おおすみ総合研究所
大隅半島の時局、文化、歴史、自然…


おおすみ春秋

大隅半島のルーツを紐解く 20190525

 日本書紀編纂1300年の年を迎えるに当たりもう一つ。記紀の国生み神話のなかで、古事記では九州の中で筑紫国、豊国、肥国とともに熊曾国が南九州一帯の大国として語られているにも拘わらず、他方でヤマトタケル神話や景行天皇九州征伐神話のなかで、熊襲つまり南九州が大和王権に服従する神話として語られている。

 さらには神武東征では、南九州から神武天皇がを大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話として、吾平山上陵など南九州をルーツとされていること。そうであるにも拘わらず、南九州の熊襲国、クマソが蛮族として扱われていることが、国生み神話を読み解くに当たっての矛盾に似た問題点として沸々と沸き起こるのである。

 それこそ先週書いた、先日届いた本『古事記と日本書紀はトリック小説である』ということを、邪馬台国や卑弥呼の視点からでなく、『熊襲』という視点、それも南九州、大隅半島、肝属川河口から支流にあたるまでのエリアで考えみてはどうか。日本の歴史を神話として語られる中で、史実として重なっていくこと、史実とは違うこと…を、舞台となったその地域の中で、今一度解明していかないと、この疑問は解けない…。
 それも記紀のなかでの解釈でなく、魏志倭人伝などを絡めての解釈でなく、くどくなるようだが、吾平山上陵の存在や象嵌装太刀、古墳群とをもっと歴史の中で位置づけをし、それを日本の歴史の表舞台へと押し上げていくことが、今この地に住む私たちの使命ではないかと思う。大げさだが…。
 
 そのことが、新天皇が御即位され新元号となり、日本書紀編纂1300年という節目の中で、初代天皇にまつわる史跡を多く持ち、初代天皇の御父君、御母君の陵墓を持つ地域で、そのルーツを知り、地域を紐解いていくことに繋がり、それが地域の宝、資源として発信できることとなる。

 さらに、大隅半島の先史、古代の歴史をたどっていくときに重要なのは、中世における肝付氏と禰寝氏存在であり、その中でもずっと気になっているのが、肝衝難波(きもつきのなにわ)の存在。大隅肝属郡の隼人の首長と説明がなされているものもあるが、ちょうど1300年前というころに存在し、続日本紀によると700年に「肝衝難波(きもつきのなにわ)、肥人等を従え、兵を持ちて覓国使・刑部真木等を剽劫す。是に於いて筑志の惣領に勅し、犯に准じて決罰せしむ」とある。
戦国大名としての肝付氏。薩摩掾に任命されて下向した伴兼行の子、行貞。またその子兼貞が大隅国肝属郡の弁済使となり、その子の兼俊の代に郡名を取って肝付を名乗ったとして、その後の歴史が語られている。
しかし、郡名というよりも、この肝衝難波の存在はどうなるのか。

 伴氏が肝付氏を名乗ってからの肝付の歴史が多く残されているが、それ以前に漢字は違うがものの「きもつき」を名乗っていたその歴史を考えてみる。鹿児島が薩摩の国、島津の歴史とともに語られ、鹿児島の歴史は島津の歴史と勘違いするほどだが、それ以前について、これら古墳や吾平山上陵などの存在を照らし合わせ、これに神武東征などの神話を重ねてみると、やはり、大陸から黒潮に乗って来た人たちとの交流や影響、あるいはその人たち自身が歴史を作り、大きく栄えていた時代があり、ただ、敗者の歴史として熊襲として蛮族扱いされ記紀に残され、それが日本の歴史として教科書にも載るようになった。
大和朝廷ができるそのルーツとしての神武東征、南九州が出発点として記され伝えられてきたこと。その大和朝廷が生まれる前後でのこの大隅半島の歴史を考え、もっと遡って今、弥生時代や縄文時代の遺跡が新たに発掘される中で、王子遺跡や他の遺跡の存在、地下式横穴墓の存在を考え、1300年という歴史、それ以前の大隅半島の姿をイメージしてみると、とてもワクワクする。

 ここ数年、こうしたことを繰り返し発信し、大隅学を始めようと言っているが、私自身の問題もあったりで、なかなか進まない。今、このタイミングだとは思うのだが…。

 1300年後の今、古事記と日本書紀のトリックを解明し、大隅半島の歴史を表舞台へ…、独りよがりなのか…。(新)







最近、強く思うこと 20190518

 毎日、多いときは30~40枚届くFAX、同じように届くメール。その中で「『古事記と日本書紀はトリック小説である』ことの証明」、「邪馬台国の謎は〈卑弥呼姉妹〉で解ける!」と題した本を、書評のため必要な方は申込を…とあったので、気になり申し込んだ。

 先週「日本書紀編纂1300年だが…」と書いたばかりだったので、これは読んでみる必要があると思ったからであり、それが昨日届いた。
まだ目次と、気になるところを中心に目を通したばかりで、内容については、あまり詳しく書けないが、新天皇がご即位され、令和の新しい時代を迎えたばかりで、初代神武天皇にまつわる史跡等が多く、その御父、御母君の陵墓に治定されている吾平山上陵のことも書いてあるのではと、とても興味をもってページをめくった。

