ビジネス動画を活用したWEB集客、ブランディング、セミナー動画企画などの総合プロデュースをしている。
パソコン教室、ITコンサルティングを20年以上行っており、IT活用が苦手な社長でも結果を出すまで丁寧に、粘り強く支援してもらえると好評を得ている。
20歳の時、東京の新聞社(発行部数650万)で4年間、鉛組版からデジタル組版へ移行するためのマニュアル作りと、アナログ職人気質の編集者へのパソコン操作指導に携わったのち、アパレル企業直営の店舗へ転職し、2年間、店内POPと顧客向けDMの制作にあけくれる。
26歳の時、学習塾のFC本部で営業部長をしている大学の先輩にこわれ、専属のアシスタントとして入社するも、職歴を知った専務の意向で、講師スタッフ派遣管理とFCオーナーへ卸すテキストの在庫管理データベースの構築、管理者となるが、一日中言葉を発することなくPCに向かう毎日に辟易する。
29歳の時、パソコン通信で知り合った、IBMのエンジニアの方が脱サラして横浜市でパソコン教室を開業した際、誘われて、主婦、個人事業主を相手にしたパソコンインストラクターになるものの、超初心者の生徒から支持が得られず、生徒の定着率があまりに低いため、集客チラシ作りと訪問修理、行政主催の講座講師へまわされる。
30歳の時、母が、歩けなくなる可能性もある大きな手術をすることを機に、愛知へ戻る。
パソコンインストラクターの養成学校に1年間通い、FCオーナーのパソコン教室へ教室長として着任する。
競合がひしめき合い、価格競争が激化する中、売上が伸びず、自身を除く全ての教室長が離職する。
ここで自身も退職するのでは、負けたようで悔しいので、オーナーからの「一人で全ての教室を管理する」提案を引き受ける。
各教室20~50代女性スタッフで運営しており、スタッフ間のいざこざや、生徒との相性が合わない等、
人間関係の調整と新規生徒の獲得と新規カリキュラム作成、各教室の訪問監督の毎日で心身ともに疲弊する。
畳みかけるように、オーナーが事業転換をすると言い出し、300名の生徒と14名のスタッフを放り出す。
やむなく全教室引き継ぐが、相変わらずの煩雑さに流され、3年で燃え尽きる。
全教室を解散し、店舗を持たず、事業主中心の訪問・遠隔サポートのみにする。
気がつけば、蓄えを全て放出して700万の借金だけが残る。
「私が死ぬまでサポートお願いね」と言ってくれる事業主さんたちに応えようと、生き残りをかけて、DRMによる集客と顧客維持、毎年の単価アップ、最小限の人員で回せる仕組みを構築。
WEBと動画を利用した、広告集客>パソコン診断>定期訪問メンテナンス成約>顧客フォローの仕組み化に成功する。
ビジネスのステップアップを望み、パソコンサポートを同業者へ委託し、自らの成果の出た方法を体系化し、店舗ビジネスに特化した集客・顧客関係維持の仕組みづくりをプロデュースする活動を開始。
「パソコンアレルギーの私でも、結果が出るまで根気よくサポートしてくれるのがありがたい」と、多くの店舗ビジネスオーナーから圧倒的な支持を得る。
シニアへのパソコン・スマホ操作指導20年の経験から、「100回同じ質問をされても100回笑顔で答える」姿勢が好評である。
「目の前のお客さんと、その先にいる家族を笑顔にしたい」
「お客さんに喜んでもらって、しっかり儲けたい」との
店舗ビジネスオーナーの人知れず孤独な戦いが、ひとつでも多く報われるように、
全身全霊をかけて支援することが私の使命と決めて邁進する日々である。