わが人生行路の旅路
     『 真 実 一 路 』

  許された一筋の道を歩くなり
                    縄文の旅人

あるがままに自然とともに

2023/05/29

人生とは試練の道

 
 また少し間があいてしまいました。


 世間は行楽で賑わうゴールデンウイークのさなか、思わぬ事態が我が身におよび広島市内の総合病院に救急搬送されてしまうのでした。

 5月に入ると周りの家々では、すでに田んぼの代掻きも終わって田植え準備が殆んど整っているころです。

 やや出遅れ気味ですが、我が家は5月1日(月)に耕運機で田起こしをして翌日には畦畔を立てて水を引き、植え代掻きの準備をする予定でおりました。
 
 ところがその翌日、2日(火)の朝のことです。

 
 災難は忘れたころに・・・
 突然やって来る!

 左臀部に強い違和感を感じながらの目覚めとなるのですが、腫れと痛みで自由な身動きがとれないのです。尻に手をやればサッカーボール大とも思えるほどに腫れあがっているではありませんか、そして疼くような痛みがはしります。

 異常な事態を察知した私は、痛みをこらえて町内の総合病院に駆け込みました。

 造影剤を入れてCT検査をした結果、筋肉内で出血していることが判明しなお出血が続いているとのことです。

 そして出血を止めるべく、緊急な処置を要するということで態勢の整った広島市内の病院へと救急搬送されることになったのです。

 
 3年前に救急搬送された時と同じ病院です。

 日頃から医療の在り方に疑問を感じて批判的なことを口にしがちな私ですが、またしてもその医療によって命を救われたという現実に直面してしまいます。

 現行の医療制度や診療システムに種々の問題があるとはいえ、救急医療は間違いなく必要であり、重要な役割を果たしているということを再認識させられる場面にまたしても身を置くことになるのです。

 3年前はカテーテルを使って心臓への動脈のつまりを除去したのですが、今回は同じくカテーテルを使って臀部の毛細血管の出血を止める処置をしてもらうことになったのです。

 その医療技術と担当医師の技能は、まぎれもなく高度であり素晴らしいものであると認めざるを得ません。

 結局10日間の入院生活となりましたが、ゴールデンウイークにも拘わらず連日の検査や看護で多くの医師やスタッフの方たちに大変お世話になりました。

 尻の出血が止まって腫れや痛みが和らいでくると、次から次と不安や心配ごとが頭をよぎり始めるのです。

 一念発起で今年から再開した米作りは、もう無理ではないのか?

 農協に注文した稲の苗は14日に入荷する予定になっているけど、田んぼの準備ができていない。

 地域コミュニティーでの役目と責任があり、やるべき当面の処置事項もいろいろあります。

 個人事業の物販の方も在庫管理や仕入れ発注などの処置が気にかかります。

 日増しに身体の容態は改善しているとはいえ、血液検査の結果によると貧血の数値が悪化傾向であるとのことで医師から輸血を告げられたり等々、一般病棟に移ってからも、一時たりとも心が落ち着くことはありませんでした。

 輸血の是非よりも何よりも、先ずはこのたびの我が身に降りかかった臀部への大量出血という事態は何が原因なのか? これが私の最大の関心事なのですが・・。

 わたしは輸血を拒否し、どうしても必要な場合は家族か信用できる人の血を使わせていただくと決めていました。

 3年前から飲み続けている血液サラサラの薬が一つの要因になっているだろうとは言いながらも、血液サラサラの薬を止めることはリスクが大きいので継続するとの医師のことば。

 私なりに思い当たる節があり、食生活や生活習慣などで要因の一つになっていると思えることを数人の医師にお話ししましたが、あまり聞き入れてもらえなくて誰からも原因についての明確なお話しは聞けませんでした。

 パソコンと業務関係の資料を病室に届けてもらって、電話で妻と連絡をとりながら可能な仕事を代行してもらうといった入院生活になりました。

 ゴールデンウィークも終わって1週間近くになる頃、医師に退院の希望を申し出ましたところ、腫れや痛みが残るものの血液検査の結果が改善してきたということで、何とか12日(金)に退院させていただくことになりました。

 結局のところ、輸血することもなく退院できたのは良かったのですが、この度の出血原因についての明確な説明がなく、再発防止のための注意事項などもないまま退院したことには少々不本意な思いが残ってしまうのです。

 
 なんとも釈然としない心もちであり、今後の我が身に不安の残る退院となりましたが、分からぬことは分からぬこと。 これで良いのです。

 医師やスタッフの方たちとのやり取りのなかで、多くのことを考えさせられ学ばせてもらった10日間の入院生活となりました。

 
 私たちが体験する人間社会で起こるあらゆる事象において、その発生理由や原因がいつも合理的に説明できるとは限りませんし、正しいと思うことの中に間違いがあったりその逆もまたしかりだと思います。

 辛くて苦しい耐えがたいような体験をすることは貴重な財産であり、一人の人間を成長させるための不可欠の要件になるのだろうとも思います。

 
人生とは試練の道

 他人にはあまり話しませんが誰しも、辛い思いや苦い体験などを何度も何度も繰り返しながら、それぞれの日常を懸命に生きているのだと思います。

 人生とは山あり谷ありで、何度もなんども試練に遭遇してそれを乗り越えて、そしてまた否応なく次の試練に向かって前進する。

 私たち人間は幾度も試練に遭遇し、これを乗り越えることによって初めて人間として成長し、その使命を全うすることになるのではないかとも思います。
 
 私自身もこれまで生き死にの際どいところを体験しながら、現実に今ここに生きています。 いいえ、正しく言うなら生かされているのです。

 天の計らいごとのなかで、人間としての生きざまを試されながら、私は生かされていることを強く感じております。

 そして最近になって、自分の日常生活の中においては何も不安に思うことがありませんし迷いがなくなっていることに気づかされるのです。

 分からないことは数多ありますが、あえて分かろうともしなくなりました。
 神の領域のことは、神さまにお任せするのです。
 
我が身に何が起ころうとも
私はすべてのことを受け入れます。

 
~ あるがままに自然とともに ~
 

我が家の田植えも無事に終了

退院後、近所の人たちが私の体を気遣ってくださり、我が家の田んぼの準備状況を見かねて、植え代搔きなどの作業を手伝ってくださいました。
(正確には代わりにやって頂いた)

5月19日に田植えができました。
田植え作業は、孫たちの強力な助だちを得て我が家だけで行いました。

今年の作付けは、567㎡の田んぼ一枚ですが、8年ぶりの米作りを無事にスタートさせることができました。

 
やはり、人間は一人では生きられません。

地域の人たちとの繋がりは大きな財産であり、私にとって宝物であることを再確認しました。
 
~ 人は神さま仏さま ~ 

改めて思い知らされる、今日この頃なのです。