代表あいさつ

会社の歯車から脱却!
あなたをサポート
マネースクール代表
齋藤朋之
神奈川県横浜市生まれ。
小学生のころからお金が大好きなちょっと変わった少年でした!
 
学校卒業後、会社員になりましたが、「このままサラリーマンでは終わりたくない」と考えていました。
「自分で起業したい」と思っても、実際何をやったらいいのかわからいままモンモンとしていました。

「何かないか」とアンテナを張っていたところ、知人の社長から当時流行っていた「ビデオ販売店」を紹介されました。
その社長に言われるまま、副業で店舗を持ち、お店のオーナーとサラリーマンを両立してきました。
お店は順調に売り上げを伸ばしたのですが、会社を辞める事は考えませんでした。
その理由は、「販売しているものが流行り物」だからです。
永続的に続く業界ではないと思っていました!
まさにその通り、現在では映画はネット配信され、DVDも買わなくなった時代!
しかし、起業して多くの失敗をしたり、初めての事をいろいろと経験させてもらい、自分自身が成長できたと自負しています。
 
その経験を元に、「人の役に立つ仕事」を見つけ、2017年会社員を辞めて、フリーランスに転換。
多くの仲間やメンターに恵まれて、とても楽しい生活に変化する事ができました。

現在、多くの悩まれている「会社員の方や個人事業主の方たち」に副業・起業・経営のアドバイスをしています。

 

経歴

幼少時代

神奈川県横浜市で生まれ、とても元気で明るい幼少期をすごしました。

小学生
 

小学校時代、「将来の夢は?」と聞かれて、私は「八百屋さんになる」と言っていました。
それというのも、近所の八百屋さんによく買い物に行っていたのですが、「すごいな~」と思って見ていました。
今のようにレジはなくて、暗算でお金を計算して、もらったお金をザルにポンポン入れ込んでいく店主。
そんな姿を見ていて、「八百屋って儲かるんだな」と思い込んでいました。
自分もあんな風に計算に強くなり、お金をいっぱいもらう仕事をしたいと子供の浅知恵で考えていました。
もちろん現実はそんな甘くない事を大人になって気づくのですが。

 

中学生
 

中学校では、ブラスバンド部に入り部活動に精を出していました。
しかし、なにより楽しいことが大好きな少年、友人たちと遊びに行くときは平気で部活を休む!
そんなだから上達するわけもなく、下級生に追い抜かれ、益々何かの理由をつけて部活を抜けだしていました。
しかし、そのお陰で友人たちに恵まれて、楽しい学校生活でした。

 

高校生
 

高校生の時はバイトに明け暮れました。
貧乏な家庭ではないのですが、「金が大好き」な私は「自分で稼いで自由に使う」という事を覚えました。
アルバイトでもらったお金は、バイクを買ったり、友達との交際費などで消えていきます。
しかしとても充実した青春時代だったと思います。

 

20歳
 

高校を卒業後、やはり「お金を稼ぎたい」と考え、大学進学ではなく会社員になり、医薬品販売の営業職につきました。
ここでは、社会の仕組みやコミュニケーションなど多くの事を学びました。大した学歴の無い私が、医者や薬局経営者と対等に商売をする事がとても困難で、コミュニケーション力を身に着けようと努力しました。
その甲斐あってか、先輩方にかわいがってもらい、営業成績も営業所トップを取った事もありました。

 

25歳
 

仕事量と給料のバランスに不満を持ち、転職を考えました。
そんな時、お得意先の薬局経営者から声をかけてもらい、転職することにしました。
そこは15店舗ほど薬局を経営していたのですが、店舗を増やす目的と、自社製品を販売して行きたいとの思いで私に声をかけてくれたのです。
この会社では、経理や億のお金を動かす事を教えていただきました。
みんなの頑張りでお店は関東一円に広がり、60店舗まで増えました。
会社が大きくなると、昔のような自由が利かなくなり、規則に縛られて思うように仕事ができなくなってきました。
また、外部からコンサルタントや、会計士などを採用し始めてとても窮屈な会社になってしまいました。
もちろん会社が大きくなれば必要なんでしょうが、社員一丸となって「会社を大きくして自分達の生活をもっとよくしよう」と頑張ってきたのに、変な派閥争いが勃発したり、私の上司たちが次々と退職して行く姿を見て、私も退職する事を決意しました。


 

28歳
 

私はこの会社で経理を覚え、副業としてお店を開業しました。
プロフィールにも書きました「ビデオ販売店」です。
店長とアルバイトを雇い、私はオーナーとして休みの日や夜の空いた時間に店番をしていました。

 

45歳

会社を退職し、個人で会社を立ち上げて、物販や流通業を始めました。
「ビデオ販売店」は時代の流れで実店舗からインターネットに客が流れてしまい、私のお店も閉店してネット通販に切り替えました。
その経歴があったので、次は転職ではなく、自営業を営もうと考えていました。
 

46歳

輸入業も始めて、フィリピンに半移住生活をしました。
フィリピンでは、貧困の差に驚愕しました。
まず、人が多いのに仕事が少ない事。
フィリピンの人は器用で英語が堪能で頭がいいので、海外に出稼ぎに行く人が多いです。
その外貨で成り立っているところがあるので、国内雇用が少ない分、出稼ぎ労働者に頼っている部分が多いように思いました。
現地でボランティア活動も行いましたが、その時決心したことがあります。
この国で必要なのは雇用だと!
輸入業を含め、現地の人たちとビジネスができるよう奮闘しています。



私の使命
 

ある方から「人の役に立つ仕事をしなさい」と教わりました。
「自分が稼ぐのは当たり前、でも人の役に立たない仕事は本当の仕事ではない」と言われた時、頭に雷が落ちたような衝撃を受けました。
それまでは、自分の稼ぎがいくら、給料がいくらと、お金の事ばかり考えていて周りは見えていませんでした。

確かに自分がこうやって生活ができているのは、「人」がかかわってくれていたからだと痛感し、人に恩返しをしたいと考えるようになりました。


 
私にできる事は何かと考えたとき、自分と同じように将来の不安で悩まれている方や、独立起業したいと考えている方をサポートして、目標を持てるようお手伝いする事だと思い「マネースクールプロジェクト」を立ち上げて活動を始めました。
会社の歯車から解放されたい」と願う方々が参加してくれ、日々勉強とアクションに励んでいます。

お気軽に質問して下さい!(^^)!