山ってなんだろうか?
普段、平地であまりにも便利で快適すぎる生活を送っている私たちは、山というものをあまりにも特殊なものとイメージしている。
時代が進めば進むほど生活は本当に便利になっている。あなたは知っているだろうか?「アレクサ」という言葉を。
話しかけるだけで様々な指示を的確に実施してくれる機械のことで、指示する際の合言葉が「アレクサ」らしい。
「アレクサ!灯りつけて」
「アレクサ!音楽流して」
「アレクサ!TVつけて」
はっきり言って驚愕の一言である。人の言葉を的確に理解し、その指示を実行に移すということを可能にする技術もそうであるが、人のモノグサもここまで来たか!ということにも私は驚きを隠せない。
かつて私が青春時代を過ごした4畳半の安アパートには、何もなかった。もう30年以上も前のことである。
風呂、トイレは共同で、湯を沸かすことくらいしか出来ないくらい小さなキッチンが供えてあるだけのアパート。今の便利さと比較すると、もはや別世界、別次元であった。
そんな中で唯一私が行なった便利さの追求といえば、夜布団の中にもぐりこんだ状態で灯りを消すことができるといった工夫くらいであった。
何やら機械を買ってきてボタン1つで消灯できるようにした・・・というものではない。単に灯りの紐を布団に届く長さまで延長しただけのことである。
それもまたある意味モノグサのなせる技であるが、今のモノグサには遠く及ばない。
結局人はモノグサな生物であり、他の生物と比較して頭が進化しすぎているため、モノグサの追求が可能になってしまうのである。
私はそんなモノグサな流れに敢えて逆行を試みることにした。それが、この「山生活推進協会」である。
人はモノグサな生活を追求し続け、それは「アレクサ」という究極の形で実現するに至った。
しかし、その「アレクサ」を手に入れてしまった人は、逆に何かを失ってはいないだろうか。
私は昔から登山が好きだ。山に登り、山頂からの景色や達成感は普段のストレスを解消してくれるし、何よりも登山という有酸素運動は日頃の運動不足解消に適している。健康にも良い。
中でも山でのテント泊は、私にとって無くてはならない貴重な時間の過ごし方である。
普段の生活で当たり前のように使っている便利グッズが何もない世界。電気、ガス、水道もなく、灯りも冷蔵庫もテレビもない。「アレクサ!」と叫んでもむなしく山にこだまするだけ。
そんな中で一晩過ごすと、普段は決して気づくことのない虫の小さな鳴き声や風の音、葉の擦れ合う音、そして満天の星に意識が向くことになる。
便利さに満ちた普段のモノグサとは正反対の世界であるが、そこには息をのむほどの美し世界があり、ありとあらゆる生き物たちの活動の証があり、息遣いがある。
モノグサを手に入れることによって、人はそんなあまりにも美しい世界を忘れ去ってしまったのである。
私にとって山とは、そんな世界を再び手に入れることができる世界であり、人が本来持つ野生の感覚を取り戻す世界なのである。
そして便利さではなく、楽しさを山という舞台で追求することで、山での生活の素晴らしさをもう一度見直すことに「山生活推進協会」発足の意図がある。
「便利さ」ではなく「楽しさ」と「不便さ」
これを山で追求した先には、一体何が待っているのか?そんな思考実験もまた「山生活推進協会」の目的である。