サントス・ドゥモン カルティエの腕時計 誕生秘話
2022/08/10
CARTIER SANTOS-DUMONT
ー前回の続きー
あるとき、サントス・ドゥモンは若きカルティエにこんなことを言ったらしい。
「飛行中に、時間を確かめるたびに時計をポケットから取り出すのでは、操縦もおぼつかないよ」
当時、上流階級の男性は懐中時計を身につけており、定番のおしゃれアイテムでした。ベストの胸元から見える金の鎖が紳士の身だしなみでもあるんです。
飛行中に、それをわざわざ懐中から取り出すのはどうもよろしくない、
ということなのです。
そして、サントスは、飛行船から飛行機での初飛行に挑戦するようになります。
時代は1906年10月、サントスの飛行機は、3mの高度で60mを滑空したときは
パリ中がサントスの快挙に沸き上がったのです。
それは、アメリカのノースカロライナ州キティホークで、ライト兄弟が動力付き有人飛行機の飛行に成功した3年後のことでした。
ライト兄弟が非公開実験であるのに対し、サントス・ドゥモンは公開実験である。
そこのところが、ブラジル、フランス側のサントス・ドゥモンの優位性を主張する
ところでもあるのです。
彼の飛行家としての経歴や実績は立派なもので、むしろ、飛行機自体の優秀性は
サントス・ドゥモンに軍配があがります。
決して、「飛行機の父」と呼ばれてもおかしくありません。
実際に、ブラジルでは当然のことながら、ライト兄弟より、サントス・ドゥモンに人気があります。
いずれにしろ、サントス・ドゥモンは、ヨーロッパの空を初めて飛んだ事実は間違いないのです。
そして、このとき彼の手首には、カルティエの腕時計があったのです。
彼はヨーロッパで初めて空を飛んだ男であり、世界で初めてカルティエの時計を腕に付けた男でもあるのです。
彼の飛行家としての名声はライト兄弟にお株を奪われてしまったけれど、カルティエの時計に彼の名を残すことになるとは、、
サントス・ドゥモンは粋でダンディー、
言わば、当時のファションリーダー的存在であっただろうことは想像出来ます。
おしゃれな彼には、むしろふさわしい粋な話です。
彼の名声はそこにとどまりません。
あるとき、サントス・ドゥモンは若きカルティエにこんなことを言ったらしい。
「飛行中に、時間を確かめるたびに時計をポケットから取り出すのでは、操縦もおぼつかないよ」
当時、上流階級の男性は懐中時計を身につけており、定番のおしゃれアイテムでした。ベストの胸元から見える金の鎖が紳士の身だしなみでもあるんです。
飛行中に、それをわざわざ懐中から取り出すのはどうもよろしくない、
ということなのです。
そして、サントスは、飛行船から飛行機での初飛行に挑戦するようになります。
時代は1906年10月、サントスの飛行機は、3mの高度で60mを滑空したときは
パリ中がサントスの快挙に沸き上がったのです。
それは、アメリカのノースカロライナ州キティホークで、ライト兄弟が動力付き有人飛行機の飛行に成功した3年後のことでした。
ライト兄弟が非公開実験であるのに対し、サントス・ドゥモンは公開実験である。
そこのところが、ブラジル、フランス側のサントス・ドゥモンの優位性を主張する
ところでもあるのです。
彼の飛行家としての経歴や実績は立派なもので、むしろ、飛行機自体の優秀性は
サントス・ドゥモンに軍配があがります。
決して、「飛行機の父」と呼ばれてもおかしくありません。
実際に、ブラジルでは当然のことながら、ライト兄弟より、サントス・ドゥモンに人気があります。
いずれにしろ、サントス・ドゥモンは、ヨーロッパの空を初めて飛んだ事実は間違いないのです。
そして、このとき彼の手首には、カルティエの腕時計があったのです。
彼はヨーロッパで初めて空を飛んだ男であり、世界で初めてカルティエの時計を腕に付けた男でもあるのです。
彼の飛行家としての名声はライト兄弟にお株を奪われてしまったけれど、カルティエの時計に彼の名を残すことになるとは、、
サントス・ドゥモンは粋でダンディー、
言わば、当時のファションリーダー的存在であっただろうことは想像出来ます。
おしゃれな彼には、むしろふさわしい粋な話です。
彼の名声はそこにとどまりません。
ー次回へ続くー