やっぱりちょっと古臭くて、マッチョイズムが過ぎるよな。俺もそう思う。
でも、言葉を少しだけ変えてみよう。
「自分のパフォーマンスを最大化するために、使えるもんは何でも使って、このクソったれな社会を生き抜いていく」
どうだ?
こっちなら、なんか、しっくりこないか?
それは男とか女とか、もう関係ない話だ。
サプリメントだって、健康食品だって、エナジードリンクだって、全部同じだろ。自分のコンディションを整えて、今日一日を乗り切るためのツールだ。精力剤も、その選択肢の一つに加えたって、別にいいんじゃないか、って俺は思うんだよ。
もちろん、誰にでも勧められるもんじゃない。
体質に合う合わないもあるだろうし、そもそも、そういう“ケミカル”なものに頼るのが嫌いな奴もいるだろう。それも一つの立派な考え方だ。
だから、俺は別に「お前も飲めよ!」なんて言うつもりは毛頭ない。
ただ、もし、かつての俺みたいに、お前が今、心身ともにどん底で、藁にもすがりたいと思っているなら…。
コンビニやドラッグストアの、あのちょっと気まずいコーナーに、一つの「可能性」が転がっていることだけは、教えておくよ。
それに手を伸ばすか、伸ばさないか。
そんなもんは、お前自身が決めろ。
俺?
俺は…まあ、明日も大事な会議があるからな。
今夜あたり、またお世話になるかもしれねえな。
じゃあな。お互い、なんとか生き延びようぜ。

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