アセクシュアルという個性

2020/08/03

LGBTから更なる多様性

LGBTという言葉は、ようやく認知されはじめましたが、これ以外にアセクシュアル、ノンセクシュアル、Xジェンダーなど、更に多様な状態が指摘、報告されるようになっています。

アセクシュアルは、無性愛と訳されています。他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かないこととされています。

これと似た言葉に、ノンセクシュアル、非性愛というものもありますが、こちらは他者に対して恋愛感情は持ち得たとしても、性的欲求を抱かないこととされ、アセクシュアルと区別されています。

また、Xジェンダーというのは、身体的性に関わらず、性自認が男性にも女性にもあてはまらないセクシャリティーのことを指します。Xジェンダーは更に以下のように細分化されています。
・中性…男性と女性の中間との性認識
・両性…男性、女性の両方であるとの性認識
・無性…男性、女性のいずれでもないとの性認識
・不定性…時々において変化し流動的で定まらない性認識

 

普通って、一体何だろう

LGBTやアセクシュアル、ノンセクシュアル、Xジェンダーなど、普通に生まれた人には想像しにくいかもしれませんし、そこまで考えたこともないという人も少なくないかもしれません。

しかし、一体”普通”とか”一般的には”って何でしょうか?
極端に言ってしまえば、「一人ひとりが唯一無二の個性を持った存在」と言えるはずです。二人として同じ人はいないのですから。
しかし、多くの人々の中に見られる共通点を”普通”と、言ってしまいます。
よく考えると、ちょっとおかしいですよね。
”普通”という言葉は、”広く通用する”とか、”凡庸”、”平凡”ということであり、
対義語は、”特異”、”特殊”、”奇異”などです。

一方で、”異常”や”異状”は、正常ではない、通常ではないという意味ですから、普通の対義語としてもおかしくはありませんが、ネガティブな意味合いが強くなりますね。

特に同調圧力の強い社会環境においては、普通であること、みんなと同じであることがよしとされ、異質は排除される傾向があるように感じます。

しかし、先にも述べたように
「一人ひとりが唯一無二の個性を持った存在」 だとすれば、それぞれにとって異質の面を相互に持っているはずです。
ところが、その異質の面を無視したり、自覚している場合は外に出さないようにしたり、
「違いを認めない、理解しようとしない」という状態になってしまうのだと思います。

みんな一緒で波風立てずに…

突出した人、極端に低い人、変わった人はいないものとし、みんな一緒だよね、
細かいところは違うかもしれないけど、大筋は同じだよね…
ということで、議論することさえ避けようとしてしまう。

確かに異質、異論を理解することは、多大な忍耐とエネルギー、そして時間を要します。
しかし、そうしなければ本当の意味で理解しあうことはできないはずです。

波風立てずに、相互理解も進まない表層の平穏は、小さなきっかけで簡単に崩れ去ってしまいます。

異質に出会ったときに、戸惑い、困惑し、無視し、排除したいと感じるのは、生存本能、防衛反応に他なりませんから、意識していなければ、ついそのような反応になってしまいがちです。
しかし、これでは、個人も社会やチームも成長しません。

 
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