技は訓練や努力を繰り返して手に入れることのできる特殊能力です。その特殊能力をもっている状態で、実際に行動を起こすことによって、業という事が成り立つのだと言います。
・対価を得る目的で反復的継続的に行う行為とされ、仕事、職業、産業などを指します。
例/ 商業(しょうぎょう)、副業(ふくぎょう)など。
また、苦労して成し遂げる事柄という意味で、学業(がくぎょう)、卒業(そつぎょう)、偉業(いぎょう)などとも使われます。
・技術や技芸を意味します。神業(かみわざ)、仕業(しわざ)、離れ業(はなれわざ)などと使われます。
・広くは、人として生まれついて、不合理であるとわかっても行ってしまう行為を指します。
例/ 自業自得(じごうじとく)、罪業(ざいごう)、腹(ごうはら)、業(ごう)を煮やすなどです。
ここでの「業」の読み方は「ごう」です。
「業(ごう/カルマ、Karman)という言葉はもともと、人間は逃れようのない行為に囚われているという古代インド思想(ウパニシャッド哲学)の概念です。衆生(人間)は過去に積み重ねてきた行為(業)の膨大な反復によって、これからも同じようなパターンをぐるぐると繰り返す(輪廻)という世界観をなすもので、ポジティブなイメージはありません。
ですから、欠点や負の部分に思考や意識が向きやすくなります。「業(ごう)」とは一般的に、「あの人も業が深いよなあ」というように、その人の生い立ちや家庭環境などの来歴、自分ではどうしようもできない因縁や持って生まれた煩悩を指します。
上記の様にフレーミングされた「業(ごう)」ですが、あえてそのイメージをリフレーミングしてみると、どのような見方ができるでしょうか?
業をリフレーミングしてみると、個性的、その人らしさ、キャラクター、人を引きつける強み、粘り強い、底なしのエネルギーとの単語が思い浮かんできます。
そう、見方を変えれば「業」はその人のライフワークとして、ある意味で絶対的な強みになります。周囲には理解できないような執念やこだわりが、実は過去の経験に根ざしていたり、無意識に続いてきたクセや習慣だからこそ、自発性があり、「絶対にやってやる」という強い気持ちや高い適性を持つことがあります。
一見、欠点や負の部分と思い込んでいた点が、場所や環境や見方を変えた瞬間に溢れんばかりの魅力的な強みに変わってくる気がしませんか?
リフレーミングされていない「業」とは、自分としては過小評価している無駄な情熱と言えるかもしれません。
言われてないのに、「つい」考えすぎる。「つい」手を動かしてしまう。「つい」やりすぎてしまう。努力の塊だと目に映ってしまう。そう、息をするが如く無意識にやってしまっている「業」をリフレーミングすると「アレテ―(長所・才能)」でありまた、認知科学の観点を持ち出せば、過去の経験に基づいて世界を見るその人なりの型や枠組み、認知パターンである「スキーマ(schema)」のことを指します。だとすれば自分のスキーマを他者に寄せて、お役に立つところまで磨き上げれば、「業」はプロフェッショナルへの最短経路と言えてきます。
「業」とは今まで目を背けてきた、向き合うのを避けてきた自分の来歴や性癖です。そこにこそポジティブに転ずる莫大なエネルギー源、豊饒な鉱脈が眠っています。
灯台下暗しではありませんが、自分の足元にある「業」を見つめ直すことからはじめてみると、信じられないほど大きな力が湧いてくるかもしれません。人生の棚卸や自分を見つめ直してみる、特に上手くいかなかった経験や、思い出したくもない、向かい合いたくもない過去と向き合ってみることで、今まで気づくことができなかった「強み」が見えてきたら嬉しいですよね。
マイナスにとらえがちな自分の来歴や性癖でる「業」は、ポジティブに転じれば何かを成し遂げる大きなエネルギー源となり得る可能性を秘めているのです。