【けちろー知恵袋】なぜ高学歴が優遇されがちなのか
2020/06/21
質問
なぜ高学歴が優遇されがちなのか、最近気づきました。
僕はいわゆる世間一般でいう高学歴大学生です。意識は低い系です
〇〇大学受かったってことは、個人差はあるけど、受験勉強を通してPDCAサイクルを一定程度以上は他人よりうまく回すことができるだろうっていう企業側から見た指標みたいなものなんですね
例外はもちろんありますが、正直大学で出会った人より中高(進学校でない)の友人のほうが人として好きなので、なんで大学のこいつらが勉強できるってだけで社会的評価高いんだろうとかずっと思ってましたが、最近就活で色々調べてて思いました
あなたはどう思いますか?
回答
まず、根底的な共通認識として
戦後から今日までの日本の教育制度が
大学に入るための教育の仕方、構造に
なっているからです。
大学に行けばほぼ勝ち
大企業に就ければ勝ち
その固定概念が根強くあります。
そして企業側からすれば大学卒業=優秀な人材を
採用したいのは当然のことで、
うがった捉え方で言うと、
大学卒業=(優秀な洗脳教育を完了)した人材を
採用することで、
いいように使えて且つ、問題を起こす
リスクも少ないので、企業として安泰。
故に企業の評価が高いのは必然。
(因みにここで言う優秀な人材とは受験勉強などで努力してきた人間という意味)
大企業の評価は中小の評価基準になり、
それすなわち、社会全体の評価になりかわっていく。
そして中高の友人と一緒にいて楽しかったり
心地よかったりするのは、
いい意味で友人らは教育に洗脳されていないから
自分の考え方、個性、信念を持っているから、
人間として魅力的なのです。
(悪い意味では単に怠け者で勉強が出来ないだけ)
上記は外的要因だが、
後はあなた自身の
内的要因も影響しているかも知れない。
例えば、自分より確実に勉強が出来ない友人と一緒にいることで
優越感や安心感を得ている。
或いは自分には出来ない生き方をしている友人への憧れかもしれない。
いづれにせよ、そのギャップが大きいほど
隣の芝生は青く見える。
人間の生き方について悩むのだと思います。
人生は無い物ねだりです。
その友人らから見たらあなたがうらやましいかも知れないし、
その逆もまた然り。
どう付き合うかはあなたが決めれば良い。
しかし、社会全体の見方は
大学主極主義。
大企業主極主義。
これは向こう10年は変わらないだろう(わからないが・・・)
今は経済低迷のおり、
終身雇用制度の崩壊
大企業の倒産
も当たり前になりつつあります。
大学主極主義
大企業主極主義も
近い将来崩壊するかも知れません。
その時代のさなかに生きている
あなただから違和感をひしひしと
感じているのだと思います。
だって一昔前は大企業に入れば
事実上、一生安泰でしたし。
でもこれからは誰にもわからないのです。
中小企業がどんどん淘汰され、
大企業と零細、フリーランスの
二極化になるとささやかれたりもしますが、
予測は出来てもどうなるのか
未来は誰にもわからないのです。
しかし、決して悲観してはいけません。
同時にそれは今までの固定概念を根底から覆す
千載一遇のチャンスでもあります。
とてもいい時代に産まれ、生きたと
胸を張っていたいですね。
追伸.
あくまでも低学歴からの意見ですが!
ケチ学
私は中学三年生の冬にはじめて
「偏差値」という言葉が存在するという事を知りました。
(意味を知ったのは高校三年生の頃です。いや、未だにわからないかも知れません笑)
何故「偏差値」が私の頭の辞書に無かったかを考えましたが、
理由は明快で、
他だ単純に興味が無かったから
です。
クラスの皆が
「俺、偏差値47!」 「私55・・・少しやばいかも」
「隣の○○、76だって!すげえ!」
と会話をしているのを横目に
給食の献立を入念にチェックしていました。
偏差値という謎の数値には興味がありませんでしたが、
カロリー数値には興味がありました。
当時の私は「給食でカロリーをどれだけ摂取できるか?」
そっちの方が100万倍大事だったのです。
今だからわかりますが、
偏差値は高校や大学に行くための点数稼ぎの数字でしか無いからです。
対して給食でのカロリー数値は
かっこいい大人に成長する為に欠かせない
生きるための数字だからです。
ペンギンの餌付けと同じなのです。
どれだけ餌を蓄えるかで生死を分けます。
中学正の私には偏差値よりも大事な数字が
他に他沢あったのです。
それは身長のサイズだったり、
100メートル走のタイムだったり・・・
だから偏差値なんて意味の無い数字を飛び交わし、
ピリピリした空気に変わっていった
受験シーズンのクラスを思い出すと
軽くトラウマです笑
私が授業中、いつものようにギャグで皆を笑わそうとしましたが、
もはやそういう状況ではありませんでした。
決してギャグがつまらないからとかそういう問題じゃなくて、
何かに取り憑かれたかのように、怯えているかのように、
机にしがみついていました。
今考えると、そりゃそうだろ!
って話なのですが、
偏差値30台の私には他人事のようでした。
しかし、薄々感ずいてもいました。
「日本の教育って絶対おかしいだろ」
と。
そして、心の中で叫びました。
(みんな!目を覚ませ!自分の意思はないのか?!)
(勉強をしてるんじゃなくてやらされてるだけだ!)
(いい学校に進学する、それで本当に満足なのか!?夢はないのか?)
そう、私には夢がありました。
「ミュージシャンになる」
漠然とした中二病の夢かも知れませんが、
夢があったから、その異様な光景を
俯瞰して見ることが出来たのかも知れません。
或いは、優越感に浸っていただけなのかも知れません。
でも、それでもいいんです。
中学生の私には十分すぎました。
十年後、夢は叶います。
後悔はしていません。
あの時、夢がなかったら
誰かと同じ人生を辿っていたでしょう。
そしてもう一つ、
その時に私と同じように
社会不適合者だった友とは今でも交流が有り、
後に共同で事業を始めて見たり、
貴重な経験を共有させて貰っています。
真っ当な偏差値人間にならなくて本当に良かったと思います。
社会不適合者は失うモノなど無い。
一度限りの人生で
一度限りの経験を
何度だってチャレンジできるのです。