 思った通り、欠史八代…、古事記や日本書紀において系譜(帝紀)は存在するがその事績(旧辞)が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のこと、あるいはその時代は、現代の歴史学ではこれらの天皇達は実在せず後世になって創作された存在と考える見解…が述べてあり、それはそれで面白く目を通した。
それに加えて、天照大御神の存在まで否定するような記述もあった。ただ、各地域の神社の多くは天照大御神が祀ってあり、日本人の心の拠り所となっていると思うので、それは如何なものかと感じた。

 それはさておき、欠史八代を論じる文献等も多い中、神武天皇の存在は否定されることはほぼない。この本の中でも、九州から神武東征…ということが書いてあり、日本の歴史の中では南九州から奈良へ神武東征が行われた…と理解されているのか。
その南九州とは鹿児島か宮崎、鹿児島でも霧島かこの大隅半島ということになっており、肝属川沿いには、神武天皇にまつわる史跡も多く、吾平山上陵の存在もあって、この地域がもっとそうしたことの情報発信が必要だと思うし、この地域の中でそこを話題にもっとしていくべきだと、この令和のスタートで感じているところであって、こういう文献接すると逆になおさらそんな思いが募る。

 日本神話自体を否定するような論調もあるなかで、だからこそそこを論じたがらない風潮もあるようだが、九州あるいは南九州から神武東征というのは、この文献も含めて認められているところであり、そうした中での吾平山上陵の存在がある。
戦後、天皇もご御行幸されており、肝属川沿いに存在する神武天皇にまつわる史跡、それはそれで地域が発信していかないとならないと最近、強く思うようになっている。

 これら本のように、それが神話として、否定されることもあるのかもしれないが、そうしたことも認めながら、もっと私たちが意識していかないとならないのは、志布志湾沿いに立ち並ぶ古墳や地下式横穴墓の存在、そこから出土した数々の遺物、特に吾平山上陵近くの地下式横穴墓から出土した象嵌装太刀の存在だ。

 百歩譲って、神話を否定する立場に立った場合でも、それとは別個の議論で、この象嵌装太刀や古墳の存在についてこの地域の中でもっと検証していくべきであり、現にこの大隅半島にしっかり存在していて、見に行こうと思えばいつでも観ることができる。だからこそ古墳時代を中心に弥生、もっと遡り縄文時代の大隅半島民は、どういう生活をしていたのか…ということを地域の中でもっと検証していかないといけないと感じている。
それは、こうした本が出版される中で、それに負けないくらいの思いを込めて、主張していかないとならない…、そんなことをつらつら考えながら、この本に接した。

 遺跡の発掘等には、地域を開発していく上で邪魔になる、こういう話をしていると、そうした声に多くぶつかる。
地域の発展のためには、そうした考えももちろん必要だし、全国同じように日本全体が発展していく時代はそういう発想が主流だったかもしれないが、地域独自でその地域を個性を持ちながらしっかり発信していく時代に、もっと違う発想が求められているのではないか。

 今、そういう時代になってきていると思う。大事にしたい地域の宝、資源、もっと日常の中で意識していくことが必要なのか。
昨日も吾平山上陵に出向いて、ガイドの前村さんと話をしていると、鹿児島市内から来たというご夫婦が来られ、熱心に説明をしておられた。もっとこの地域の人たちが、もっと身近に感じて欲しい…、ちょっと寂しい思いをしている…。(新)





日本書紀編纂1300年だが… 20190511


 この年代になると、自分の今後の人生をどうするか、少しずつ考えるようになる。
60歳になってからそれなりに、何歳まで生きられるか分からないので、その後5年単位でもできることを決めようと思っているが、この大きく変わり揺れ動く時代に、いったん決めたことにも気持ちが揺れてしまう。

 ただ、易不易ではないが、変えていいことと変えてはいけないこと、それらは自分の生き方として決めることなのだろうが、この年になると若いときのように動けないので、自ずとやろうとすることが狭くなってくる。
それも社会的なことと、個人的に人間的に足りないことなど考えていくと、自分自身をもっと変えていかないといけないという思いと、変えてはいけない大事なものにもっと集中すべきなどの思いが交錯する。

 そうした中で、新天皇が即位され新元号が始まり、その様子が報道される中で、ライフワークとしての自分の今後を改めて考えてみた。
特に神武天皇にまつわる口伝や史跡などをこれまで訪ねたときに思ったこと、またこの地域の古墳や象嵌装太刀などの遺物を重ね合わせてみると、古事記や日本書紀が神話として伝えられ、史実ではないと言われることとは別に、この大隅地方の古墳時代や弥生時代をもっと地元で発信していかなければ…という思いが募る。
新天皇即位の日には、吾平山上陵を訪ねたが、小伊勢と言われ凛とした参道も日頃はひっそりとしているのに、この日は大勢が訪れていた。
初代神武天皇の御父、御母君の陵として、改めてその歴史を踏みしめて歩いてみた。

 神話に関しては、様々な説や考え方があり、それを信じるか否かは、その人それぞれだが、720年編纂の「日本書紀」と、927年に完成した「延喜式」には、吾平山上陵の記述があり、今は宮内庁により天津日高彦波瀲武??草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の陵に治定されている。
2012年には古事記編纂1300年として、古事記にまつわるという各地域は、それぞれ話題にして催しが行われ、私もそのころからなるべく吾平山上陵を訪れるようにしている。
それは、この大隅半島においての先史から古代の歴史を知り、訪ね、学んでいくと、発信すべきものがたくさんありもったいないと感じるからだ。

