東京裁判

2020/08/10

NHKドラマ「東京裁判」

8月になると、先の大戦がらみの番組が必ず出てくる。昨日たまたま夜にNHKドラマ「東京裁判」の後半を視聴した。

東京裁判は、東京帝国ホテルに戦勝国11か国11名の判事たちが集まり、ナチスを裁いたニュルンベルク裁判で新しく制定された「平和に対する罪」、国際法でそれまで合法とされていた「戦争」そのものを史上初めて罪とし、国家の指導者個人の責任を問うというものであった。

詳細経緯はドラマや書籍に譲るが、戦勝国による裁判だから、敗戦国に勝ち目はない、と単純には言えない。勝戦国の判事とはいえ一様ではない。弁護側の「平和に対する罪」が事後法であるとして否定する論に最後まで理解を示し、多数派に反対意見を述べていた判事もいた。

が、そもそも
「平和に対する罪」を問うのならば、何故それが敗戦国だけに問われなければならないのか。戦争を散々仕掛けた勝戦国側の罪は、より重いのは当然ではないだろうか。

そして今…

「平和に対する罪」が70年以上前に議論されはじめ、それを機に国際的機関も設立されている。
日本は、平和憲法を制定せられ、戦争放棄、軍を持つことも放棄せられた。
先にも述べたとおり、戦争は、結果としての勝戦国、敗戦国となるが、戦う相手があってのこと成立すること。平和に対する罪、責任は両者にあるはず。日本だけが軍を有せず、戦争をしないという姿勢を保ってみたところで、単なる無抵抗なカモになるだけ。

第二次大戦での勝戦国側の意向でしかないことは明らかであり、今となっては、国連を見てもハッキリしている。

ドラマ「東京裁判」の判事たちの議論の中で、「真珠湾攻撃」「南京虐殺」など、今では明白な歴史的な捏造事件を根拠として日本の指導者を裁いている。それらを声高に主張し死刑を求めていたのは、米中露英などの判事である。彼らには公正さはない。あくまでも自国の国益を優先した判事たちであった。

舞台に立つ役者は変わっているが、この世界体制は現在まで続いている。
しかし、その体制が今大きく変わろうとしている。

社会をよりよく、誰もが住みやすい地球にするために、
日本もいい加減、洗脳されてきた”自虐史観”と、何でも”戦争反対”の思考停止状態から覚醒し、
再び責任ある主体として活躍すべき時だと思う。 
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