どうも、けちろーです。
20代の頃は物販ビジネスで年収3000万稼ぐ!
みたいなガッツが私にもありました。
一言でいうと若気の至り、俺のイタリ
アンですが、
しかし、ある日ふとガラスを覗き込むと、
そこには疲弊しきった私の姿が映しだされていました。
そもそも何でそんなにお金を稼ぎたいのか?
仕事をしないで自由な時間を手に入れたいからです。
「それなら3000万も稼ぐ必要ある?」
「え!?あなたは誰?唐突すぎてこわい」
「私? 私は私、もう一人の私だよ」
「出たー!」
「まあ、聞けよ。
お金を稼ぐほどお金を使わなきゃならなくなるだろうし、
お金が増えるという事は、日々の生活コスト、コスト感覚も大きな振れ幅になって、
お金に翻弄される人生になるのが目に見えているよね?それってリスクも大きくなるよね?
それに高級車に乗って、ブランド品をチラつかせて
女の子横に乗せてるお金持ちって本当にかっこいいと思うか?」
「う、うーんそりゃあ、おも、いや…正直わからない
どちらかというと関わりたくないかな…」
「そうだよな?惨めになるもんな?そもそも、けちろーには似合わないし、
似合わない服を無理やり来てるのってダサいよな?」
「う、うん、でも一度は…」
「一度?一度でいいならレンタカ―でもいいよな?
コミュ障のお前の隣にはマネキンで十分だしな。そもそも
お前には軽トラでランニングスタイルがお似合いなのはお前自身が
一番わかってるよな?何故背伸びをする?」
「そ、それは否定できない…」
「じゃあさ3000万は諦めて、1000万にしよう?
それなら現実的じゃない?」
「おお、いっ1000万か…
ま、まあ悪くないね!」
「ハァ?」
「え!?何?もう一人の私」
「お前な、1000万稼ぐのがどれだけ大変かわかってるのか?上位数%やぞ。
それは置いといて、3000万への意気込みはどこに消えたんだよ?
お前自身、お前のゴールが見えていないんじゃないのか?
お前はどうなりたいんだ?何の為に稼ぐんだ?」
「やっぱり…800万円で十分かなー」
「お前…」
そんなやり取りをおんぼろ2DKの風呂場でやり取りしていたあの日、
お隣さんは恐怖しただろう。
最終的に年収3000万から1000万、
800、700、600、500…と
下がっていき、とりあえず年収300万で落ち着いたのだが、落ち着くまでには
3年の月日が経っていた。
否、3年の月日が、3年の節約生活が
300万のフロー収入(で十分だわ)にまで答えを凝縮し
押し下げたのだ。
29才から毎年の資産増加は200万弱…
それを3年間。
そして31才と数か月を迎えた頃、
資産が1000万を超えた
資産が積み上がっていくにつれ
不安が薄まっていく感覚を味わった
のもこの頃からかもしれない。
そう、つまり、ストック(資産)にこそ価値があり、
それが増加していくにつれて、
フロー(毎月の収入)に執着する意味が感じられなくなった。
そして節約生活が、実は「コスト感覚(生活水準を決定づける最重用要素)」を大幅に押し下げ、
小さな事で小さな幸せを感じ取れる体質に知らぬ間に変化させていたのである。
例えば、お金持ちが3万円の高級フレンチ食べ過ぎて舌がバグってる間に、
私はサイゼリ〇の300円のドリアで、それ以上の感動を得れるのだ(?)
「節約を体得したコスト感覚」は生活における最強のスキルである。
つまり、感覚の話だけならば
私が貯めた1000万は私の最強スキルによって1億円の価値にも化けるのだ。
(それは言いすぎだが、一般的な人の生活コストと比較しても最低2倍の価値はある。
1000万だがそこにあるのは2000万以上の資産なのだ)
つまり、ストック(資産)と洗練されたコスト感覚があれば鬼に金棒なのである。
年収が1000万ある人でも生活がカツカツな人はこのどっちかが欠乏している。
或いはどっちもない。
年収300万でも上記を身に着け、時間を味方につけることで
十分、アッパーマス層(純金融資産3000万)にも準富裕層(5000-1億)にだってなれるのだ。
年収を追いかけても理想との差は永久に縮まらずに
幸せは遠のいていく
年収に追いかけられる事でしか幸せには近づけない
年収に追いかけられるには資産を増やすしかない
資産を増やすには
投資をはじめ、お金にお金を稼いでもらう。
そしてそれは可能な限り早いほうがいい(今すぐにでも)