Dias como Beija Flor
ベージャフロールな日々

ブラジルの独立記念日 Dia da Independência do Brasil

2019/09/06

ブラジルの独立は、1822年9月7日

ブラジルの独立記念日 Dia da Independência do Brasil

A independência do Brasil aconteceu em 7 de setembro de 1822, quando, supostamente, d. Pedro (futuro d. Pedro I) proclamou o grito da independência às margens do Rio Ipiranga, na atual cidade de São Paulo. Com isso, o Brasil rompeu sua ligação com Portugal e consolidou-se como nação independente.

ペドロ(後のドン・.ペドロ一世)は、
現在のサンパウロ市のイピランガ川のほとりでの独立の叫びを宣言しました。
これにより、ブラジルはポルトガルとの関係を断ち切り、
独立国家としての地位を固めました。
 
ブラジル初代皇帝 (在位 1822~31) ,ポルトガル王 (在位 1826)

ドン・ペドロ1世とも呼ばれる。ポルトガルのブラガンサ家出身。
ジョアン6世 (温厚王)の子。
1807年 11月ナポレオン戦争の惨禍を避けるため王室とともにブラジルに向かい,1808年3月リオデジャネイロに上陸,父ジョアン6世が 1821年帰国したのちもブラジルにとどまり,1822年独立を宣言,初代皇帝に即位した。

独立後,本国派とブラジル派が対立し,皇帝は自由主義的な憲法を目指した憲法制定会議を閉鎖,1824年3月絶対主義的な新憲法を公布した。

これに反対して武装蜂起した共和派を軍隊が制圧。
1825年ウルグアイの帰属をめぐるアルゼンチンとの戦争に敗れ,1828年ウルグアイの独立を承認した。

国民はこれを不満とし,1831年大規模な反皇帝暴動にまで発展,皇帝は5歳の皇太子 (ペドロ2世 ) に皇位を譲って4月ポルトガルに帰国した。

ポルトガルでは 1826年ジョアン6世の死で,王位継承権をめぐって紛糾,ペドロは一時ペドロ4世の名でポルトガル王位についたが,娘マリア・ダ・グロリアに譲位。保守派は実弟ドン・ミゲルを擁立,マリアを追放したがペドロはミゲルと戦い,マリアを復位させ内乱に終止符を打った。

専制的な反面,芸術を愛好し,ポルトガル国歌 (1910年まで) の作曲者でもあった。

ブリタニカ国際大百科事典より引用----- 

 それでは、日本はというと、

ブラジルは、1822年9月7日に独立した。


日本はそれよりはるか前、紀元前660年2月11日が建国記念日である。
しかも植民地からの独立ではなく、
日本はずっと日本としての国であった、、はずだけれど、
悲しいかな戦後はどこかの国の植民地の体から抜け出せずにいる。


ではまた

Tchau! Até mais. チャオ!
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