卑弥呼の早期退職日記【1141】
卑弥呼は
39年の看護師生活のほとんどは
料理しないから
キッチンはいらないと思う程(笑)
外食生活だったのですが
1998年に
千葉市緑区あすみが丘の
定期借地権の土地に
一戸建てを建てた1年後に
妹が離婚して
3人の子供を連れて来て
その家で
一緒に住むことになりました。
当時小1の甥っ子と
1歳の姪っ子と
生後3か月の
赤ちゃんだった姪っ子を
妹と共に
長男が中学3年までの
9年間
育児をしてきました。
妹も
看護師だったので
すぐに
老人ホームで
看護師として働き始めたので
3交代制の
卑弥呼とは違い
妹の夜勤は
夕方に出勤したら
次の日の
昼頃に帰宅するので
妹が
夜勤の日には
卑弥呼が
休みを取るか
夕方出勤する
準夜勤務にしてもらい
母親である
妹が夜勤で不在の日は
当然ですが
甥っ子と姪っ子の
夕飯を作り
食べさせ
お風呂に入れて
寝かしつけて
朝は
なかなか起きない
甥っ子を起こし
朝食を食べさせて
小学校にを送り出し
姪っ子の
お姉ちゃんを起こして
朝食を食べさせて
妹は
赤ちゃんなので
ミルクを飲ませて
双子用の
ベビーカーに乗せて
2Km先の
土気駅の裏にある保育園に
送り届けていました。
妹は車を運転しますが
卑弥呼は
免許がないので
もちろん
徒歩でです。
今は駅に
エレベーターがありますが
当時は無かったので
駅の階段を
先にお姉ちゃんを
下に降ろして
そこで待っててもらい
赤ちゃんを載せたままの
ベビーカーを持ち上げつつ
階段を降りて
とっても大変でした。
保育園の年長さんに
なった頃には
卑弥呼の
スクーターに
3人乗りで
通園していました。
↑↑
本当はダメなんだけど(笑)
甥っ子が
反抗期の時には
母親である妹が
夜勤の際
卑弥呼が
いつも母親が言っている事と
同じ事を
注意したりすると
「てめぇは親でもないのに
うっせーんだよ !!!! 」と
捨て台詞を言って
部屋に戻り
その後
ボカスカと壁を殴ったり
蹴る音がして
甥っ子の部屋の壁に
穴が開いて…を繰り返していて
一緒に住まない方がいいとなって
身が軽い卑弥呼が
徒歩圏内の
近くのアパートに
移り住みました。
その4年後に
妹が
近くに中古物件を購入し
引っ越したので
卑弥呼が
自宅に戻りました。
ここまで読んでいただき
ありがとうございます。
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