管理人プロフィール

管理人 じゅんいち

転職10回以上元ホテルマンの異色トラックドライバー。
過去20年間に、ホテルマン・不動産賃貸業・北海道にて馬の生産牧場・新電力営業・魚屋・居酒屋など様々な職種で経験を積み、現在コンビニ配送ドライバーとして日夜汗ダラダラで街を駆け巡る。今まで会社員として働いてきたが、常に心の中で「自分で稼ぐ力を身に付けたい!」「これからは個人で稼ぐ力がないと明るい未来は待っていない!」と思い、現在トラックドライバーの傍ら、株式会社エキスパートさんが開発・提供するサイトCMS「サイポン」を使ったホームページ作成の講師としても活動中。今後は独立起業を目指す!

経歴

1歳

生まれは京都桂病院。生まれてすぐ両親が離婚。母と祖父母と共に埼玉へ移り住む。

小学校時代

のどかな田舎町で小学校・中学校生活を送る。小・中学校時代、校内硬筆・毛筆展では常に金賞をもらい字には自信あり。小学校ではスポ少野球部、中学校ではサッカー部に所属し、球技は全般的に得意。山・川・田んぼが近くにあり、山登りや釣り、田んぼではザリガニ釣りをし外遊びばかりしていた。現在もやはりアウトドアは大好き。

高校時代

学生時代で一番好きな時代。色々な出来事があった青春時代。部活ではサッカー部に所属し副部長を務める。サッカーも上手く、イケメンであったため(自称)、沢山の女子に密かにモテていた(自分予測)。高校ではサッカーばかりしていたので勉強不足のため大学進学は考えずに、専門学校説明会で話を聞いて「カッコいいなあ」と思ったホテル学校へ進学する。

ホテル専門学校時代

「絶対良い経験になるから、金は出してやるから行って来い!」と、死んだじいちゃんの勧めで、在学中の夏に約42日間の北米研修に参加する。初めての海外旅行でアメリカへ行き、見るもの全てのサイズのデカさに驚愕する。2週間ノースカロライナ州の田舎町の、これまた日本にはないドデカいキャンプ場&ホテル施設にて、売店スタッフ・セルフサービスレストランのサラダ作り担当・食器洗い場担当としてボランティア活動をする。その時に共に働いた色々な州から来たアルバイトスタッフの仲間達との時間は最高の思い出。

20歳

プリンスホテルに入社。ロビーサービス係(ベルボーイ)として勤務。母子家庭一人っ子育ちで父親からの怒られ慣れをしていないため、まだまだクソ学生気分の自分に対し、先輩・上司達からこてんぱに叩きのめされる。現代ではパワハラになると思うが、この教育のお陰で社会人としての基礎を学ばせて頂く。一時期スキーリゾートのプリンスホテルへ出向し、ベルキャプテンとして当時の堤義明会長の受け入れなどを担当する。

23歳

他の一流ホテルでも働いてみたいと思いプリンスホテルを退職。働く前に英語の勉強も兼ね、ワーキングホリデービザを取得しニュージーランドクイーンズタウンへ。滞在中ノボテルクイーンズタウンにて、ハウスキーピング・ランドリー係として勤務。またボロ車でのニュージーランド南島一周ドライブでは、改めて地球の壮大な美しさ・景色に感動する。高さ134メートルのニュージーランド最高峰バンジージャンプに挑戦。ダイブ瞬間はチビリそうだったが、ダイブ後は爽快感に包まれる。

24,25歳

ニュージーランドより帰国し、アルバイトスタッフとして西新宿の某有名外資系ホテルのレストランにて勤務する。もちろん仕事は厳しかったが、サービスレベルが高く意識の高いスタッフが揃う環境での勤務は非常に勉強になり楽しかった。そこで仕事を続けることもできたが、海外のホテルで働くことを目指しそのホテルを退職する。自力での海外ホテル就職は難しいと思い、インターンシップ会社を通じての渡航を決意。それにはお金が必要なので1年間コンビニ配送ドライバーとして働き200万円を貯め、中国青島にある某有名外資ホテルチェーンでの勤務が決まる。

26歳

日本人スタッフとして勤務が始まったが、当初は日本人スタッフが自分一人で他のスタッフはもちろんほぼ中国人の中の完全アウェー状態と、日本人のお客様からのコンプレイン対応でひどく怒鳴られる事が多々あり、人生初めてホームシックにかかる。しかし、その状況でもなんとかサービス向上を図るべく、全ての日本人のお客様に対し自分の携帯番号を渡し24時間対応を行う。怒鳴られることにも慣れてきた頃、180度一気に考え方・意識が変わり、ホームシックも無くなりもう大丈夫やっていけると確信する。

29歳

中国でのホテルとはまた別の某有名外資ホテルチェーンが東京に初進出が決まり、そのオープニングスタッフとして勤務する事となり日本へ帰国する。しかし長続きはせず1年も経たずに退職する。その後自分の目標を見失い低迷期を迎える。

30歳

不動産会社に就職し賃貸業務を行う。ホテル業と同じ接客業だったので楽しかったが、自分の勤務する東京支店の業績が思うように上がらず閉める事となり、そのタイミングで自分も退職する。東京に住む意味が無くなり地元埼玉へ戻ることを決意する。

31歳

とにかく働かなければとの思いだけで、以前お世話になった運送会社に再就職する。運行管理者資格を取得し、新人教育担当業務をこなし、また大手運送会社だったため、ボーナスも頂く事ができ給料も安定していて生活には問題なかったが、本当にやりたい事ではなかったので常に心にモヤモヤを抱えて勤務をしていた。

39,40歳

その姿を見兼ねた従兄弟からの誘いで、その従兄弟が経営する競走馬の生産牧場で働くことを決意し運送会社を退職。北海道へ単身移り住む。約1年間働かせてもらったが、やはり自力で稼ぐようになりたい、また地元に残してきた家族に対する思いもあり、もう一度ゼロからやり直そうと地元埼玉へ戻ることを決意する。

41,42歳

その後フルコミ営業や、縁あってまた単身で神奈川県湯河原町に移り住み、昼間は小田原の魚屋で夜は熱海の居酒屋で働いていた。しかし現在は一つの目標ができたので、地元埼玉に戻り、また以前とは別のコンビニ配送会社に就職し働かせて頂きながら、その目標を追いつつもがきながら奮闘中。
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