10年ほど鹿屋を離れて27歳でUターン。当時は、仕事もだが、ラグビーや野球、ドラゴンボートやバンド関係など忙しい毎日で明け暮れた。10年経ち、親父が亡くなり、ふと気がついたことは、忙しくしていた?割には、地元のことを知らないまま生きてきた…ということ。
高校時代まではほぼ学校の行き帰りで、帰ってきてからも、人との付き合いはそれなりにしてきたが、この仕事をしていて、地元のことがこんな状態で本当にこの地域のことが書けるのか…、そうした思いが沸々と湧いてきて、まずは校歌にもある高隈山や国見岳を知ること、そして地域の歴史にも触れなければ…と、その後は、これらをライフワークにしようと決めた。
まずは高隈山系にチャレンジ。その後、登山道の整備や古道の復旧、登山ガイドのヘルプなどをしてきた。