この文章はダミーテキストです。テキストをクリックすることで編集が可能です。フォントの太さやサイズ変更、カラー変更もできます。左揃え、中央揃え、右揃えなどの位置調整もできますので、サイトに合わせて変更してください。また、テキストにリンクを貼ることもできます。
この文章はダミーテキストです。テキストをクリックすることで編集が可能です。フォントの太さやサイズ変更、カラー変更もできます。左揃え、中央揃え、右揃えなどの位置調整もできますので、サイトに合わせて変更してください。また、テキストにリンクを貼ることもできます。

管理人プロフィール

 

【医療介護の現場で看護師(約30年)、防災減災アドバイザーとして講演活動】
    *第5回 ミセス日本グランプリ受賞。(2012年度)

昭和63年:国立療養所近畿中央病院付属看護学校を卒業後、同病院の呼吸器内科勤務。
    (現:独立行政法人 国立病院機構 近畿中央胸部疾患センター)

平成2年:同病院のドクターが独立開業するにあたり、立ち上げリーダーとして転職。
    (兵庫県へ転居) 

平成7年:長男を妊娠中に阪神淡路大震災で被災。当時は、災害に対する知識も備えもなく、
     水も食料も日用品も手に入らず…駅舎は倒壊、高速道路は落ち一般道も大渋滞
    (交通麻痺)で他県にある実家に帰ることもできず、2カ月間入浴できないなど不自由な
     生活を余儀なくされる。

平成12年:介護保険制度がスタートし介護支援専門員(ケアマネージャー)として、兵庫県西宮市
    役所の介護認定課にて年間450~500件の認定調査、窓口業務などの業務に携わる。

*夫の転勤に伴い5回の転居。病院、訪問看護、老人ホームやデイサービス等の高齢者施設で
 看護師として勤務しながら、医療介護分野や防災減災のセミナー講師としても活動。

当たり前だと思っていた日常の生活が、ある時を境に一転し『当たり前』ではなくなる大災害。
平常時からの備え(ソフト面・ハード面)の大切さを痛感し、防災減災について勉強を始める。

一人でも多くの方々に「大切な命を守るための備え」を!また発災時には「自分の命は自分で守る」行動につなげていただきたい!との強い想いが芽生える。

被災体験から得た教訓をもとに防災士・看護師・被災者の立場から、過去や最近の自然災害、
平常時の備え、発災時の対応、身近なものでできる応急手当や感染症対策などを、わかりやすく
解説します!
看護業務が忙しく営業活動はしておりませんが、口コミで商工会議所・自治体(市区町村・教育委員会)・法人会・病院・介護施設などから講演依頼があり、受講者は8000人以上。

【資格】
・防災士 ・看護師 ・介護支援専門員(ケアマネージャー)・認知症ケア専門士  
・医療福祉環境アドバイザー1級(感染予防&メンタルヘルス)
・福祉住環境コーディネーター ・福祉用具専門相談員 ・介護予防運動指導員
・メンタルヘルス・マネジメントⅡ種・Ⅲ種  ・心理カウンセラー1級認定  他多数

経歴

誕生!

大阪で、両親と兄の4人家族の長女として産声を上げる

小中高学校

・小学校:「学級崩壊」という言葉が誕生し社会問題となっていたが、窓ガラス1枚割れることのな
     ない、のどかな街で先生や友人・ご近所さんにも恵まれる。
    「健康が1番」「女は愛嬌!」が口癖の母のもと、毎日ご機嫌に過ごす。

・中学校:ブラスバンド部でフルート担当、勉強は好きだが、体育は苦手。
     貧血で朝礼の時によく倒れそうになっていたため、専用の椅子が用意されるように。
     通院していたクリニックの看護師さんが優しく、いつのまにか白衣に憧れる♬

・高校:茶道部、とにかく学校生活が楽しく、勉強も面白く順風満帆!だったのだが…
    スキー修学旅行にて前傾姿勢で転倒してしまい…膝の靱帯損傷(全治2ヶ月)
 

看護学校

初めての寮生活(3~4人部屋・3ヶ月に1度部屋替えがある)
1年生:生活リズムの違う人たちとの生活に戸惑う。座学が中心。
2年生:勉強と実習に追われまくり、実習先での厳しい指導に心が折れそうになることも…
3年生:とにかく必死に勉強と実習をこなし、無事に卒業&国家試験合格

