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「和の思想」を学びにやってきた遣日使

2021/12/08

遣唐使や遣隋使よりも、
日本にやってくる遣日使の方が多かった

「中国大陸中心の歴史観」は、
最新の研究によって、偏った見方であることが
わかってきました…

中国大陸からやってきた遣唐使よりも、
日本にやってくる遣日使の方が多かった。


「縄文時代の日本は、中国に比べると
はるかに劣った文明しか持たず、
まるで原始時代のような生活を送っていた。
さらに、漢字をはじめ、今の日本を作る土台は、
ほとんど中国大陸からやってきた」

大半の日本人は、学校で習った歴史から、
そんな風に感じているのではないでしょうか。

ですが、最新の研究によると、中国大陸に派遣する遣唐使や遣隋使よりも、
日本にやってくる遣日使の方が多かったことをご存知でしょうか。

例えば、607年、小野妹子の時代…
日本から中国には、3~5回ほど遣隋使が派遣されていますが、
今の満州、朝鮮北部、ロシア沿海州まで治めていた
渤海(ぼっかい)という国からは、合計33回も遣日使がきています。

そして、隋からも位の高い役人が
32艘(そう)もの大船団を引き連れて来日。

隋の後継国、唐からも、669年・671年にそれぞれ
2000人にも及ぶ大人数が来日しています。

彼らは、日本が持っていた絹や銀の製造法や、
聖徳太子の和の思想を学びにやってきていたのです。

日本と中国は、まさに対等な関係で、
文化交流を行なっていたにも関わらず、
なぜ、現代の教科書では、
日本が一方的に中国から学んでいたように
書かれてしまうのでしょうか…


ダイレクト出版
ルネサンス編集部・田中  より転載

上画像 Wikipedia 遣唐使船。貨幣博物館蔵
右上画像 「吉備大臣入唐絵巻」 アメリカ合衆国 ボストン美術館 所蔵
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