今日は何の日。冠位十二階・制定
2020/12/05
色で冠位付け
色分けは
十二の冠位
衣染め
冠位十二階
・制定
推古天皇11年(603年)、推古天皇の摂政を務めていた聖徳太子と蘇我馬子が制定した冠位十二階。
大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智という12の冠位が定められました。
名称となった仁・礼・信・義・智は儒教の徳目である五常から取り、徳は五常を合わせたものとして最上位とされたといわれています。
天皇から朝廷に仕える人々へ授けられ、授かった人は絹でできた冠をかぶり、色の違いで階級の差が一目でわかるように工夫がされていました。
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「冠位十二階」制定の目的
『日本書紀』などに詳細な記述がないことから、はっきりとしたことはわかっていませんが、概ね2つの理由があったのではないかと考えられています。
ひとつは、家柄にこだわらずに有能な人間を登用する、あるいは特別な功績をあげた身分の低い人物の働きに報いるためです。
冠位十二階が制定される以前は、代々世襲される姓制度による硬直的な身分制度となっていて、低い姓の人物が高い職に就くことや、低い姓の人に部下として高い姓の人を当てることなどができませんでした。
姓が氏に属する人全員に与えられたのに対し、冠位十二階は冠位が個人に授与される点に特徴があります。
もうひとつ、外交上の必要性です。当時の東アジアでは、欽明天皇4年(581年)に隋が中国を統一し、朝鮮半島への侵略が危惧されていました。
このような国際情勢に対応するため、各国の使節往来が頻繁におこなわれていたのです。
日本でも遣隋使を派遣したり、各国の使節を迎えいれたりしています。
使節が往来する際に、使者の地位の高下や応接する側の地位などは重要事項。
参考動画
チャンネルむっちゃん!
【今日の出来事と人物・用語集】
冠位十二階・制定。推古天皇11年(603年)
聖徳太子(摂政)色で冠位付け
(紫、青、赤、黄、白、黒)
対 中国皇帝、大君家(天皇家)、蘇我馬子・蘇我氏、大臣家・冠(宿禰帽)
冠位十二階・制定。推古天皇11年(603年)
聖徳太子(摂政)色で冠位付け
(紫、青、赤、黄、白、黒)
対 中国皇帝、大君家(天皇家)、蘇我馬子・蘇我氏、大臣家・冠(宿禰帽)
こ竹内式部・没>
1767年(明和4年)宝暦事件、明和事件、予言→100年後・王政復古(1867年12月)、その99年後・復活(1866年12月)
1767年(明和4年)宝暦事件、明和事件、予言→100年後・王政復古(1867年12月)、その99年後・復活(1866年12月)
紫と、青、赤、黄、白。 そして黒 十二に分けて 冠位を付けて