 この時代、さまざまな情報が流れ溢れているので、そっちに目が向いてしまうが、もっと地域の中で足下を見て、地域の資源として大事にしたいと思う。
古事記編纂1300年はそれなりに話題になったが、吾平山上陵が記してある日本書紀は、来年が編纂1300年となる。東京オリンピックの年なので、そこに話題が集中しているが、吾平山上陵があるマチとして、もっと地域の中で話題になって欲しい…と思う。

 この地域の歴史を調べていくと、天皇にまつわることも含め神道に興味を持つようになったが、それは八百万の神にあるように、田の神や水神、山の神など生活の中にそれぞれの神が存在し、特にこの地域は、高隈山系や国見山系など、古くから山岳信仰が盛んな地域でもあった。

 そこに踏み込んでいくと、次は修行を行う密教などにも興味がわいてくるが、自分の今後の生き様も含めて、特に自然の中で自分を見つめ直すと、無我や無常、空(くう)などと仏法にまで及んでくる。

 そこまでくるとちょっといき過ぎ…なので、ちゃんと足下にある吾平山上陵をもっと見つめ直して、これにその近くで発見された象嵌装太刀と地下式横穴墓、古墳などとの結びつきを自分なりに調べ、発信していきたい。令和の始まり、日本書紀編纂1300年で…。(新)

雑  草

政治のダイナミクスを感じたい 20190520

 沖縄、奄美が梅雨入りしたという。暑さ寒さが、だんだんこれまでとは違って繰り返してきている感じがするので、個人的にもバタバタしていると、えっもうそんな時期なのかと改めて季節を感じる。

 バタバタするというのは別な視点からも、季節というより消費増税が10月にあることを考えると、導入まで半年を切った段階で、軽減税率も含めて本当にちゃんと準備ができているのか、皆も意識が高まっているのかとても気になる。
平成元年(1989年)に3%で導入されてから、同9年4月に5%、同26年4月に8%、そして29年4月に10%の予定が1年半延期になり、それがもう半年を切った。
 
 政府はこれまで長い間、「景気は緩やかに回復している」との公式見解を維持してきて、内閣府も、昨年12月には2012年12月を起点とする景気回復の長さが、高度経済成長期の「いざなぎ景気」を超えたと判定。
また、政府は今年1月には、月例経済報告で、景気の総括判断を「緩やかに回復している」と据え置き、景気回復の期間について「戦後最長となった可能性がある」と指摘していた。

 それが、今年2月の景気動向指数は、下方への局面変化を示している…とした。さらに3月分の景気動向指数は、基調判断について、その「下方への局面変化」から「悪化」に引き下げた。
 
 これまでの景気拡大の発表については、巷間でのインタビューなどの報道をみていて、実感がないという声も多かったが、これら指数は、景気が後退している可能性がより高いことを示しており、「悪化」の判断は2013年1月以来で6年2ヶ月ぶり、中国経済の減速、中国向け輸出が鈍り、国内企業の生産や出荷が落ち込んでいることが主な原因…と説明された。
そして、2018年10~12月期の四半期GDP成長率は前期比名目0・4%、実質0・5%、2018暦年の年次GDP成長率は、前期比名目0・7%、実質0・8%と発表されていて、今朝(20日)発表の2019年1~3月期の四半期GDPは、前期比0・5%増となった。

 実際、民間の経済研究所などの年頭の経済見通しによると、昨年は減速が明確となった日本経済、今年のどこかで景気後退に向かう可能性が高い…と予測。
今年1月で2002年から2007年まで続いた「いざなみ景気」を抜き、戦後最長の景気となったと見られそうだが、昨年中の実質GDP成長率は、1~3月が前期比年率△1・3%、7~9月が△2・5%とマイナス成長になった。豪雨や地震等の自然災害が大きく影響しているが、それでも予想以上に明確な景気減速になったことは否定できない…としていた。
巷間の声が、現実になってきたということか。

 それは、昨年の日本景気下支えの役割を果たしたのは設備投資で、日銀短観の昨年度設備投資計画・全規模全産業は10・4%の高い伸びで、大企業のみを対象とする日本政策投資銀行調査では、なんと21・6%増だったという。
ただ、大企業の景気が中小企業にまで落ちてくるトリクルダウン、中央から5年から10年後に地方へ影響が及ぶとも言われてきたが、今は人口減少等により、地方と中央とはそのものさしが別個のものへとなりつつあるのか。
そうした中での消費増税。

 これも間近になってきた参院選、そして衆参ダブル選挙も取り沙汰され、参院選前哨戦とされた衆院大阪12区、沖縄3区の補欠選挙は自民党の2敗となったことも含めて、この景気動向、四半期GDPの結果と絡め、さらには中国経済の減速に加え、米中貿易戦争の影響が日本経済にもじわじわと忍び寄ってくることを考えると、その一つひとつが難しい判断になり、私たちの生活にも影響を与え、それが消費増税にも及んでくる。

 この導入前半年を過ぎたというのに、一時は軽減税率など大きな話題になっていたが、そうしたことが余り聞こえてこないのは、消費増税延期を参院選、あるいは衆院解散で問い、加えて安倍総理が執着している憲法改正についても国民の信を問うための解散に傾いていくのか、政局を含めて複雑に絡み合っている。
この国はどの方向へ向かおうとしているのか、この状態では国民にとってとても分かりづらい。政治家にとってもその分析が難しい現状なのか…ということを考えると、政治はますます混迷、一つ判断を間違えると、私たちに大きく降り掛かってくるのか。

