プロフィール

小学生時代

小学生時代、東京都墨田区立柳島小学校在籍。
小2の時父親が他界。
4人の子供の母子家庭となる。

母親は身を粉にして働き私たちを育ててくれた。
次男で3番目だった私は何不自由なく暮らしていた。
だが、この後、生活が一変する。

父の仕事を引き継いだ母が人に騙され、
連帯保証人になっていたため
全てを取られてしまい、
裕福だった生活からどん底生活へ と真っ逆さまに落ちた。

中、高、大学時代

 とにかく貧しかったが不思議に危機感がなかった。
母親が元気印いっぱいだったからかもしれない。

一方、私は失敗の連続だった。

経済的理由で国公立の学校へ進まなければならないのに
全て失敗してしまったのだ。

中学は国立付属に合格したものの、
公立高校、国立大学、国立大学大学院の
受験とも全て失敗だった。
正に失敗の連続で情けなく、悔しい思いばかりであった。

 そのためとにかく勉強した。
貧しい家庭だったから学費がかからない算段を
しなければならなかったからである。

幸い、私立高校は特待生になり全ての学費は免除。
私立大学は奨学金で卒業することができた。

 大学卒業時、恩師から助手になるよう勧められ、
教授の手伝いと研究、そして学生指導にあたった。

 その後、建築設計の魅力が捨てられず、
助手の立場に見切りをつけて27歳で独立。

一級建築士事務所設立した。

30歳以降

 30歳で結婚し、初めての海外旅行。
約2か月間、ヨーロッパの旅へ出かけた。

予定をたてず、
往復のエアーチケットとユーレイルパスと
わずかな現金を持っての旅であった。
 
モスクワ経由で北欧3国を回り、
フランス、スペイン、スイス、イタリアを
全て汽車の旅で続け、大いに楽しんだ。

思えばこの時の経験がその後の旅の基本となった。

 仕事も順調で多くの人たちにお世話になりながら、
建築設計やランドスケープデザインに励むことができた。

 一方、この頃から先輩(東大大学院建築専攻)に
文章を書くことを教えられ、専門誌に執筆を始める。

雑誌社の編集長にも可愛がられ、
お二人が亡くなるまでお付き合いいただいた。

この頃から文章を書く魅力に取りつかれた。

 ボランティア活動にも力を入れ、
39歳までは八王子青年会議所で活動。
指導力委員長などを歴任した。

この時、講師を牛尾治朗先輩にお願いし、
数回の面談で多くのことを学ぶことができた。

また、青少年委員長として、
姉妹都市である日光東照宮までの約159キロを、
下は小学5年生から最高年齢は72歳までの約50人の市民の隊長として、
徳川家康の墓守をしていた八王子千人同心の足跡をたどる企画を立て、
4泊5日の徒歩の旅を実施した。
「江戸の汗を現代に!歩こう探ろう八王子千人同心と日光往還」が
旗印であった。
苦しかったが楽しい思い出である。

 青年会議所卒業後は、
八王子商工会議所に誘われ、
交通観光部会副部会長として、
交通問題、特に多摩都市モノレール導入の勉強会を
周辺3大学や日本モノレール協会と続けた。

この時、勉強会で知り合った大学教授に請われ
非常勤講師を10年以上続けることとなり、
「多摩地域形成論」を担当した。

ドイツのフライブルク、カールスルーエ、ゲンゲンバッハ、
フランスのストラスブールやアメリカのポートランドの
トランジットモール等の研究に励むことになる。

また、専門学校では環境デザインと建築設計論やゼミを担当した。
若い時に旅に出るクセをつけてほしいと願い、
ゼミ生の卒業記念に
沢木耕太郎の「深夜特急」全巻を一人ずつに送った。
中の数人がこれに啓発されて
海外へ旅したのはうれしい限りであった。


 一方、交通観光部会の恒例の年1回の海外旅行にも力を入れ、
スペイン、タイ、中国、香港、韓国、ハワイ等々、
多くの市民を集めて実施した。

この旅行で役立ったのが
初めてのヨーロッパ旅行での経験であった。
往復は皆さんと一緒だが、行った先では気ままに一人旅を続けた。


続けているうちに、
私の面白い旅に連れて行ってという
仲間が増えてきたのには参ったが・・・。

 サービス情報部会の部会長として、
ユニバーサルデザインのまちづくりや
スマートウエルネスコミュニティ協議会に参加し、
「健康とまちづくり」を進め、
政策委員長としても
八王子のまちづくりに力を入れてきた。

この時、「まちづくり戦略考1、2」を発行し、
東京都や八王子市に「産業交流センター」計画への道標を与えた。


 2019年、
25年以上続けてきた部会長などの役職を退き後輩に今後を託した。

全て辞めるつもりであったがそうもいかず、
八王子商工会議所の議員と
八王子市開発審査会やまちづくり懇談会等の委員、
八王子観光コンベンション協会の理事などは続けることとなり、
MICE委員会副委員長として、
MICE都市八王子づくりに邁進している。