管理人プロフィール

管理人 大角美穂

静岡市生まれ。短大卒業後、損害保険会社に勤務。専業農家の長男で農業教員の主人と結婚後に調理専門学校へ社会人入学。掛川市教育委員会の嘱託事業である生涯学習アドバイザーの活動を5年勤め、現在はマクロビオティック(穀物と野菜中心の食事)の普及につとめている。主人は農業を始めるために、25年間勤めた高等学校教員を退職し、研修を経て2009年に起業、2012年に株式会社に移行。

経歴

1歳

公務員の家庭に長女として生まれる。最初に覚えた言葉は「おいしい!」であった。

小学3~6年

好き嫌いなく家では何でもよく食べるのに、給食の牛乳や鯨・イルカの料理が苦手で掃除の時間が始まっても、モグモグ食べていた。男の子によくからかわれ、自分もムキになってしまうため年配の女性教員からは叱られることが多々あった。共学の中高に行ったら、面倒なことになるかもしれないと心配した両親が、プロテスタントの中・高一貫教育の女子高に通わせることとなる。

中学2年生

女子高ならではの気楽さと楽しさで6年間平和に過ごす。箸が転がっても面白がって笑うというが、まさにそんな日々で悩みもなく、ただただ毎日が楽しかった。

高校卒業後

付属の短期大学に通い、履修科目を1学期中にほとんど制覇してしまい、アルバイトに明け暮れる。

20歳

中高時代の仲良し4人組で、初めての卒業旅行に東京へ行く。面白半分で路上の占い師に運勢を観てもらう。『まず、食べるに困らないこと、2つの家を持つでしょう』と云われ、友人達はお金持ちに嫁ぐのかも~と冷やかしたが、『そうではなく、長子的役割を持つことです!』と、きっぱり。
後に、長男の主人と結婚して有機野菜の生産直売を生業としているわけだから、占いで出た結果はピタリ的中であった。占いの面白さに興味を持ち、その後学び始めるきっかけとなった。

21~31歳

短大卒業後、損害保険会社に就職して営業事務を経験する。聞いたことのない専門用語や帳票の取り扱い、連日のようにくる電話での事故報告。あまりにも悲惨な事故状況を聞くにつけ、車の免許は要らないかも…と思うようになる。31歳で主人と結婚。特に月末と月初は、目の回るような忙しさで連日連夜残業続きであった。和食中心の献立だったが、主人が台所に立つことも増えてきたため、洋食や中華料理本を買って主人自ら腕を振るうようになる。お菓子は買ったものの方が断然美味しいと思っていた自分が、会社の友人に勧められたお菓子のレシピ本で作ったタルトが、思いの外美味しくてお菓子作りに傾斜する。

35歳

金融庁のお達しによる損保業界の合併再編の波がやってきて、いずれは人員整理されるだろうと状況判断して、退職した。主人の出身地の掛川市に引っ越し、浜松市の東海調理専門学校に社会人入学する。全日制2クラスのうち、1クラスは9割方社会人入学で、職種も看護師、バスガイド、ホテルマン、サラリーマンと多種多様でした。その当時は、カフェや飲食店営業に夢や希望を持つ生徒が多く、卒業後は飲食店で修業して、いずれは自分の店を持つと個々に語っていたことが印象的でした。自分も勉強のため、いくつかの飲食店で勤務する。人件費や食材の仕入れ値が採算に影響することから、市内で一番安い店舗での買い出し、品質より価格重視の仕入れという現実を直視し、理想と現実のギャップについていけなくなり辞めました。

36歳~41歳

掛川市教育委員会の嘱託事業である生涯学習アドバイザーの活動をする傍ら、たまたま参加した自然食の勉強会で穀物菜食の考え方に共感し、週末東京に通いながら、理論と料理の実践の学びを始める。リマ・クッキングスクール師範科を卒業、クシ・マクロビオティックアカデミー、ナチュラルスイーツコース卒業する。自宅での調理は、玄米を中心とした穀類・豆・海草と野菜中心の食事を実践し、長年の悩みである花粉症の症状が出なくなり、ほっとする。風邪や体調不良で悩まされることもなく、さらに元気になる。

42歳~現在

主人が農業を始めるために、25年勤めた農業教員を退職し、起業準備のためサカタのタネで研修する。2009年に起業し、3年後に株式会社に移行する。2009年から、野菜とマクロビオティック・スイーツを店頭で販売。週末は玄米菜食の料理教室を始める。現在は、販路先が首都圏中心になっているため、直売はお休みして、宅配業者を通じて野菜セットの通信販売をが主力となっている。

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