管理人プロフィール

管理人 小川 藤一(おがわ とういち)

山形市在住。キャリアコンサルタント(国家資格)としてハローワークはじめ関連団体で15年間、学生や若者を中心に年間2,000人の就職活動の個別相談やセミナー支援を行なう。常に『こころ』『自然』『仲間』の3つを大切に本気に相談者に寄り添って支援してきました。それまでの7つの民間企業で働き、経営者、従業員、お取引先様、お客様それぞれの立場に立った経験が生きています。本人の気持ちが一番です。しかし、人は一人では生きて行けません。そこで培った事が上記3つの環境の大切さです。昨今の未曽有の新型コロナウィルスを契機に、未来志向のもと皆さんともっと自分の人生、楽しくワクワク生きたいという思いで、『やまがたWaku2塾』を開講して、オンラインでも相談やセミナーの発信をしていきます。

経歴

1歳

山形県東根市に長男として生まれる。当時家族は12名。家は自営業。

小学4~6年

それまでは、指を使って数を数えていたのが、4年生から担任になったK先生によって一つの転機。6年では、妹2人のお陰で2票差で対立候補を破り児童会長に。今でも頭が上がらない。

中学1~3年

野球が好きでサークルは野球部と思っていたが、算盤の先生や近所の先輩からの誘いで卓球部へ。同時に陸上のリレーメンバーと走り幅跳びを兼ねる。水泳の平泳ぎの記録はしばらくの間母校の記録として残る。高校受験時は、父が汚職で逮捕され、家も会社も母親の大変さが身に染みた。迷惑をかけられないと頑張って受験。番号が良かった(35番。みごとにごうかく)

高校1~3年

県下一の高校に入学も成績は中の下。但し、体育と英語は大学まで5と優。好きな学科と嫌いな学科がはっきりしている。特に音楽は歌だけで判断。音痴だったので成績は下からNo.2。今思えば学科ではなく、先生との相性だったと思う。
田舎訛りの平凡な高校生活。大雪の日は汽車通勤のため良く休んだ。

大学生

大学では、経営学を専攻。将来家業を継ぐため。合コンの好きなクラスで月数回のペースで行なう。酒は、絶対に飲めないと思ったが、飲める自分にびっくり。サークルは卓球部。ここで今でも40年以上毎年合う仲間との出会いがあった。今の自分があるのは彼らのお陰と感謝。成績はトップクラス。頭が良いのではなく暗記力が今と違って数段良かったから。1回読み書きすると大学ノート1冊は覚えられた。卒業式前日は、お別れ会で窃盗被害に会い、事情聴取を受け、卒業式に警察署から直行(相手は、前科10犯だったと)

企業人:
20代~40代

将来後継ぎを考え、文系にも拘らず建設コンサルタントの会社の入社。社会人としての環境の変化に悪戦苦闘もこの時の経験や知識はその後の自営業や店舗開発の仕事の役に立っている。その後、実家の自営業に戻るも全ての面で力不足で父を助けられずに会社は倒産。ここで、土壇場に来た時の人間の機微を見る。申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちは今でもある。そして、山形市に移動。ここで初めて今でも尊敬するスーパーの社長と対面。話を聴きながら全身に熱い思いが込み上げてくる。この人についていこうと。この社長及び会長のもと、社長室(経営指針・採用関係)、経営企画、店舗開発、店舗運営、商店街活動等を経験しマインドセットの部分、海外研修も含め日本全国の視察研修の中で人的ネットワークを持つことが出来た。ここで、今の気の置けない親友となる人との付き合いも始まる。しかし、社内の環境が変わり、孤独のトップの気持ちが分かるのは自分しかいない。最後までいるのは自分だの思いはあったが、「俺は今何もお前にしてやれない。悪かったな」の言葉を頂き、お互いに涙で別れる(会社はその6年後倒産)。その後、商店街活動で知り合ったレジャーサービス業(映画、スーパー銭湯、ボウリング)の社長にスカウトされ新たなスタートと考え入社。実際前職の社長と比較すると環境も違い、社長と社員の間で楽しく仕事が出来ずに一度数日間精神修行の研修に参加。しかし、社員とのコミュニケーションは取れるようになったが、社長とのギャップが大きく退職を決意。ここで良かった事は、毎朝の商店街の街路掃除、トイレ掃除、当時の仲間と一緒にまだ流行っていなかった今でいうパブリックビューを映画館でサッカーのワールドカップ、日本戦を生中継出来た事。ここでの悩んだ時に、日本型終身雇用制度は終わる。その為の会社と社員を繋ぐ役割をしたいとキャリアカウンセリングの勉強を始める。

就活サポート:
50代~現在

退職後、高校の後輩で人材紹介業を立ち上げたH氏からのキャリアカウンセリングの学びの後押しのお陰で、就職難に対して労使一体で取り組む経営者団体と連合で構成された就職支援機構に採用。事務責任者として当時全国でも珍しい若者に特化した支援を行う。Yaという冊子発行はじめセミナー、大学内の個別相談等今でも行われている若者支援の基礎をつくったと自負。同時に労使双方の考え方を学べた事が後々役に立つ。就活支援が落ち着いたと考え友人の協力で民間に戻ったが、父が急に病気で倒れ、障がいの葉は一人置いておけず、折角誘ってくれた社長に力になれなかったことを詫びて退職。そこで就活関連の友人に声を掛けて頂き、ハローワークで新たな非正規者の就職支援ナビゲーターとして他社受容と傾聴を心掛けて多くの求職者と相談。彼らの多くを世に出すサポートができた。ここでは、他のハローワークと違い民間OB、ハローワークOBの方々と我々が共通認識を持って業務にあたることが出来、人間関係においてとてもいい環境で仕事が出来た。その後、学卒ジョブサポーターとして一般相談も兼ねながら学生個別相談、就活セミナー、新卒求人等を担当。年間2,000人の学生及び若年者を中心とした個別相談を行う。ハローワークでの10年間に及ぶ相談業務を今年(令和2年3月)65歳で退職。個人で『やまがたWaku2塾』を開設。今までの経験と未来志向を考えた就職人生についてオンラインも含めて気軽に参加できる相談、セミナー、求人発信等を考えている。
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