管理人プロフィール

管理人 木村昌司

1960年生まれ。高校卒業後、建設会社・生命保険セールスマン・靴店店員・眼鏡店店長・外資系ジーンズセールスマン・学校衣料品セールスマンを経験。また、45歳から10年間はうつ病と診断され、更に自身のカードローンで借金地獄を経験。40年間に渡る社会人経験から分かってきたことは人生を良くするカギは人間関係にあるということ。このブログでは、人間関係を良くすることで人生を繁盛させる秘訣をお伝えしていきます。

経歴

誕生(1960年)

福井県生まれ。両親とも地方公務員。兄弟は兄と姉がいる5人家族の末っ子。収入の低い家庭だったけど、両親は貧乏を感じさせない明るい家庭で育つ。

3歳~幼稚園

住まいは市の提供する低所得者向けの住宅だった。
父が病気で入院ばかりしていたから、母はとにかくお金に苦労していたようだ。
この頃、幼いながらも「お金があったら何でも買える」といった気持ちがあったことを覚えている。

小学1年~6年

4年生までは1学年1クラスの小さな小学校に在籍。5年生以降は市内で一番生徒数の多い学校に転校。二つの小学校を経験したことで友達が増えた。身体が大きいかったことで6年連続健康優良児に選ばれたけど、勉強はからっきしダメだった。小学生の時に没頭したのはソフトボール。弱いチームだったけどチームワークを覚えたのはこの頃だった。

中学1~3年

3年間頑張ったのは陸上競技。砲丸投げと円盤投げで県1位になったこともある。
がんばりすぎて腰痛持ちになった。
中学でも相変わらず勉強は出来なかった(嫌いだった)。

高校

工業高校の土木科に進学。工業高校を選んだ理由は、働いてお金を稼ぎたかったから。
勉強することの楽しさに目覚めたのはこの頃。
給料の良い会社に入る方法を、ずっと考えていた。
結果、スーパーゼネコンに就職することに。

 

高校卒業後~24歳

現場監督として関東一円と北海道で勤務。
高卒新人の私が、年上の職人に気持ち良く働いてもらうコツを、この頃に身につけた。
また、この期間はバブル景気の頃で給料面は良い思いをさせてもらった。
辞めた理由は、中学で痛めた腰痛の悪化。

25歳~27歳

椎間板ヘルニアで長期入院。
1年間、仕事が出来なくて、本ばかり読んでいた。

27歳~31歳

腰痛を治し仕事に復帰。
靴屋の店員・眼鏡店店長を経験した。
接客で人との接し方と、どうしたら買ってもらえるのかを身につけることが出来た。
給料は低かったけど(12万円~14万円)コミュニケーション能力が上がったのはこの時期。

31歳~37歳

衣料品問屋に入社(転職)。
外資系ジーンズを扱うセールス部署に配置された。
33歳の時、西日本№1セールス万で表彰される。
37歳の時に社内の人事異動があり、学校衣料部門のセールスマンに。

37歳~44歳

『問屋は学校に営業をしてはいけない』という協定を破り、学校営業を開始。
制服・体操服獲得では県下一番となり、県内の同業他社から一目置かれる存在になる。
と、ここまでは順風満帆だったが、上司(社長)の奥様が入社してきた以降、徐々に上司のパワハラが始まり歯車が狂いだす。

45歳~54歳

上司の奥様の “たった一言” で言葉が出なくなる。
原因は “うつ病”で、2か月休養の診断書が出たが1週間だけ休職。
職場では上司からのパワハラが続き、更にカードローンで借金地獄に陥る。

しかし、治したい一心でカウンセリング・催眠療法・NLP・コーチング・絵画療法などのワークショップに参加。
この頃の学びがコミュニケーション能力を高める土台になっている。

55歳~現在

自身のうつ病と借金、家族が難病になったことをきっかけに会社を辞め、アルバイト生活に入る。
数か月のアルバイト生活後、同業他社(学生衣料問屋)に入社。
入社直後、うつ病は解消。
その後(57歳)、高校の後輩からコンサルタント手法を学ぶ。
そして2019年末には、400万円あった借金が完済。

今後は、コミュニケーション能力を高めながら、人生を良いものにしていくコンサルタントを目指している。
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