今日は何の日
10月 8日は
「足袋の日」です。
10月 8日は
「足袋の日」です。
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「10月」は
七五三・正月・成人式と
和装で足袋を履く季節の前にあたり
「8日」は
「八」が末広がりで
縁起がよいことから
この日が選ばれ
和装文化に欠かせない
足袋の魅力を
多くの人に知ってもらうことを目的に
日本足袋工業会が制定しました。
足袋(たび)とは
和装の際に足に直接履く衣類の一種で
木綿の布でできたものが一般的で
小鉤(こはぜ)と呼ばれる
特有の留め具で固定します。
日本固有の伝統的な衣類で
草履・下駄・雪駄などを履く際に
用いるため
親指と人差し指の部分で
袋が2つに分かれています(叉割れ)。
また、丈夫な生地で作られた本体に
ゴム底を貼り付け
直接屋外で
履くことができるようにした
地下足袋(じかたび)と呼ばれる
足袋もあります。
足袋の起源は
奈良時代には存在したとされる
シタウズ(襪)と呼ばれるもので
富裕階級が用いた
指の股の分かれていない
鹿皮の一枚物から作られた外履きで
単皮(タンピ)とも呼ばれ
この単皮(タンピ)が
足袋(たび)の語源とされています。
室町時代から安土桃山時代にかけ
特に紫色の革足袋が流行し
今日の歌舞伎、舞踊、狂言の
色足袋に名残がみられます。
江戸時代になっても
革製の足袋が多く
そのの材料は
外来ものが多かったそうです。
中国渡来の物を小人革と呼び
革うすく肌こまかに柔らかだったそうです。
それまで一般的だった革足袋は
寛永16年(1639年)の鎖国令や
明暦3年(1657年)の明暦の大火で
次第に不足していき
それにかわって
履き心地の良い木綿足袋が
男女ともに普及しました。
その初期において
木綿足袋は長崎足袋とも呼ばれ
これは肥前国名物であったためとされ
白木綿・無地染のほかに
箔絵の足袋や、
染分け足袋も あったそうです。
寛永ころの足袋は
うねざしにした足袋が流行だったようです。
(「東海道名所記」より)。
うねざしとは
さらし木綿に絹糸で刺したもので
うねざしの足袋は
元禄に至るまでも流行したと見え
西鶴の「一代女」にも
その記述があります。
当時の足袋は
足首の部分を覆うほど
筒が長かったそうです。
当時の女性の内職に
足袋さしがあり
アヤ織の厚い木綿地
「雲斎織」などが出現しました。
西鶴の「一代男」には
「雲斎織の袋足袋」との記述があり
袋足袋とは
糸をさしてない足袋のことで
雲斎織は
当時の伊達者たちに愛用されていたらしく
一般は、うねざしの木綿足袋を
履いていたようです。
その他、贅沢な繻子足袋や
小紋の足袋もあったそうです。
享保になって
はじめて筒の短い足袋が一般化し
これを半靴と称しました。
また徳川吉宗は
鷹狩りに紺足袋を履いたので
それが武家風俗に入り
やがて町人も真似することになりました。
製法も次第に精巧になり
表の生地や底の生地の耐久力も増して
底は雲斎や刺底によって
木綿底より強くなりましたが
なお破損しやすいので
信州から産出した
信州裏が専用にされました。
足袋は歩く際
足の指でしっかりと地面をつかむので
筋肉が自然と鍛えられるので
健康に良く
外反母趾の予防にもなるそうです。