 ここに来て、菅義偉官房長官は、野党が安倍晋三内閣への不信任案を出せば、安倍首相が返す刀で衆院を解散する可能性があるとの認識を示した。

 季節の変わり目、政治の潮目で、地方に住む私たちもどうした選択をしなければならないのか。もっと地域の中で政治の議論を…、行政の延長、その仕組の中の議論でなく、新しい時代の方向性を示せるような政治のダイナミクスを地方でも感じたい。(米永)



 

この地域は大丈夫か 20190513

 統一地方選で選挙のあった議会など、その後議長が決められたり、新たな一歩が進められている。前回に続いていだがNHKスペシャル「崖っぷち!?わが町の議会」を観ての感想。

 沖縄では基地問題で揺れ、特に辺野古沖への基地移設埋め立てで、選挙や県民投票では、移設反対の世論が出ているにも拘わらず、国は強引に推し進めている…という格好になっている。

 そうした事も含めて、沖縄の若者は「勝手にラジオ議会」を開き、若者の意見を伝えようとしたり、行政や議会がミサイル基地建設で賛成したことに対して、印象的だったのが、国が決めたことだからと、それに追従したり、国が決めたことをただ進めていくことは「思考停止の状態」になってやしないかという旨の発言をしていたことだ。

 これまでこの欄で、国が進めようとしていることに対して、国益が議論される一方で、地方にも「地方益」があるはずで、今後は国と地方がぶつかり合うことが増えてくるのではないか。地方は地方で独自に議論をしていかなければならないケースが増えてくる、などと訴えてきた。

 それは、例えば鹿屋市議会も、すべてがそういう訳ではないが、そうした側面があるのではないかと感じることがある。全国どこでもあることかもしれないが、その地域選出の国会議員が国の要職や大臣、党の要職に就いている場合、得てしてそういう傾向にあるのだろうか。
もちろん、そうした環境がその地方にとってプラスになる場合も多いだろうが、「思考停止」とまでは言わずとも、地方議会の古参議員や有力議員がそうした環境を背景に影響を与え、決定の結果は明確で分かりやすいが、決定のプロセスが分かりにくく、どのような議論がなされてそうした結論が出たのか…ケースによっては、一部にはいいのかもしれないが、「地方益」を損なう結果になってしまうのでは、と疑問に思うときもあるからだ。

 地方自治は行政と議会が両輪となって進められる…はずだが、議会が行政の両輪となって動いている…と錯覚するほどだ。

 このNHKスペシャルでは「4月に行われた統一地方選挙。平均投票率は過去最低…。『政治には興味ない』なんて言ってるあなた!地方議会では暮らしに直結する大事な議論が行われてるって知ってました?でも、議員の不祥事が相次いでいるほか、都市部でも「なり手不足」が深刻化。存続さえ危ぶまれる危機的な状況に。NHKは全国3万2千人余りの全地方議員を対象に初の大規模アンケートを実施。地方議会のいまを徹底検証し「身近な民主主義」を考えます…と番組を紹介している。
特に初の大規模アンケートを見てみると、びっくり仰天するような内容もあった。

 地方自治体の仕組みは、市民に代わり行政チェックをしたり、市民の利便性のために提案をしていくのが議員であり議会。
指摘されているように、地方議会の役割に対して様々な意見、疑義が出され、議員になり手も減少してきている。特に、議会が行政の追認機関とも言われる中で、今度は市民、有権者が議会をチェックしていくことが求められていくということになりやしないか。追認できない内容もあるのではないか、そこに目を向けていかないと自分たちが困ることになる。

 沖縄では、その土地特有の問題、課題があるからなのだろうが、20代の若者が政治に対して意見を述べ、参加しようとする風潮があるようだ。

 それでは、今私たちが住んでいるこのマチではどうなのか。若者どころか、大人も選挙が終われば、そこで接点がまるで消滅するかのようだ。他人事のように。
市民だけでなく、民間団体においても政治力を発揮して、地域を動かしていたときもあり、そうした地域もあるようだが、そうした機運が薄れてきているのか。

 経済を優先に考えるべきなのはもちろんだが、これから先「身近な民主主義」が機能していかない地域は廃れていく傾向にある、そんな時代がきそうな気配だ。この地域は大丈夫か。(米永)







新しい時代に何を引き継ぐか… 
20190501

 平成が終わり、令和がスタート。個人的に平成を振り返ってみた。小中高と鹿屋で育ち、大学が関西、社会人で関東に合わせ10年過ごした時代がほぼ昭和、鹿屋に帰ってきてから数年で平成の時代となり、Uターンしてからの生活を振り返ることが平成を振り返ることであり、私にとっては個人的に激動の30年となった。

 仕事としては、新聞の仕事もだが、他にもいろいろ経験させてもらった。親父が元気なときは、親父がどんな思いをしていたかは、この歳になって分かるような気がするが、そういうことお構いなしに本当にいろんな体験をさせてもらった。
もちろん、そのツケはあとに必ず来るものだが…。

 個人的には、昭和はイケイケドンドン的に、その余波もあり、平成に入ってからもその調子が少し続いたが、父親が亡くなってからというもの、いっぺんにいろんなことが起こった。

