今日は何の日
7月 24日は
「マチュピチュが発見された日」です。
7月 24日は
「マチュピチュが発見された日」です。
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一度は行ってみたい
世界遺産ランキングで
常に上位をキープしているのが
「マチュピチュ」です。
1911年のこの日
アメリカの考古学者ハイラム・ビンガムが
地元民の案内で
マチュピチュを発見しました。
アンデス山脈の
標高2430mの尾根にある都市遺跡で
1400年頃に
建設されたとみられています。
マチュピチュ(老いた峰)と
ワイナピチュ(若い峰)の
挟まれた尾根にあり
その姿を麓からでは
確認することができないことから
「空中都市」「失われた都市」
などと呼ばれています。
この都市はインカの王族や
貴族のための避暑地としての
冬の都(離宮)や
田舎の別荘といった種類の
ものでもあり
遺跡には大きな宮殿や
寺院が王宮の周囲にあり
そこでの生活を支える
職員の住居もありました。
マチュ・ピチュには
最大でも一時に約750名の住民しか
いなかったと推定され
雨季や王族が不在の時の住民は
ほんの一握りであったと
推定されています。
この都市はインカの王
パチャクティ(Pachacuti)の時代の
1440年頃に建設が着手され
1533年にスペイン人により
征服されるまでの約80年間
人々の生活が続いていました。
斜面には段々畑が広がり
水道や排水設備も整っていました。
インカの神は
日本やエジプトと同じく
太陽神であるため
太陽により近い山の頂(いただき)は
儀礼場として適当で
マチュピチュに存在する建物は
太陽の観測をすることを目的として
作られていることがわかっています。
神殿の畑など
耕作地で栽培された農作物は
神への供物として栽培されて
神が人間に下賜されたものとして
人々が食べていました。
発見から100年以上が経った今も
多くの謎を残し
研究や調査によって
当時の人々の暮らしが少しずつ
分かってきているという段階です。
日本から出発し
マチュピチュに到着するには
かなりの時間がかかります。
まずはペルーの首都リマへ。
日本からの直行便はないので
ロサンゼルス、ダラス、ヒューストン
アトランタ、メキシコ等を経由し
所要時間は21~22時間かけて移動し
そしてリマからクスコまでは
国内線で1.5時間ほど
さらに電車で約3時間
麓のマチュピチュ村からは
バスにて約30分。
バスが止まったところが
マチュピチュ遺跡の入り口です。
マチュピチュの見どころとは
美しい石組みの建造物です。
見張り小屋、インティワタナ(日時計)
天体観測の石、コンドルの神殿などは
押さえておきたいスポットです。
特に太陽の神殿の美しい曲線と
冬至と夏至を判断していた
東側の窓は要チェックです。
マチュピチュ遺跡が
世界文化遺産に登録された当初
世界各国から
友好都市協定への打診を受けましたが
マチュピチュ村で
かつて村長を務め
マチュピチュの発展に尽力した
野内与吉が
福島県安達郡
大玉村出身であることから
マチュピチュ村側から
大玉村へ締結の打診をし
2015年12月26日
福島県安達郡大玉村が
マチュピチュ村にとって
初の友好都市協定を結びました。
ここからは
マチュピチュに因む商品を
紹介します。
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NHKスペシャル
失われた文明
インカ・マヤ マチュピチュ
天空に続く道 [DVD]
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世界遺産マチュピチュに
村を創った日本人
「野内与吉」物語
- 古代アンデス文明の魅力
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