管理人プロフィール

管理人 エスキジ―ト

岩手でブラジルの国技といわれるカポエイラを始めて早20年。カポエイラでのあだ名はEsquisito(エスキジ―ト:変わった人)

 2003年、当時19になりたてのイナカ丸出しのガキンチョが、「ブレイクダンスがしたい」と思い、岩手のグランドシティ・モリオカのクラブでこわもて兄ちゃんに「ダンスがしたくてきました!」からダンサー&カポエイリスタが始まった。
対人恐怖症な為か知らないヒゲの兄ちゃんとはうまく話せないダメ男がカポエイラを始めて自分のアイデンティティを見つける。

カポエイラはなかなか世の中に知れ渡らずバカにされながらも私の中で神秘的な音楽と楽器、力強い歌声、滑らかで力強い動きに魅了され、ダンスやファッションじゃない泥臭いコミュニケーションであると感じる。

カポエイラはまだまだへなちょこだけどすばらしさを広める活動をしている。

※隣の女性はカポエイラ仲間です。









 

経歴

1歳

岩手県江刺市梁川で2男として誕生。

小学3~6年

活発すぎてよくけがをする。とにかく変わった考えばかりしてて親から変人扱いされる。

中学2年生

勉強ができなくて(英語だけよかった)、好きな事しか頭になく、エロ本ばかり見ていた。
部活はバスケ部で、でも下手で最悪な時代。

高校卒業後

人生の転機はこのあたりから。
社会人になり車を持ち始めてからおしゃれを楽しみ19歳から「みんながやらないことをやろう」と思うようになり、ダンスを独学で始めた。そしてクラブへ行き浸り、ダンサーから踊りを教えてもらいながら、カポエイラに出会う。

21~33歳

盛岡にカポエイラクラスがあり練習生が集まってきたとき、ブラジルから先生を呼んでカポエイラ団体「ナサォン・カポエイラ」という名前の団体が東京八王子と岩手盛岡にできた。
このあたりからカポエイラの深みに入る。

33歳

カポエイラを10年以上続けて、なぜふと、「ブラジルのサルバドールに行きたくなった。」と思い単身でブラジルへ。もちろん英語もポルトガル語もできず、
日本語しかできないまま、しかも飛行機の乗り方もわからない状態で搭乗。ラッキーなことに、成田で隣の席の人がコテコテの大阪の人で「あの、ブラジルいかれます?」から運命の出会い。不安が一気に解けてその人と付きっ切りでダラスまでそしてブラジルでも一緒に会った。

ブラジル話は続き、3週間カポエイラの道場で寝泊まりし、ご飯も先生と一緒。
おしっこのにおいがひどいとこだがフルーツがおいしくてみんな親切。いたるところに教会があり、日本とは違う文化に感動。実はこの年2014年のワールドカップがブラジルという時期で、警察官は町にいず、お店も15時で閉まり、無法状態のまま死者が1日に70人以上出たという。危険な場所を教えてもらい、何が何でも守ってくれた。
初の海外旅行のためなぜかブラジルまで行けて、無事帰って来れたかが不思議。

 

33~37歳

只今グループの名前が「カポエイラ メストレ アラバマ」というグループ名に変わり小さいながら活動している。
さらにブラジルの音楽「サンバヘギ」という音楽も練習し、演奏の場も増やしてる。

37歳、二度目のブラジル。以前よりスムーズに。もう海外は怖くない。

38歳

オンラインの勉強を開始。サイポンというHPと出会う。
自分のできる事を伝えないともったいないと感じ、ホームページを作成。

 
実はこの〇〇公式ブログ、
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