 と同時に、インターネットが急激に世の中の生活を変え、携帯、スマホの普及のスピードは、個々の生活もだが、情報産業を大きく変化させることになり、昭和の時代を考えると業界にとっても大きな違いをヒシヒシと感じているところ。
社会に目を向けると、地方に住む私たちは、地域経済的なことは、それはそれで方向性を見いだせることが出来るかもしれない…という気はするが、少子高齢で人口減少という環境が、その需給、出入バランスを大きく崩し、しかも格差社会も相まって、地方からその影響が激しくなる。

 地方創生で地域が頑張ればというものの、その隙間を埋めるのは、地方に行けば行くほど難しくなるのか。
これに消費増税が実施されるとすると、平成29年度に年金や医療、介護費用など社会保障費が120兆円、これが2025年140兆円、2040年190兆円と激増していく見通しとされ、小手先でない制度自体を変えていくことをしていかないと、そのバランスは広がっていくばかり。そのしわ寄せは弱者に降りかかることになる。

 平成の時代はどうだった…、令和の時代に期待することなどが報道で流される。のっけから暗いことを言いたくはないが、これが現実なのか。

 社会保障費増を対GDP比で考えると、そこまでバランスは悪くならないという論調もあるし、欧州主要国より実質の社会保障費は小さいから、そこまで目くじらを立てる必要はないとも言われたりする。

 しかし、教育や雇用など国民のナショナルミニマム(最低限度の生活)の保障の充実を見ると、とても日本はそこへ及ばない。年金や医療、介護費用で140兆円、190兆円と増えていく現実は、今の制度のままでは、教育や雇用をも欧州のように担保し、セーフティネットとして整備していくことは不可能に近く、そうすると消費増税20%などの議論になってしまう。新自由主義、市場主義的ベースでの今の制度の延長で欧州主要国と比較するのは、それこそルール違反だろう。
そこは、ベーシックインカムとまでは言わないが、欧州諸国のように雇用で労働組合の関与や保険制度を補完する扶助制度、完全失業者と部分的失業者などの制度。

 教育制度でも、自由で多様な学校スタイルとフレキシブルなライフコースを可能にする教育システム。企業が職業学校の学費を負担するなど職業訓練と民間とが密接に関わっている制度などの議論をし、それが現実になるような方向性が示されないと、今の現状からは抜け出せないのか。

 国が決めないのなら地方が考えていく、そんな形にはなりにくい。特に地方独自の問題を自らが議論するような土壌や環境になく、先日のNHKスペシャル「崖っぷち!?わが町の議会」で、「ところがいま、行政側の提案をほとんどチェックせず通してしまう『なれ合い議会』や、本当にまじめに取り組んでいるの?と思いたくなる議員の不祥事が相次いでいます」と指摘され、行なった初めての大規模アンケート回答からは「驚くべき声も…」など、「最も身近な民主主義」に問題が投げかけられている。

 自分たちのおじいちゃん、おばあちゃん世代からお金を騙し取る詐欺事件に、ほとんど罪の意識なく道具として若者が関わっている姿を見ると悲しくなり、心が痛む。

 これに加えて、今度は自分たちが手足となり殺してでも奪い取るという犯罪が増えていくような気がして、今度は末恐ろしくなる。

 このままの状態で国民、住民の負担ばかりが増えていくとなると、その傾向に拍車がかかりそうだ。日本の四季折々の文化を、次の世代に引き継ぐという思いが込められた「令和」。何を次の世代に引き継いでいく結果となるのか…。
あるいは、新時代の創造に向け、挑戦を令和に求める声も多いという。そんな令和であって欲しい…。(米永)



 
単なる「理念法」でなく… 20190422

 統一地方選の後半戦、垂水市議選、大崎・東串良町議選の投開票があり、垂水市議選は初の女性議員、東串良では女性新人議員が誕生した。

 相次いで無投票当選の選挙が続く中、地方議会議員に占める女性の割合は、都道府県議会で10・1%、市区議会で14・9%、町村議会で9・9%と低い状況であり、1788ある全国の地方議会のうち約2割にあたる349の市町村議会、地方の町村議会になると3割以上で女性議員が1人もいない状況だという。

 今の地方議会を見ていて、地方に行けば行くほど若年層の議員も少なく、議会によっては質問事項もだぶったりで偏っている感もあり、若者や女性の独自の視点での論戦をもっと聞きたいと感じていた。
女性議員を世界各国の議会で見てみると、その占める割合が増え続けるなか、193ヶ国のうち日本は165位で、先進国の中でも最低水準。

 そうした中での昨年制定された「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律・候補者男女均等法」は、政治分野における女性の参画拡大は、政治に多様な民意を反映させる観点から極めて重要で「民主主義社会では、男女が政治的意思決定過程に積極的に参画し共に責任を担うとともに、多様な意思が政治や社会の政策・方針決定に公平・公正に反映され、均等に利益を享受すること」が必要であって、政治分野における男女共同参画のためのさらなる取組が重要…としている。
そして、国及び地方公共団体は、政治分野における男女共同参画の推進に関して必要な施策を策定し、これを実施するよう努めることとされており、具体的には、実態の調査及び情報の収集等、啓発活動、環境の整備並びに人材の育成等を行うことが定められ、政党などの政治団体は、政治分野における男女共同参画の推進に関し、所属する男女のそれぞれの公職の候補者の数について目標を定める等、自主的に取り組むよう努めること…とされている。

