何故PTを目指すのか
先日言及したPT(Parmanent Traveler パーマネント・トラベラー、またはPerpetual Traveler パーペチュアルトラベラーとも)は「永遠の旅行者」という意味で、簡単に言えば根無し草ということになろうか。気の向くまま、短期間の滞在で住む場所を移動していくライフスタイル。私はだいたい3か月毎に住む国を変え、うち1か月は日本に滞在するつもり。日本以外の3か国はその時々で決めようと思う。よほど気に入ればローテーションして回るかもしれないが。
この行動には実は科学的な根拠があって、人間の脳は「多様性や新規性のある移動」を検知すると報酬系を作動させ、喜びや幸福感を生み出すということが分かっている。いわゆる「幸福発生回路」で、実験によって移動距離が長い人間ほど、日々の生活でより高い幸福度を感じている傾向がある、ということが判明しているらしい。(Aaron S. Heller、University of Miami)
私は今日と違う明日、非日常こそが楽しいものだということを何故か随分昔から感じていて、日常というのはある意味暴力である、とすら思っていた。高校生くらいになると、子供の頃からずっと暮らして来ていた東京をとにかく離れて暮らしたくて仕方がなかった。大学卒業後、めでたく北海道で独り立ちしてワンルームマンションで暮らし始めた時は本当に幸福で、毎日嬉しくて楽しくて仕方がなかった。仕事は結構厳しく辛かったが、若かったし初めての自由な独り暮らしで充実していた。それでもやがてその生活が日常となり、結局は6年後職を辞して東京に帰ることになったのだが、実家に帰ることなくアパートを借りて独り暮らしを続けた。
もちろん、人によってはそんな生活は落ち着かなくて疲れる、と言う人もいるだろう。しかし、少なくとも私は、移動と変化を享受出来る自由こそ、自分が一番欲しいものだということに気づいてしまったのである。
まあ結局、残念ながら人生の大半をその自由が得られずに、働き詰めで生きて来てしまったけれど、今こそその想いを遂げる。インターネット、オンラインでのデータのやり取りがここまで発達して来たおかげで、デザインワーク一般、最近は動画データのやり取りでさえ実用的なレベルとなり、私の仕事はもう、どこに居ても出来る時代になった。身体が元気で動くうちはPTとして生きる。
来年か再来年には、滅多に会えない人間になっているはず。ただ秋には懐かしい日本に帰って来ていると思うので、一緒に秋刀魚の塩焼き(世界で一番美味しい料理!)でもつつきながら飲みましょう。笑
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