What is Saipon Mania?
サイポンマニアとは?


サイポンの使い方と、ホームページ作成の型とデザインが学べます!

学びを深める最高のキーワード「Curiosity First」

 Curiosity Firstを和訳すると「好奇心第一」です。
  好奇心とは、なぜか集中してしまうこと、夢中になってやってしまうこと、学ぶのが楽しいこと、やってて楽しいこと、俗にゾーンに入っている状態と言えるのかもしれません。
 なので好奇心が高まっている状態こそが、最速最短で知識や技術が自分の財産になると思いませんか?

そもそも「好奇心」って何だろう?

 好奇心を別なことばで表すと「自発性」と定義します。この自発性は過去に誉められた経験値なのかは定かではありませんが、直感、感覚、思いつき?… とにかく本能的に行動してしまってます。また無意識に誰かに伝えていたり、周りを巻き込み流行を生み出す原動力ともなることもしばしばあるでしょう。
 
 そしてこの「好奇心」をつき進めていくと、その分野のプロになったり一流と称される「ワザ」として他者から必要とされたり、お金を稼ぐ能力にもなりますよね。

 ここでちょっと面白かったのが「ワザ」の漢字変換です。当初「ワザ」の漢字を「技」と表記したかったのですが、なぜか「業」の漢字が出てきました。気になって「技と業」の違いを検索してみると、このようにまとめられていました。

いわば特殊能力であり、それ自体はスポーツや頭を使うものなど、それこそ無数にあり様々なものが存在する。修練を積むことによって手に入れることができる。自分の体に覚えさせる動作で、そう簡単には手に入れる事ができない難しいものが多い。
 
技能を持ったものが行う行為、行動そのものや、仕事などに使います。難しい仕事をするための能力が技というのに対し、業はそれを行う仕事自体を業というので、軽業師にも業という漢字が使われているのはそのためです。
 
 まとめると、業は技があってこそ。

 技は訓練や努力を繰り返して手に入れることのできる特殊能力です。その特殊能力をもっている状態で、実際に行動を起こすことによって、業という事が成り立つのだと言います。

 
 
  更にふと思ったこと。「業」を「わざ」と読むと、なんだかポジティブであったり、崇高なイメージが先行します。ですが、「業」を「ごう」と読むと、なんだかネガティブなイメージが先行します。
 
 そもそも、「業(ごう)」とは何だろう?

業(ごう)のフレーミングとリフレーミング

 「業」という漢字には3つの読み方があります。そして面白いことに、読み方で意味が違ってきます。

 
1つ目の読み方「ぎょう」

・対価を得る目的で反復的継続的に行う行為とされ、仕事、職業、産業などを指します。
例/ 商業(しょうぎょう)、副業(ふくぎょう)など。
また、苦労して成し遂げる事柄という意味で、学業(がくぎょう)、卒業(そつぎょう)、偉業(いぎょう)などとも使われます。


2つ目の読み方「わざ」

・技術や技芸を意味します。神業(かみわざ)、仕業(しわざ)、離れ業(はなれわざ)などと使われます。

 
3つ目の読み方「ごう」

・広くは、人として生まれついて、不合理であるとわかっても行ってしまう行為を指します。
例/ 自業自得(じごうじとく)、罪業(ざいごう)、腹(ごうはら)、業(ごう)を煮やすなどです。
  
 
 ここでの「業」の読み方は「ごう」です。
 「業(ごう/カルマ、Karman)という言葉はもともと、人間は逃れようのない行為に囚われているという古代インド思想(ウパニシャッド哲学)の概念です。衆生(人間)は過去に積み重ねてきた行為(業)の膨大な反復によって、これからも同じようなパターンをぐるぐると繰り返す(輪廻)という世界観をなすもので、ポジティブなイメージはありません。

 ですから、欠点や負の部分に思考や意識が向きやすくなります。「業(ごう)」とは一般的に、「あの人も業が深いよなあ」というように、その人の生い立ちや家庭環境などの来歴、自分ではどうしようもできない因縁や持って生まれた煩悩を指します。
 
 
 上記の様にフレーミングされた「業(ごう)」ですが、あえてそのイメージをリフレーミングしてみると、どのような見方ができるでしょうか?
 
 業をリフレーミングしてみると、個性的、その人らしさ、キャラクター、人を引きつける強み、粘り強い、底なしのエネルギーとの単語が思い浮かんできます。
 
 
 そう、見方を変えれば「業」はその人のライフワークとして、ある意味で絶対的な強みになります。周囲には理解できないような執念やこだわりが、実は過去の経験に根ざしていたり、無意識に続いてきたクセや習慣だからこそ、自発性があり、「絶対にやってやる」という強い気持ちや高い適性を持つことがあります。
 
 一見、欠点や負の部分と思い込んでいた点が、場所や環境や見方を変えた瞬間に溢れんばかりの魅力的な強みに変わってくる気がしませんか?
 リフレーミングされていない「業」とは、自分としては過小評価している無駄な情熱と言えるかもしれません。