 女性の選挙への関心が高まっていけばいいが、単なる「理念法」に過ぎず、実効性に乏しいという厳しい声もあるようだ。頭でっかちでなく国はもっと地方の現実を知るべきだ。
現実の社会、生活を見てみると、これまで民とともに政治がリードして担ってきた経済や産業振興など、もちろん今でも課題はあるが、これからの大きな課題は、社会保障、福祉や医療、教育とともに環境問題があり、もっと地方の中でも議論を進めていかなければならない。

 というより、地方や地域特有の課題がそれぞれの自治体で存在し、そこに真正面から取り組んでいくためには、若者や女性の視点が不可欠であり、その必要に迫られているのが現状なのだろう。
政治や選挙を男女共同参画という観念的な視点から見るというよりも、現実の生活の中から具体的に掘り起こしていく作業が結果的に女性議員が活躍する場を広げることになるのか。

 それには前々回書いたように「議員の育児・介護休暇の規定の明文化」「託児所や授乳室がある議会」などを、もっと現実的、具体的な目線で、国や自治体がもっと推し進めていくことなのか。
一昨年、熊本市議会の緒方夕佳議員が、生後7カ月の長男を連れて議場入りしたことが大きな話題となった。規則からすると「まかりならん」ということになり「会社なら会議に赤ん坊を連れてく社員はいないし、小売業なら赤ん坊を抱えて売り場に立てない。議会に赤ん坊連れてくなんて非常識」という批判が出された。
緒方市議は妊娠が判明した昨年から議会事務局に相談してきたが、前向きな回答が得られず強行したという。
世間では、議場に赤ちゃんを連れてということにかなり批判的だったが、事前に届出をした場合、なんらかの方法で解決されるよう議論があったのだろうか。

 男女共同参画ということは、私が記者になったときから30年来言われ続けてきているが、これは女性の問題と言うよりも、男性側の意識の問題だとずっと思っている。

 熊本市議会始め、他自治体の議会も「託児所や授乳室がある議会」ということに関して、どれほど理解を示すことができるのだろうか。だからこそ女性議員が少ないのか…現実、男性だけの町村議会も3割ということを考えると、意識はまだ高まらないのだろう…。

 ただ、今回の統一地方選、女性の立候補が増えてきていると聞いた。これは自治体や政党というよりも、個人的に女性としての危機感のようなものがあるのではと思う。そうした人たちがもっとどんどん増えて欲しいと思う。それには有権者、地域住民の意識の変化も大事、というよりそこが鍵なのか…。  (米永)



 
無投票当選と投票率低下と 20190408

 県議選が終わった。最近は議員のなり手が少なく無投票当選も多く、県議会でも9選挙区が無投票。大隅地区4選挙区でも2選挙区と寂しい。

 鹿屋市・垂水市区は激しい選挙戦となったが、決起大会や出陣式などでは新人津崎氏の勢いを感じ、大化けするか、上滑りするか、最後まで前者の形相と陣営も踏んでいたようだが、涙を飲んだ。

 無投票当選の流れもだが、今回、投票率もワーストを記録、投票率も、その勢いに水を差したようだ。
昨今の選挙で議員のなり手がいないのは、市町村合併や選挙区合区があり、合併前と比べると議員数が大きく減り、また合区により当落ラインが上昇など、挑戦するハードルが高くなっている。

 報酬の低さもその要因とされているが、年4回の議会の中で、どちらかというとそれは現職議員の声が強く、有権者やこれから議員になりたいという人たちにとって、もっと違う要因、それは、選挙期間を除いて議員活動が実際、一般市民からほとんど見えにくい、市民生活とかけ離れた活動になっているのでは、ということにあるのではないか。投票率低下も含めて。
地方議会の傍聴に行っても、記者かほぼ特定の少数市民。仕事柄、いろんな所に出向くが、面白そうな事業やこれは勉強になるということについても、議員と出くわすくことはそんなに多くはない。

 なかには、こんなところに顔を出しているというケースもあるがそれは稀で、市民にとっても、同じように映っているのではないか。そういう議員ばかりではないが、市民の目からすると、利益誘導型で特定の団体や個人の代弁者だったり、議員活動というよりも日頃から選挙活動ばかり…と指摘されるような議員もいるなど、加えて今回、いろいろ回ってみても、4年に一度「選挙っとっばかいやっでやなあ」という声も聞いたりし、距離感があるのだろうか。

 また今回、18歳選挙権の初の県議選でもあった。社会の担い手であるという意識を持ち、主体的に政治にかかわる若者が増えて欲しいとの願いが込められてのことだが、若い人たちに今の政治は、余計分かりにくいのだろう。政治家としての顔が市民に見えず、返って投票率を下げる結果となってやしないか。

 今の政治、国政に関してみると、小選挙区制の利点が活かされず、1強政治が政治のダイナミクスを損ない、市民からは数の力、権力による偏った政治と映ってなってやしないか。地方政治に関しても、1強の流れに乗り活動する議員が増えれば増えるほど、関わった人たちにはいいのかもしれないが、一般市民から見えにくい状況を作り、流れを硬直化させてしまい両者に壁のような、溝のようなものが出来てやしないか。

 また18歳選挙権に加えて、昨年政治分野における男女共同参画推進法が施行。
 男女の候補者の数が、できる限り「均等」になるよう政党などに努力義務を課した法律による初の統一地方選。
そこは市民目線からすると、政党などに努力…ではなく、個々の考えでもっと出やすい環境を作ることが必要なのか。法の趣旨が現実なところで活かされないどころか、女性の目線からすると、政党?ありきではないのではないか。もっと現実的な生活目線、「家庭生活との両立が難しい」「周囲の理解を得づらい」「議員の育児・介護休暇の規定が未だ明文化されていない」「託児所や授乳室がある議会はほとんどない」というもっと身近なことだ。