21歳(看護師1年目)

夜勤(準夜・深夜勤務:月に各4~5回)夜勤が月に8回以上あり、なかなか体がそのリズムに慣れず…夜勤明けでも眠れないということがしばしば。
夜勤は2人勤務ということもあり、相手に迷惑や負担をかけないようにしなきゃ!と新人時代は、
プレッシャーを感じることも多く、3ヶ月目に体調を崩すが、徐々に、仕事や夜勤の生活リズムにも慣れて、仕事にやりがいや楽しみを感じる。

22歳(看護師2年目)

大きな詐欺事件に巻き込まれる!有難いことに、私の周りには良い人しかいなかったので、警察から事情聴取の呼び出しの電話がかかってくるまで、詐欺の被害者になっていることにも全く気が付かず…本当にびっくりした!後で母に「あら!高い授業料だったわね!世の中には、悪い人もいるから気を付けないとね。」と言われた。そういう事はもっと早くに教えて欲しかった…

23歳~(看護師3年目以降)

心身共にハードではあったが、患者さんから教わることも多く、また感謝の言葉を頂戴することで益々、仕事にやりがいと責任を感じるようになる。多くの患者さんと接する中で、健康の有難さをかみしめる。国立病院からクリニックへ転職。

28歳(看護師7年目)

阪神淡路大震災で被災。ライフラインがすべて普及するまで2ヶ月を要した。妊娠20週であったが、当時は高齢者や障害をお持ちの方、妊産婦に対する配慮がなされず…(のちに阪神淡路大震災は、災害元年と呼ばれ、この後、災害弱者と呼ばれるような方々への配慮がなされるようになった。)

食べ物も水も日用品もなかなか手に入らず…当たり前の生活がどれほど有難いものなのか、今まで衣食住の何不自由のない生活に、どれほど多くの方々が携わってくださっているのかを改めて感じた。
2ヶ月ぶりにガスが復旧!料理・入浴ができる喜びに胸が熱くなり、湯船につかった時は感動のあまり涙が止まらなくなる。

その数日後…妊娠29週の時に切迫早産で入院。一旦持ち直すが、35週の時に、児心音低下し、夜中に緊急帝王切開にて長男を出産。仮死状態で生まれる。呼吸障害、難聴、運動発達遅延もあり定期受診・施設にて機能訓練を受ける。小学校に上がる前に諸々の手術をし元気に育つ。

 

30歳代

長女出産。お宮参りの前日に、激しい腹痛に襲われ病院へ行ったところ、大腸憩室炎にて入院。
長女は重度の喘息があり、年に数回入院。病院内では顔パス!最後の入院は、小学校6年生。
その後の中学・高校では、卒業式で☆皆勤賞☆を頂く。元気に育ってくれたことに感謝。
ケアマネージャー他、資格取得。

40歳代

様々な職場を経験し、その都度、必要な専門知識をしっかり学び資格取得する。
東京に転居してきた時に、首都直下地震や東南海地震の危険が専門家から指摘されているにも関わらず、家庭も命を預かっている職場でも災害対策が整っていないのを目の当たりにし、助言をしているうちに、あちこちから(商工会議所・自治体
(市区町村・教育委員会)・法人会・病院・高齢者施設など)口コミで講演の依頼がくるようになる。

看護師をしながら、北は秋田県、南は長崎県まで講演に行くなど、気が付けばダブルワーク。
石巻や陸前高田の被災地支援に行ったり、各地で行われている防災イベントのお手伝いなど、ボランティアに積極的に参加。
45歳「第5回(2012年)ミセス日本グランプリ」受賞☆

 

50歳代

51歳の時、高齢者施設での激務(看護師の欠員状態が続いていた)家族の病気も重なり、多忙な生活を続けていたある日、倒れて救急搬送される。
倒れた際に左半身を強打し肋骨を骨折したが、頭部は異常なし。
施設での入居者さんの急変などで救急車に同上することはあったが、自分が患者として救急車で搬送されるのは初めての経験。
実はこのひとみの公式ブログ、
サイトCMS         で作ってます
ひとみがおすすめするサイポンで、サイト制作してみませんか?
\今なら、5ページまで無料!/