山王神社「奇跡の鳥居」 長崎原爆直後
2020/08/15
山王神社
山王神社(さんのうじんじゃ)は、長崎県長崎市坂本に鎮座する神社。村社であった山王神社(日吉神社)と県社の皇大神宮(こうたいじんぐう)とが合併(皇大神宮側に合祀)して創祀された神社で、浦上皇大神宮(うらかみこうたいじんぐう)とも称され、また山王日吉神社(さんのうひよしじんじゃ)とも呼ばれている。
長崎市への原子爆弾投下において鎮座地が爆心地から約800メートル[2]の地点に位置したために被爆し、その跡を残す一本柱鳥居や、熱線により裸同然となりながらも豊かな緑を取り戻した楠で有名。
※ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋
長崎市への原子爆弾投下において鎮座地が爆心地から約800メートル[2]の地点に位置したために被爆し、その跡を残す一本柱鳥居や、熱線により裸同然となりながらも豊かな緑を取り戻した楠で有名。
※ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋
二の鳥居(一本柱鳥居)
上の写真のように、爆撃直後において、一の鳥居は無償で残りました。写真右の、後方に見える赤枠の部分です。
二の鳥居は、無償ではありませんでしたが一本足で残りました。
神社の二の鳥居は原爆の爆風により片方の柱が吹き飛んだ状態で立っており(倒壊部分も参道脇に現存)、現存する原爆の被爆建造物となっている。
原爆投下により周辺は焼け野原になり、4基あった鳥居も一の鳥居と二の鳥居を残して倒壊したが、一の鳥居は無傷で、二の鳥居は爆心から遠い片方の柱と爆風によりねじれて角度がわずかに変わった笠石の半分を残して立っていた。
その後の調査等により、両鳥居は爆風の向きと平行して建っていたために全壊を免れたといわれているが、1962年(昭和37年)に一の鳥居も交通事故により倒壊し、跡地に案内板が設置されるのみとなった。
また、三の鳥居は倒壊した柱の一部が地元自治会により「坂本町民原子爆弾殉難之碑」として残されている。1993年(平成5年)に被爆者団体が一の鳥居の復元を長崎市に陳情[5]したものの実現していない。このため、二の鳥居は神社に立った状態で現存する唯一の鳥居であり「片足鳥居」とも呼ばれる。
※ウィキペディア(Wikipedia)より 抜粋
二の鳥居は、無償ではありませんでしたが一本足で残りました。
神社の二の鳥居は原爆の爆風により片方の柱が吹き飛んだ状態で立っており(倒壊部分も参道脇に現存)、現存する原爆の被爆建造物となっている。
原爆投下により周辺は焼け野原になり、4基あった鳥居も一の鳥居と二の鳥居を残して倒壊したが、一の鳥居は無傷で、二の鳥居は爆心から遠い片方の柱と爆風によりねじれて角度がわずかに変わった笠石の半分を残して立っていた。
その後の調査等により、両鳥居は爆風の向きと平行して建っていたために全壊を免れたといわれているが、1962年(昭和37年)に一の鳥居も交通事故により倒壊し、跡地に案内板が設置されるのみとなった。
また、三の鳥居は倒壊した柱の一部が地元自治会により「坂本町民原子爆弾殉難之碑」として残されている。1993年(平成5年)に被爆者団体が一の鳥居の復元を長崎市に陳情[5]したものの実現していない。このため、二の鳥居は神社に立った状態で現存する唯一の鳥居であり「片足鳥居」とも呼ばれる。
※ウィキペディア(Wikipedia)より 抜粋
山王神社 被爆の楠の木
原爆により枝葉は失われ、幹も焼かれ黒焦げ同然となりました。被爆後に写真家の林重男やアメリカ戦略爆撃調査団が撮影した写真(ともに長崎原爆資料館所蔵)では立ち枯れているが、やがて樹勢を盛り返し、それぞれ大小の支幹から枝を張り出して東西40メートル、南北25メートルに及ぶ樹冠を形成し、今日でも豊かな緑を湛えている。山王神社ではその生命力に肖った「大くす守」と称する御守を出している。
1995年(平成7年)の調査で、大クスが原爆炸裂により生じた高線量の放射線で突然変異を起こしていたことが明らかになりました。
2006年(平成18年)の台風13号により枝が折れたために樹木医による治療を受けましたが、その際に幹の中に新たな空洞が見つかり、洞内から被爆当時のものと見られる表面が焼けた石や瓦礫などが見つかりました。
巨樹としてのほか原爆生き残りの樹木としての意義も深いと1969年(昭和44年)に「山王神社の大クス」として長崎市の天然記念物に指定され、境内を通る風で起こるその葉音も1996年(平成8年)に「山王神社被爆の楠の木」として環境省の「日本の音風景100選」に選ばれている。
また、長崎原爆資料館や学生サークル、市民団体、地元小学校等がその種子から育てた「被爆クスノキ二世」を平和の象徴として国内外に贈る活動を行っている。
※ウィキペディア(Wikipedia)より 抜粋
1995年(平成7年)の調査で、大クスが原爆炸裂により生じた高線量の放射線で突然変異を起こしていたことが明らかになりました。
2006年(平成18年)の台風13号により枝が折れたために樹木医による治療を受けましたが、その際に幹の中に新たな空洞が見つかり、洞内から被爆当時のものと見られる表面が焼けた石や瓦礫などが見つかりました。
巨樹としてのほか原爆生き残りの樹木としての意義も深いと1969年(昭和44年)に「山王神社の大クス」として長崎市の天然記念物に指定され、境内を通る風で起こるその葉音も1996年(平成8年)に「山王神社被爆の楠の木」として環境省の「日本の音風景100選」に選ばれている。
また、長崎原爆資料館や学生サークル、市民団体、地元小学校等がその種子から育てた「被爆クスノキ二世」を平和の象徴として国内外に贈る活動を行っている。
※ウィキペディア(Wikipedia)より 抜粋