 言われてないのに、「つい」考えすぎる。「つい」手を動かしてしまう。「つい」やりすぎてしまう。努力の塊だと目に映ってしまう。そう、息をするが如く無意識にやってしまっている「業」をリフレーミングすると「アレテ―(長所・才能)」でありまた、認知科学の観点を持ち出せば、過去の経験に基づいて世界を見るその人なりの型や枠組み、認知パターンである「スキーマ(schema)」のことを指します。だとすれば自分のスキーマを他者に寄せて、お役に立つところまで磨き上げれば、「業」はプロフェッショナルへの最短経路と言えてきます。
 

 「業」とは今まで目を背けてきた、向き合うのを避けてきた自分の来歴や性癖です。そこにこそポジティブに転ずる莫大なエネルギー源、豊饒な鉱脈が眠っています。
 灯台下暗しではありませんが、自分の足元にある「業」を見つめ直すことからはじめてみると、信じられないほど大きな力が湧いてくるかもしれません。人生の棚卸や自分を見つめ直してみる、特に上手くいかなかった経験や、思い出したくもない、向かい合いたくもない過去と向き合ってみることで、今まで気づくことができなかった「強み」が見えてきたら嬉しいですよね。
  
 マイナスにとらえがちな自分の来歴や性癖でる「業」は、ポジティブに転じれば何かを成し遂げる大きなエネルギー源となり得る可能性を秘めているのです。

 

Prototype for One 「ひとりのために」が、みんなのために」

 困っている❝あの人❞を助けるためにつくってみたら…
 「大切なひとりのために」は「みんなのため」になる。
 
 家族、親戚、恋人、友人、ペット、常連さんにお客さんなど、困っている人を助けるためにつくってみたら、実はみんなが欲しがっていたものだった。
 身近な人だから、想いがあるから、付き合いを大切にしたいからこそ、その人のためにひと肌脱ぎたくなってしまいます。また、ペルソナ像が明確なので行動や習慣などの観察がすぐできて、潜在するニーズやその人が抱えている課題も発見しやすいです。また身近な存在なので、トライ&エラーのハードルが低いので改善を繰り返すことが可能です。
 
 
 ひとつの成功事例として「ストラーダ―」があります。2007年の発売以来、1歳半から5歳の子どもをもつ親の間で大ヒットしている、自転車を改造した子ども用の乗り物です。
 
※画像をクリックすると「ストライダー」のサイトに飛びます。
 
 ストライダーは、アメリカの片田舎に住む父親のガレージから生まれた発明品です。自転車に乗るにはまだまだ早かった2歳の息子のために、市販の子ども用自転車のペダルとブレーキをなくし、子どもが足で地面を蹴りながら前へ進めるように改造しました。
 
 ストライダーは、子どもの好奇心を刺激し続けるだけでなく、バランス感覚の向上にも役立ち、いざ自転車に乗る練習を始めても上達速度が上がると言われています。
 
 
 
 大切な人の「悩み」や「欲望」を傾聴しカタチにしてみる。

 よく「想いをカタチに」とのちゃっちコピー文を目にしますが、正にそれです。商品やサービスを企画、提案するときは、まず、身近なひとりの人のために考えてみることからすべては始まると言えるのではないでしょうか。

「学び」「好奇心」「業」の土台にあるもの

 それは「誰かから必要とされたい」との欲求だと仮説立ててます。取り掛かりのはじめとして、確かに自分だけの欲求を満たすがために技術、つまりは「技(わざ)」を磨き上げる時期はあります。でもそれがいつの間にか「業(わざ)」となりて結果的に人から必要とされ、気づけば生業となりお金を生み出すこともあります。
 
 自分の
「業(ごう)」に向き合うのは嫌です。苦痛でしかなかったり自己嫌悪に押しつぶされそうになります。でも、自分の嫌な部分や改善したい点をトライ&エラーを繰り返しながら改善を積み重ねることで、あなただからこそ開発できた商品、サービスが提案できるのだ。
 

大切な目の前の人の悩みを解決する

 つまりはそれって、マーケティングだよね。
・人はどんな悩みをかかえているのか?
・どうすれば解決できるのか?
・悩みを解決する参考として、似たような成功体験はあるのかな?

 等々、まずは自分で調べてみる、調べたら、体験や経験をしたらアウトプットをする。これが学びの王道だよね。この「Saipon Academy」は、僕が学びを深めるのが目的です。

 そしてなぜ「学ぶ」のか?その答えは単純明快です。「
お金を生み出したい」「他者から必要とされ続けたい」の欲望があります。
 僕の「業(ごう)」は、フットワークが軽く気になったものは手あたり次第試してみるクセがあります。そしてフットワークが軽いが故、途中で逃げたしたり、手つかずのまま箪笥の肥やしにする癖があります。
 
 どうすればこの「業(ごう)」が、技(わざ)となりて、業(わざ)へと昇華できるのか?
 いま見えている仮説は「全部吐き出すこと」。吐き出したいものとは、デザインの知識、ホームページの作り方、マーケティング、心理学です。吐き出すことで情報を整理し、頭の中をスッキリさせる。この過程が商品となり、他者から求められるサービスとなり得たら、とても幸せです。