 さらに、総務省の研究会は、こうした現状をもとに報告書をまとめ、小規模の市町村を対象に、新たな議会のあり方を提案した。ひとつは「集中専門型」、もうひとつは「多数参画型」だという。この欄では詳しく説明できないが、本当に地方の現場に足を運んでの提案なのか、政治分野における男女共同参画推進法と同様、こんなことでと言ったら失礼だが、地方の現場がわかっていないのではないか。

 これでは、政治に関心を持つどころか、なおさら溝を深めてしまう結果となりそうだ。国は本当の地方の姿を見ていないのではないか。最近、つくづく思うこと。
ただ救いなのは、今、鹿屋市の女性議員は4人、南大隅町では前回女性の3議員が誕生。今度の垂水市と東串良町の議員選挙で新たに3人の女性が立候補するという。

 長く選挙というものを見てきたが、やはり選挙は蓋を開けてみないと分からない。

 総務省のように頭でっかちの提案でなく、現実的に、議員の育児・介護休暇や議会に託児所や授乳室を作る法案提出や提案をして欲しい。まずは市町村議会への女性の進出で無投票選挙区をなくす流れを作る。そうした法案を国が出さないのなら各自治体で条例を作れば…と思うが、こちらのほうがもっともっと難しいのかもしれない…。(米永)


 
選挙の構図と、みんなの代表と 20190401

県議会議員選挙がスタートした。特に鹿屋市・垂水市区は、各陣営でこれまでとは違う動きがあるようで、それぞれ影響をし合い、その様子を牽制しながら選挙序盤から激しい戦いに突入している。

それは、鹿屋市と垂水市が合区になったのが前々回の2011年選挙で、そのときは定数4に、自民現職の吉永(旧鹿屋市区)、堀之内(旧垂水市区)の2人、そして自民現職山田、無所属櫛下の後継という形で大久保、前野が新人として出馬。この他、前回トップ当選だった郷原が無所属、共産の柴立、無所属の栗栖という新人5人、計7人が立候補し熾烈な戦いを繰り広げた。

前回は、現職の吉永、堀之内、大久保、前野に前々回次点だった新人の郷原が自民公認として挑み、自民公認に関しては、自民党各支部の推薦という形で、平成合併の旧町を絡めたいつもとは違うパターンで結局4候補が自民公認となった結果、雪辱を期した郷原が大きく票を伸ばした。

今回も前回と同じく自民4、無所属1の5人が定数5を争うが、その中身が若干変化しているようだ。
無所属の前野氏は、経歴に連合大隅地域協議長とあるように組合関係の組織票が固く、過去も2回も1万票前後の得票は大きく崩れることがないのだろう。

加えて、有権者の選挙に対する意識は年々低くなり、投票率が低下。前回も50%を切るという中で、有権者数と総得票数からすると、5候補が争うだいたいの当落ラインが見えてくる。

そうなると自民4候補が3議席を争うことになるのではという構図からして、前々回無所属で次点から前回自民公認の郷原が2位にかなり水をあけトップ当選し、自民古参議員が押し出されるように落選。
今回の選挙も数と党籍等を考えると同じようだが、当初から自民4同士で競い合うという構図が、合区になってからの鹿屋市、垂水市区での有権者、支持団体にも変化を起こしているようだ。

しかも1月に行われた三つ巴の垂水市長選では、当初は一騎打ちの形相だったが告示2週間前の年末に前回出馬の新人候補が出たこともあって、選挙構図がガラリと変わった。それに伴うしこりも残っての県議選になっているということも言われ、鹿屋、垂水モンローという構図が以前と違って、かなり崩れているようだ。

鹿屋市内でも、旗合戦の模様を呈しているが、垂水市でも、これまでになかった鹿屋市の候補のノボリ旗が立ち並んでいて、地域有力者の関連会社の場所までも立っているという。そうなると一部自民同士で牽制し合うということにもなり、混沌となっているみたいだ。

さて、今回は嫌にノボリ旗が並んでいる選挙だなと、表面上は思うかもしれないが、地域的なことや所属も含めて、これまでとは違うことが、表向きも底辺でも渦巻いている。特に垂水地区は選挙のたびに二分され激しい選挙となり、それがその後の行政運営にも影響を与えている感がある。鹿屋垂水が合区になってから、それが1つにまとまっていたが、ここに来てそこが崩れているのが現状か。

支持団体や後援会組織としての活動は大事だが、一部有力者が選挙にかなりな影響力を持ち、忖度ではないが、そういうところが見え隠れし有権者からもそういう声が聞こえてくるとなると、さらに地域を二分する結果となるし、選挙や政治に興ざめしてしまうのか。

今回の党の公認等も含め、新たな選挙の流れ、それが県民のため、いい形で県政に向かっていくことを望みたい。
総務省のHPには、「選挙の意義」の題で、まず最初に「みんなの代表」として「選挙によって選ばれた代表者は、国民や住民の代表者となります。したがって、その代表者が職務を行うに当たっては、一部の代表としてではなく、すべての国民や住民のために政治を行うことになります」とある。

