2013年9月。
「今の状態だと、ご実家に帰る選択肢しかありませんね」
私にとってその言葉は、死刑宣告も同然だった。
長年続いた両親との異常な関係性からやっとの思いで脱出したというのに、またそこへ戻らなければいけないとは。
しかし、家を出てからまともに収入を得られず生活保護に身を落としていた私に抗う力など有る訳も無かった。
仮に大人しく帰ったとしても、半年と持たず家を飛び出す自信だけは有った。
私が生まれる前から母親はとある新興宗教に入信していたので、当然その影響下で育った。
例えば…意味も分かるかどうか怪しいまだ幼稚園児の我が子に、
「国旗掲揚には参加しちゃダメよ」
とただひたすら教え込む姿を想像できるだろうか。
彼ら信者は一般社会を「この世」と呼んで区別する。
私もそれに倣い、信者との交流を優先する生活を送っていた。
「神を喜ばせる」為に、と習ったが…
実際には、母親を悲しませない為に自我を抑えてそうしていた。
その歪が表面化するのに、さほど時間は掛からなかった。
幼稚園では孤立。
小中高と不登校、良くて遅刻祭り。
先生方には成人式で久しぶりにお会いした時ですら心配される有様。
通信制高校に転入の末やっと卒業しても無職。
ようやく見付けて行った工場の短期バイトでも、
ドラッグストアの長期バイトでも、
何をやっても人間関係で躓き、
碌な職歴も資格も身に付かず、
最高年収は140万円。
もう一生抜け出せない、まともな人生を送る資格なんて無いと思っていた。
実家に帰り、精神科を転々とし。
いつしか数年が過ぎていた。
2019年8月。
そんな絶望的な暗闇に、一筋の光が差し込んだ。
私はその光を逃すまいと必死に手を伸ばした。
あれから1年。
複数の短期/長期バイトを経て、不安定ながらも定職を持つ事が出来た。
気付けば、2020年だけで260万円を収入として得ていた。
それだけではない。
両親との関係性も大きく変わった。
周りからの評価も大きく変わった。
誰の目にも明らかに、人生が変わった。
だからこそ、
「不登校」
「ひきこもり」
「ニート」
「セクシャルマイノリティ」
「毒親」
「老親介護」
「買い物依存症」
等々、
様々な当事者/経験者として相談に乗りたい。
「ただ話を聞いて欲しい」
「相談に乗って欲しい」
「実際に助けて欲しい」
そんな皆の力になりたい。
そして、誰もが「花屋の店先に咲く」存在になれる社会を作りたい。
その先は、二次元の素晴らしさを世界に向けて発信してゆく活動に身を投じたい。
「二次元は世界を救う」
私は本気で信じている。