プロフィール

著者 島田旬志(しまだじゅんじ)

プロフェッショナルファスティングマイスター(1級断食指導者)
J'sプランニグ代表
一般社団法人 分子整合医学美容食育協会 浜松東支部 支部長
一般社団法人 日本スポーツ栄養コンディショニング協会 GM講師
一般社団法人 日本ほめる達人協会 特別認定講師
東京商工会議所 健康経営アドバイザー
1968年 静岡県生まれ。

1歳の時、気管支喘息を患い、相次ぐ酷い発作により、10歳には2年半の入院生活を経験。20歳には発作による呼吸困難に陥り、人生初の警察車両で搬送され病院に。そして45歳、いままで苦しめられてきた喘息がたった半年で、食による体質改革により喘息が完治・体重が14kg減量したことに感動し、2013年、美容食育(分子整合栄養医学)とファスティング(デトックス)の認定講師・トレーナーになる。2014年にはファスティングマイスター学院にて文化功労賞を受賞。自身でも、今現在において毎月ファスティングを行なっており、過去には30日間のファスティングを実践している
2020年には、世界4大ミスコンテストのミセスアース・ファスティング公式トレーナーに。最近では、自身の経験してきたことや、心と体のデトックスと栄養補給をコンセプトに、ファスティング&ほめ達の健康経営アドバイザーとしても活動中。

経歴

1歳

喘息を患い、治療のために母と病院へ通う日々が始まる。

小学5年

3つあるうちの1つめの喘息にまつわる大きな出来事。特に喘息発作がひどかった時期。夏休みに、喘息の治療のため、母親とともに国立療養所天竜病院に診察で出向く。初診のその日に医師より「君は喘息がひどいから今日から入院だ」と告げられ、ショックを受けながら、そのまま入院をする。学校は併設の養護学校に通う。

中学2年生

喘息の発作が限りなく治まり、中1の終わりにやっとの思いで退院する。薬は予防のために服用する毎日。地元の中学校に戻り、健康維持のために、剣道部に入部。

高校

健康維持のために、高校でも剣道部に入部。月1回、大学の附属病院に診察を受け、薬をもらう。

高校卒業後

上京し、専門学校に通う。18歳のとき、夜中に突然、久しぶりの酷い喘息発作に襲われ、最寄り駅の交番で助けを求め、その際にお巡りさんが夜間救急病院までパトカーで搬送してくれた。感謝!これが喘息にまつわる2つめの事件。

19歳~22歳

専門学校を中退し、軽井沢プリンスホテルで住込みの配膳の仕事を1年間した後に、東京に戻り、健康維持のために、スポーツに関連した職に就きたいと思い、スイミングコーチ、スキーパトロールを経て、スキューバダイビングの仕事に就く。

23歳~33歳

ダイビングのスタッフから、ダイビングインストラクター、店長となり、国内外、お客さまをお連れして多くの人に、海の魅力、ダイビングの楽しさを知っていただきました。

34歳~44歳

家業のガソリンスタンドを手伝うようになるが、兄と妹に任せて1年で終え、ホテル業・配膳業務の経験を買われ、派遣会社で飲食派遣の責任者となる。その後、保険外交員、製造業などを経て、自分探求を始める。

45歳

3つめの喘息にまつわる大きな出来事。今思えば、食習慣の乱れによる体調不良が顕著に現れた。半年間にも渡る偏頭痛、たびたび起こる喘息発作で、自分で運転して通う夜間救急。薬を飲んでも効かなくなってきて、この先どうしたらいいのか、と途方に暮れていたときに、友人のfacebookの投稿で「ファスティング」を知る。半年間で3回のファスティング(現代断食)により14kg減量、偏頭痛、喘息発作も全く無くなった。これを多くの人に伝えようと決意、指導者になる。

46歳~50歳

一般社団法人 分子整合医学美容食育協会より、文化功労賞を受賞。分子整合栄養医学をベースとしたスポーツ栄養の講師、そして、心のデトックスと言葉の栄養として「新型の」ほめるを提唱している日本ほめる達人協会の特別認定講師になる。東京商工会議所の健康経営アドバイザーを取得。

51歳~現在

ご縁があり2020年3月初旬「人生が好転するファスティング」を出版。
40代~50代の、より輝きたい女性、よりデキる経営者になりたい方々をメインに、個別・団体指導アドバイスをしている。
実はこの島田旬志公式ブログ、
サイトCMS         で作ってます
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