管理人プロフィール

管理人 レディ鹿賀

喜歌劇を中心に、25年間ステージでヒロインを演じ続けさせて頂きました。その間には、芸を磨くだけでなく、美と健康を保つための様々な勉強と実践、メンタルトレーニングやコミュニケーション力の強化、そしてかけがえのない家族との時間、旅行、スポーツ、様々なイベント。あらゆることに本気で取り組み、時間を有効活用することで人生を何倍にも楽しめるコツを身につけてきました。
今はそのコツを、少しでも人のお役に立てるように、「KAGA実塾」という新たなスタイルでご縁のある方に提供させて戴いています。
とはいえ今も自身のタレント活動と並行して展開しており、限られた時間の中、オンラインを使ってより多くの方や遠方の方にも機会を提供することができれば、更に人生が深まり楽しくなると思い、オンラインの試みを新たに始めました。
楽しくなければ人生じゃない、というのが私のモットーです。一度きりの人生、どうせなら思い切り欲張って楽しんでみませんか?

経歴

幼少期

奈良の大仏さまのお膝元で生まれ、鹿と共に育ちました。3歳からピアノを習い始めています。

小学3~6年

4年生か5年生の頃、器楽合奏曲を作曲、編曲し、音楽会で発表させて貰ったことがありました。
得意科目は音楽と体育で、6年の最後の運動会では400メートル走で学年1位になるなど、何かしら目立つ存在ではありました。
ただ、ギリギリに家を出て電車に飛び乗るのが日課だったので、度々遅刻してしまったり、いたずらをよくして、高学年の担任の厳しいおばあちゃん先生には相当目をつけられていました。

中学2年生

中学に入ってからは全く勉強をしなくなり、友達とトラブったり親と揉めたりすることが増えました。この頃から、生きがいが文化祭になり、文化祭で何かを演じたり、発表することに燃えていました。
ピンクレディとキャンディーズの全盛期で、「ランちゃんに似てる」とか「ケイちゃんに似てる」とか言われ出したことが、人生の転機にもなりました。それまで自分でなぜか自分をブサイクだと思い込んでいたので、それが元でひねくれた言動をしていた自分に気づいて恥かしくなった瞬間でした。

高校卒業後

自分では女優になりたい、と密かに思いつつ、親の夢を叶えるために音楽で大学に進学し、教諭の免許も修得しました。ただ、そのまま学校に就職したら一生が学校で終わることに抵抗を感じ、卒業を前にしてタレントオーディションを受けに東京に行きました。卒業後3年間は、学校で講師などの仕事をしながら、タレント(劇団)活動に力を入れました。ただその世界で羽ばたくにはちょっと遅すぎた、と感じて一度見切りをつけ、演劇学校に新たに通います。

26歳

演劇学校で知り合った友人の勧めで、関西唯一のオペレッタ専門団体に入ります。
ここでは、私が長年やってきた音楽と、卒業後に学んだ演劇の経験が重なって、全てが発揮できる最大のチャンスが与えられました。入った年に役を戴いてデビュー、それからはオペレッタを天命と思い、あらゆる役に挑み、全ての演目のヒロインを演じ歌い続けてきました。

29歳

親や周囲の心配から、一度は家庭を持つことにチャレンジ。そこで、環境の違う人間が共に生きていくことの難しさや、自分のコミュニケーション力の低さを痛感し、挫折を味わうことに。

32歳

自分のコミュニケーション能力や見識を広げるために、自身でビジネスにチャレンジします。
自分の力で生きていくことに自信がついたところでシングルアゲイン。ビジネスを通して、自分磨きをすることに力を尽くし、新しい出会いや明るい未来の可能性を信じるようになりました。

36歳

最愛の母の突然死。人の気持ちを思いやることの大切さを改めて身につまされました。

38歳

ようやく努力が実り、ビジネスもステージも、すべてに脂が乗ってきた頃、主人と出会い、電撃結婚。
年下の主人ですが、いろんな面での価値観が一致して、なんでも話せて、全く隠し事のない関係になることができました。コミュニケーション力を磨いた成果です。二児の母になることもできました。

52歳

長年にわたり、プリマを務めてきたオペレッタの団体がカルメンを最後に解散。
それを機に、次なる自分のステージを求めて再びタレント活動を再開しました。
タレント活動、ビジネス、主人とのゴルフ、家族旅行、趣味のテニス、すべてを全力でやって、人生を思い切り欲張りに生きること、そして大切な人にそれを伝授することが今の私のテーマです。
実はこのレディKAGA公式ブログ、
サイトCMS         で作ってます
KAGAchan
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