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ユダヤから紐解くロシア・ウクライナの歴史 その2

2022/04/12

ロシア革命からソ連崩壊

上の画像:ウクライナ キエフ駅
右の画像:ウクライナ・リビウ・夕方の街並み




 
【ユダヤから紐解くロシア・ウクライナの歴史④】
~ロシア革命から第二次世界大戦、ソ連崩壊まで~

ホロドモール

ホロドモール
ウクライナ語: Голодомо́р
ロシア語: Голод на Украине
英語: Holodomor)
は、ウクライナ語でホロド(holodo)は飢え、モル(mor)は絶滅や抹殺を意味する合成語で、飢餓による殺害(death by hunger)を意味する。

具体的には、1932年から1933年(または1934年)にかけてウクライナ・北カフカース・クバーニなどウクライナ人が住んでいた地域をはじめ、カザフスタンなど、ソビエト連邦各地でおきた大飢饉を指す。

特にウクライナでの被害が甚大で、かつウクライナを標的としたソビエトの政策が飢饉の原因であったことから、ホロドモールはソビエトの政策に抵抗したウクライナの農民に対するソビエト国家による攻撃の集大成であり、人工的・人為的な大飢饉であったとされている。

ウクライナ飢饉、飢餓テロや飢餓ジェノサイド、スターリン飢饉などとも呼ばれる。

ソ連における第一次五カ年計画において、コルホーズ(集団農場)による農業の集団化や、クラーク(富農)撲滅運動において反ソ連分子を強制収容所(グラグ)に収容したり、さらに穀物の強制徴発などを原因として発生した。

「富農」と認定されたウクライナ農民たちはソ連政府による強制移住により家畜や農地を奪われ、「富農」と認定されなくとも、少ない食料や種子にいたるまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生し、330万人から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出した。
ホロドモールによる餓死者とされる写真。群集が集まる中、路上に放置されている。※Wikipediaより
ソ連崩壊後、ホロドモールを追求し、映画化されました。
画像をクリックすると予告編が見られます。
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