今日は何の日「宮沢賢治、没」
宮沢賢治、没。昭和8年(1933年)
「雨ニモマケヅ
風ニモマケヅ」
宮沢賢治と言えば「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」などの童話が有名ですが、実は、最も日本人に親しまれているのは「雨ニモマケズ」のメモかもしれません。
ここで私がわざわざ「メモ」というのは、この詩はご存知のように、作品として発表されたものではないからです。
このメモは、昭和6年(1931年)11月3日賢治が35才の時、病床において自身の愛用していた手帳に書き留めたものです。
「雨ニモマケズ」のメモの全文
11/3
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾(よく)ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
(昭和6年)11月3日
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲は無く
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
良く見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萓葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないから止めろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏(注:冷害)はおろおろ歩き
皆にでくの棒と呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
(現代文:筆者)
この手帳の主流をなすのは、病苦から自己をいかに救抜するかという模索である。むしろ苦闘といった方がいいような「必死の願い」のこめられたメモが連続する。