Dias como Beija Flor
ベージャフロールな日々

サントス・ドゥモン しのびよる影

2019/07/04

 

飛行機の設計図を全て公開したことが裏目に

サントス-デュモンは36歳のとき、
多発性硬化症を発病します。

疲労感や神経過敏、めまいなどの症状が
彼を悩ませました。

彼はやむなく、飛行活動を休止し
療養生活が始まりました。

そうした中にあっても、

パン・アメリカン航空財団の
初代総裁を勤めたり、


大西洋無着陸横断飛行に成功した
リンドバークの祝賀晩餐会の主宰

(病気のため辞退)を頼まれるなど、
多くの人達の尊敬を集めました。

実は、サントス・ドゥモンは、
自分の研究の成果である、
飛行機の設計図など、

全て公開していました。


今なら、とても考えられませんが、

彼は特許をとることはしませんでした。

彼の夢である空への自由な飛行は、
全ての人に無償で分かち合いたい
と願っていたからです。


しかし、


皮肉なことに
サントス・ドゥモンの飛行技術は、
彼の予想とは全く逆の方向に
利用されてしまうことになります。


そうなんです。


戦争の世紀とも呼ばれる20世紀。

戦場では飛行機や飛行船から爆弾が投下され、

飛行機械は強力な殺人兵器と化していました。

その事に心を痛めていたサントス・デュモンは、

次第に爆弾投下の責任は自分にあると思うようになり、

自分を責めました。


そのため、さらに情緒不安定や
衰弱などの症状が進んでいきました。


国際連盟に、航空戦の禁止を嘆願しましたが
まるで相手にされませんでした。

 

そして、とうとう彼にとって決定的な事件が、、、


続きは、次回に

ではまた

Tchau! Até mais. チャオ! 
















 
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