1941年東京の新宿で生まれ、日本がまだ戦争中で終戦まじかでした。
今でも忘れないのは東京が大空襲を受けて戦火のなか逃げ回っていたことだけは覚えています、その時まだ3才でした。
その時母親は夫を病気で亡くし子供4人を女手一人で生き抜いていました。
そして終戦、食量事情も悪い中一番下の弟が栄養失調が原因で小学校へ入学後まもなく亡くなりました。
私の学業は貧しい生活環境の中、中学校を出て高校は生活を助けるために高校の受験は通ったものの高校へは行かず当時就職難の時期で有ったので訓練校の入校率が3から4倍の難関を経て職業訓練校電気科へ入校できました。入校後1年の学業を卒業して以来、今日まで62年間電気工事業界に身を置いています。
現在も現役で在る会社の顧問として仕事を続けています。