今日ほ何の日「貝原益軒、没」
2020/10/05
日本のアリストテレス。
貝原益軒、
没。
貝原益軒、
没。
正徳4年(旧暦8月27日)
貝原益軒、儒学者。没。
貝原益軒は江戸時代の寛永七年(1630)年、福岡に生まれた。
当初、黒田藩に仕えたが、益軒は自分が正しいと思ったことは遠慮せずにやるという態度だったようで、益軒の諫言が気の強い殿様だった藩主の忠之の怒りにふれ、数年間の浪人生活を余儀なくされる。
当初、黒田藩に仕えたが、益軒は自分が正しいと思ったことは遠慮せずにやるという態度だったようで、益軒の諫言が気の強い殿様だった藩主の忠之の怒りにふれ、数年間の浪人生活を余儀なくされる。
この浪人生活の間に、益軒は「民生日用の学」を志すようになった。その後、京都に留学し本草学や朱子学を学んだ。
藩に戻ってからは藩主や藩士に儒書を講義しつつ、「黒田家譜」や「筑前国続風土記」を編纂したり、朝鮮通信使の応対なども行った。
自然科学分野においては「大和本草」を発刊した。花や野菜を自宅で栽培し、その経験に基づいて「花譜、菜譜」を発刊しただけでなく、農学者である宮崎安貞に中国の農書の講義をした。
藩に戻ってからは藩主や藩士に儒書を講義しつつ、「黒田家譜」や「筑前国続風土記」を編纂したり、朝鮮通信使の応対なども行った。
自然科学分野においては「大和本草」を発刊した。花や野菜を自宅で栽培し、その経験に基づいて「花譜、菜譜」を発刊しただけでなく、農学者である宮崎安貞に中国の農書の講義をした。
更に、教訓書「養生訓」「和俗童子訓」を執筆し独自の精神修養法を示した。
こうした彼の著作は膨大なもので、全部で六十部二百七十余巻に及ぶ。
こうした彼の著作は膨大なもので、全部で六十部二百七十余巻に及ぶ。