João Gilberto ジョアン・ジルベルト
2020/06/10
Saudade
Saudadeという言葉は、日本語にぴったり当てはまるものはありません。
強いて言うなら、「寂しい」「懐かしい」「望郷」「郷愁」といったところでしょうか?
ブラジルにはヨーロッパからやってきた王侯貴族や、それに伴って連れてこられた従者やアフリカの奴隷たち。
それぞれ祖国を離れて異国の地に根を下ろしながらも、ふと郷愁の念に駆られる、そんな心境を表す言葉が、Saudade サウダージなのでしょう。
強いて言うなら、「寂しい」「懐かしい」「望郷」「郷愁」といったところでしょうか?
ブラジルにはヨーロッパからやってきた王侯貴族や、それに伴って連れてこられた従者やアフリカの奴隷たち。
それぞれ祖国を離れて異国の地に根を下ろしながらも、ふと郷愁の念に駆られる、そんな心境を表す言葉が、Saudade サウダージなのでしょう。
♪ Chega de saudade ♪
João Gilberto ジョアン・ジルベルト
1931年6月10日 - 2019年7月6日
ブラジルの歌手、ギタリスト。作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスらとともに、ボサノヴァを創成したとされている。
アストラッド・ジルベルトは元妻。アストラッドとの離婚後、歌手のミウシャと結婚。ベベウ・ジルベルトはミウシャとの間の娘。
「想いあふれて (Chega de Saudade)」は最初のボサノヴァ・ソングと呼ばれるもので、発売当初はなかなか話題にならなかったのですが、次第にリオの若者たちの間で人気となり、ボサノヴァ・ムーブメントが形成されていきました。1959年には初めてのLP『想いあふれて (Chega de Saudade)』が発売。
1959年にアストラッド・ジルベルトと結婚。1963年にジャズ・サックス奏者、スタン・ゲッツと共に『ゲッツ/ジルベルト』を録音。1964年には、アストラッドが英語で歌った「イパネマの娘」が、シングルとして発売され、ボサノヴァの有名曲となりました。
ブラジルの歌手、ギタリスト。作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスらとともに、ボサノヴァを創成したとされている。
アストラッド・ジルベルトは元妻。アストラッドとの離婚後、歌手のミウシャと結婚。ベベウ・ジルベルトはミウシャとの間の娘。
「想いあふれて (Chega de Saudade)」は最初のボサノヴァ・ソングと呼ばれるもので、発売当初はなかなか話題にならなかったのですが、次第にリオの若者たちの間で人気となり、ボサノヴァ・ムーブメントが形成されていきました。1959年には初めてのLP『想いあふれて (Chega de Saudade)』が発売。
1959年にアストラッド・ジルベルトと結婚。1963年にジャズ・サックス奏者、スタン・ゲッツと共に『ゲッツ/ジルベルト』を録音。1964年には、アストラッドが英語で歌った「イパネマの娘」が、シングルとして発売され、ボサノヴァの有名曲となりました。
アストラッド・ジルベルト「イパネマの娘」