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独立か死か!イピランガの叫び

2020/09/07

Independência ou Morte (独立か死か)

「独立か死か!」―1822年9月7日、ドン・ペドロ(後のドン・ペドロ1世)がイピランガ川のほとりで叫んで、独立宣言をしました。
204年前のこの日、ポルトガル王国の植民地だったブラジルが、ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国から離脱してブラジル帝国として独立したのです。

日本の学校では、ブラジルの歴史を取り上げられることはほぼありませんね。

ポルトガル王室は、ナポレオンの侵略から逃れるべく、当時のポルトガルの植民地であったブラジルに移り、一時王政をしいていました。

その王子である、後のドン・ペードロⅠ世は、宗主国ポルトガルに対して独立宣言をしたのです。

その時の有名な言葉が、イピランガの丘で叫んだ「独立か死か!」なのです。

現在のイピランガはすっかり市街地となり、建物は博物館となって一般市民に公開されています。私も2,3回行きました。

初めてブラジルに行った頃、ちょっと前まで学校で教える第二外国語は、英語ではなくフランス語だったそうです。
ヨーロッパの王族の社交界では、教養としてフランス語が必須だったようです。

ブラジル、アメリカ合衆国、ともに多民族構成国家ですが、歴史のスタートは全く異なります。

アメリカ合衆国の始まりは、ピルグリム(1620年、メイフラワー号で北アメリカに移住したイギリス人入植者で、最初の入植地となったプリマス植民地を築いた人々のこと)によってです。

アメリカ大陸に着いたものの、土地が違うので最初の年は収穫ままならず、食うや食わずでした。
その土地のインディアンたちはピルグリムに食べ物を与え、彼らに作物の作り方を教えたのです。

そして次の年、自分たちで収穫できた作物を、今度はピルグリムたちがインディアンにお礼とし持って行ったのが
Thanksgiving Day(感謝祭)のはじまりと言われています。

つまり、 ブラジルの歴史はヨーロッパの王侯貴族からスタートし、アメリカ合衆国はイギリスの貧しい庶民からです。

因みに、アメリカの東海岸に3年ほど住んでいましたが、
アメリカの食文化でいうならブラジルの方が豊であると言えます。もう一度住むならブラジルでしょうか。 
サンパウロ大学のパウリスタ博物館は、通称イピランガ博物館として知られており、ブラジルの歴史博物館です。ペドロ 1 世皇帝がサンパウロ市の南東部にあるイピランガ川のほとりでブラジルの独立を宣言した場所の近くにあります。
独立記念碑