尖閣諸島に送られた感謝状 by 中国
2021/05/20
尖閣は日本固有の領土
上の社員は中国が日本に送った感謝状です。
1919年。 尖閣、魚釣島付近で
中国福建省の漁民、男女31人が遭難。
そんな彼らを救助したのは、
当時、石垣村に住んでいた日本人:古賀善次さん。
古賀さんの救助により、
中国人31人の命を取り留めました。
そんな古賀さんに感謝の意を表したいと、
翌年5月、 中国政府は石垣村長たちに
感謝状を送ったのです。
その感謝状にはっきりと書かれていた
「日本帝国八重山郡尖閣列島」という文字。
当時、中国は公式に 尖閣が日本のものだと認めていたのです。
こういった動かぬ証拠は
・国内外の過去の地図
・中国外交官の資料
・「尖閣」という名が出てきた最古の古文書
など複数あります。
しかし、今となっては中国はそれらの証拠は無視。
2020年、中国船は年間333日も(過去最多)
尖閣周辺の接続水域を航行するなど
手段を選ばずに
尖閣を獲得しにきています。
P.S.
ちなみに外交官が残した
中国最古の資料「使琉球録」
「尖閣という名前が出てきたのは
中国の古文書なので尖閣は我らのもの」
と中国は言いますが…
これを丁寧に読んでいくと
「行き方が全くわからなかった
琉球への航路は
琉球人が教えてくれた。
平嘉山を過ぎ、
釣魚島(尖閣)を過ぎ、
黄毛島を過ぎ、
赤島を過ぎたところだ。」
と記録した内容で、
「尖閣」の名前は
航路のひとつとして登場したのみ。
むしろ中国が
・琉球時代は尖閣の存在すら知らなかった
・琉球への行き方は琉球人に教えてもらった
という事実が
浮き彫りになるのです。
---------------------
2021/5/30 メルマガ 北野幸伯<パワーゲーム>より引用
ダイレクト出版・政経部門
ウィキペディア ---------
北野幸伯 きたのよしのり
北野 幸伯は、国際関係の研究者。
モスクワ国際関係大学国際関係学部卒業。
メールマガジン『RPE』を発行。
ロシア連邦・モスクワ在住の日本人として執筆活動を行ってきた。
生年月日: 1970年 (年齢 51歳)
学歴: モスクワ国際関係大学
1919年。 尖閣、魚釣島付近で
中国福建省の漁民、男女31人が遭難。
そんな彼らを救助したのは、
当時、石垣村に住んでいた日本人:古賀善次さん。
古賀さんの救助により、
中国人31人の命を取り留めました。
そんな古賀さんに感謝の意を表したいと、
翌年5月、 中国政府は石垣村長たちに
感謝状を送ったのです。
その感謝状にはっきりと書かれていた
「日本帝国八重山郡尖閣列島」という文字。
当時、中国は公式に 尖閣が日本のものだと認めていたのです。
こういった動かぬ証拠は
・国内外の過去の地図
・中国外交官の資料
・「尖閣」という名が出てきた最古の古文書
など複数あります。
しかし、今となっては中国はそれらの証拠は無視。
2020年、中国船は年間333日も(過去最多)
尖閣周辺の接続水域を航行するなど
手段を選ばずに
尖閣を獲得しにきています。
P.S.
ちなみに外交官が残した
中国最古の資料「使琉球録」
「尖閣という名前が出てきたのは
中国の古文書なので尖閣は我らのもの」
と中国は言いますが…
これを丁寧に読んでいくと
「行き方が全くわからなかった
琉球への航路は
琉球人が教えてくれた。
平嘉山を過ぎ、
釣魚島(尖閣)を過ぎ、
黄毛島を過ぎ、
赤島を過ぎたところだ。」
と記録した内容で、
「尖閣」の名前は
航路のひとつとして登場したのみ。
むしろ中国が
・琉球時代は尖閣の存在すら知らなかった
・琉球への行き方は琉球人に教えてもらった
という事実が
浮き彫りになるのです。
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2021/5/30 メルマガ 北野幸伯<パワーゲーム>より引用
ダイレクト出版・政経部門
ウィキペディア ---------
北野幸伯 きたのよしのり
北野 幸伯は、国際関係の研究者。
モスクワ国際関係大学国際関係学部卒業。
メールマガジン『RPE』を発行。
ロシア連邦・モスクワ在住の日本人として執筆活動を行ってきた。
生年月日: 1970年 (年齢 51歳)
学歴: モスクワ国際関係大学