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サントス・ドゥモン 1932年7月23日

2023/07/23

サントス・ドゥモンの国葬

ー前回の続きー

サントス・ドゥモンに起きたこととは?

1932年7月23日、ブラジル内戦が勃発し、護憲派と、ゼッツリオ・バルガス率いる革命派がぶつかり合い、飛行機によってサンパウロ州カンポ・デ・マルチが攻撃された日です。

サントス・ドゥモンにとって、飛行機は我が子も同様、分身のようなものであったでしょう。

彼の夢であった「自由に空を翔ぶ」
この夢を人々に共有してほしいと願うものであったはずなのに、彼の夢を育んでくれた祖国ブラジルの地が、飛行機によって痛めつけられ、多くの同胞が死んでいった。

このことは、サントス・ドゥモンに深い苦悩を生じさせます。

この日、サントス・ドゥモンは、サンパウロ州グァルジャーのホテルで、ネクタイで首を吊って自殺を遂げたのです。59歳でした。

彼の甥はその時ちょうど不在で、サントス・ドゥモンのそばにはいなかった。

が、しかし、

彼の死の本当の真相はわかりません。

ポルトガル語のブラジル版 Wikipedia より

Em 1932 ocorreu a revolução constitucionalista,
em que o estado de São Paulo se levantou contra
o governo revolucionário de Getúlio Vargas.
Mas o conflito aconteceu e aviões atacaram
o Campo de Marte, em São Paulo, no dia 23 de julho.
Possivelmente, sobrevoaram o Guarujá, e a visão de aviões
em combate pode ter causado uma angústia profunda
em Santos Dumont que, nesse dia,
aproveitando-se da ausência de seu sobrinho,
suicidou-se, aos 59 anos de idade.
Entretanto,
sua misteriosa morte em circunstâncias
não totalmente explicáveis,
oferece elementos suficientes para questionar se
Santos Dumont não foi assassinado.


※下線部分訳
この、ミステリアスなサントス・ドゥモンの死の状況は、
暗殺を否定できる要素は十分ではないと書き加えられています。



今さら、真相を問うべくもないが、
あるいは、、、、、、、かもしれない。

サントス・ドゥモンの葬儀は国葬としていとなまれ、内戦は2日間停止されたそうです。

サントス・ドゥモンの死はミステリアスな部分もありまあすが、多くのものを我々に残してくれました。

彼の魂は今、全てから解放され、真の自由を得て天空をはばたいていることでしょう。

 
ー次回へ続くー 

サントス・ドゥモンのモニュメンタル