今日は何の日

2022/07/28

7月 28日は
「地名の日」です。

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日本地名愛好会が
2008年(平成20年)に制定しました。

日付は
アイヌ語地名研究家
山田秀三
(やまだ ひでぞう1899~1992年)の
命日であり

地名研究家
谷川健一
(たにがわ けんいち1921~2013年)の
誕生日であることから。

地名の理解と関心を
高めることが目的だそうです。

北海道には
難しい地名が多くありますが

これは江戸時代以降
北海道に和人
(日本人)が入るようになり

アイヌの土地名に
漢字を当てて地名としたからです。

例えば
札幌:サッ・ポロ・ペツ
(乾いた大きな川)

小樽:オタ・オル・ナイ
(砂浜の中の川)

苫小牧:ト・マク・オマ・ナイ
(沼の奥にある川)

稚内:ヤム・ワッカ・ナイ
(冷たい飲み水の川)

釧路:クスリ(温泉水)など。

東京の地名の由来としては
 

例えば 「神田」

その昔、伊勢大神宮に
稲の初穂を納める田んぼ
=神田(しんでん)が あったことに由来します。

「永田町」

この地にあった永田性の旗本屋敷が
並んでいたことに由来します。

「八重洲」

この地に住んでいたオランダ人船員の
ヤン・ヨーステンの名前に由来します。

彼は江戸時代に日本に漂着し
後に徳川家康に仕えた人物で

国際情勢顧問や通訳として活躍し
家康からこの地に邸を与えられました。

「ヤン・ヨーステン」が訛って
日本名として「八代洲(やよす)」となり
「八重洲(やえす)」になったそうです。

「八丁堀」

寛永年間(1624~1644年)に
船を通すため 海口より長さ八町
(約872m)の堀を
作ったことに由来します。

当初は「八町堀」と呼ばれていましたが
その後、「町」が略字の「丁」となり

1931年(昭和6年)
町名として「八丁堀」が誕生しました。

「田園調布」

1918年(大正7年)以降
実業家・渋沢栄一
(しぶさわ えいいち1840~1931年)らが
設立した田園都市株式会社により

「理想的な住宅地」として開発され
「田園調布」と名付けられました。

それ以前は「調布村」といい
自生する麻や苧
(からむし:イラクサ科の多年草)の皮を

玉川で晒し、砧(きぬた:木や石の台)で打って
布を作り献上していた村で

「調」は「みつき」ともいい、昔の税のことで
貢ぎ物として布を献上していたことが
村の名前の由来となっています。

「柴又」

かつては「嶋俣(しままた)」といい

「嶋」はデルタ状の土地
「俣」は河川の合流地点という意味。

戦国時代に「しままた」から
「しばまた(柴俣)」に変化し
江戸時代に「柴又」が定着しました。

正式な町名になったのは
1967年(昭和42年)で

「男はつらいよ」第1作公開の
2年前のことでした。

「渋谷」

地名の由来について諸説あり

鎌倉時代には潮入りの場所であり
かつての渋谷川には
海水が流れ込んでいたことから
「塩谷(しおや)」と呼ばれたという。

その後、現在の神奈川県に位置する
相模国(さがみのくに)の武士
渋谷氏がこの地に居住したことから
現在の地名になったという説があるそうです。

その他にも
渋谷を流れる「渋谷川」の名前に由来する説。

地形上の「谷」であることは明白で
「渋」については
川を流れる水の色が赤茶色の
「渋色」であったことに由来する説。

その川の色は
酸化した鉄分を含む赤土の
関東ローム層によるものであり

現在も渋谷で湧いている井戸水には
多くの鉄分が含まれています。


 

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