今回の選挙、その「みんなの代表」を歪める結果となりやしないか…、長く選挙を見ていると、選挙の結果以前に、何か民主主義の前提を歪める何かがありそう、そんなふうに感じてしまう。そういうことがあればあるほど、政治や選挙に目が向かなくなり、過半数を割る投票率に拍車が掛かるのか。それを乗り越えて若い人や女性が政治や選挙に目を向けていかないと、「一部の代表でなく」という言葉は総務省のHPから当分なくならない。

新しい元号名がこの1日に決まった。新しい元号とともに、こうしたことにこそ、新しい時代を迎えて欲しいものだ。(文中敬称略)(米永)


 
抽象的でない、総花的でもない… 20190325

県議選告示が4日後と迫った。大隅半島4選挙区は、2選挙区が無投票となる公算が大きく、一方鹿屋市・垂水市区では、すでに大きく動き出し、選対の動きや鍵を握る支持団体や支援者の動きがどうだ…などの情報は、情報の取り方によっても違うが、日に日に変わっているようで、それだけ動きが激しくなっているのだろう。

一昔、二昔前の選挙は、建設関係など一定の支持団体や組織票がありある程度かっちりしていたり、加えて党や派閥的な動きである程度の票を読むことができた感がある。今でも、そうしたこともあるが、人口減少に加え、投票率が数段低下していることもあり、票のパイ自体がだいぶ狭くなっている。

と同時に、今国会でも、否定はされているが、忖度という日本人の気質が悪い意味、行政で意思決定がなされ、政治の流れとなり論戦にならない国会。
しかも国民生活の大事なところが欠落、あるいは国民の知らないところで決められる様子を見ていると、政治に対してもいいイメージは湧かない。(…
続きは、メルマガ申し込みを…)
経済政策と復興政策と 20190311

今日、11日は東日本大震災から8年目の日、その復興の様子がテレビや新聞で報道されている。防潮堤や嵩上げ区画整理、鉄道、ラグビー競技用などのインフラ復旧や整備が進められている。
その裏で今でも約5万2千人が避難生活を送り、プレハブの仮設住宅でも約3千人が暮らしているが、仮設住宅の提供は、岩手、宮城両県は被災から8年を過ぎるこの3月末で終了する。福島県も東京電力福島第一原発が立地する双葉、大熊両町住民への提供を除き打ち切る。

仮設入居者数のピークは、被災から1年後の2012年3月の11万6565人。19年1月では3418人と3%にまで減ったものの、提供打ち切りが迫ってなお残された人たちは病気や体力の衰えなどのため、そもそも引っ越し作業が難しい実態もある。高齢者ら弱者の生活支援はどうなるのだろうか。
そして原発事故からの廃炉作業。溶融核燃料(デブリ)とみられる堆積物の取り出しは遅々として進まず、敷地に並ぶ汚染水を浄化した処理水を貯蔵する約1000基のタンク群。加えてシートに覆われた除染ごみが10万ヶ所以上残ったままという現状。

大震災があって、日本のエネルギー政策は大きく舵を切るものと思っていた。南国鹿児島では太陽光エネルギーの設置が進んでいるが、国は、原発のコストが低いことを理由にベースロード電源としている。そして海外への輸出を推進しているが、それも思うように進んでいないのが現状の中、こうした事故が起こった結果、廃炉にもこれだけ時間と費用がかかり、約5万2千人の避難生活者の中、福島では東電福島第1原発事故の影響でなお約3万2600人が県外で避難生活を送っている。(…
続きは、メルマガ申し込みを…)

大隅点描

温暖化の中の冷温帯植物 20190426
 
3月、4月と今年の日中の気温が異常に高く感じられる中、高隈山の山頂付近に生えるツクシアケボノツツジ(岳ツツジ)が4月20日現在に至っても満開とならず、御岳.小箆柄岳では、平均2分咲きであった。日中は高温でありながら、山地の夜は低温と寒暖差が激しく開花を遅らせていると考えられる。

現状では高隈山の御岳、小箆柄岳のアケボノツツジは25日から27日頃が見頃となる。
一方で、4月下旬から5月上旬が見頃となるタカクマミツバツツジ、キリシマミツバツツジは毎年のように定点観察を続けている。標本木を見ても花芽は1個もなく、今年の開花は期待出来ないが、登山道から離れた谷筋の林間のミツバツツジは開花が期待出来る。寒暖差の影響を受けないためと考えられる。

今年を含め、ここ数年の異常気象は地球温暖化の関連性として心配される。
温暖化の上昇は九州山地に生えるブナ、ミズナラ、アケボノツツジなどの冷温帯性植物が環境に適応出来なくなり、花を付けないということは、弱体化していずれ絶滅へ向かうことになる。

先日の19日、宮崎県日南市の小松山の植物調査に出かけたところ、山肌が山桜で染まり満開だった。目を疑ったが、1ヶ月遅れの山桜は見たことなく、植物が急変な温暖化に適応出来なくなっていると感じた。
写真は、御岳右斜面に生えるアケボノツツジを他の木に登って撮影。後景に妻岳、二子岳を入れて、岳ツツジの名にふさわしい風景とした。
この日、御岳登山口には20台前後の駐車があり、多くの登山者で賑わった。
undefined
テコテン山にツガ分布
 
正月2日に登った岸良の北岳テコテン山(743㍍)に肝属山地には分布生育しないはずの針葉樹のツガ(マツ科)を確認した。
山頂直下で神柴に用いるサカキを採取していた時、思わぬ植物が目に飛び込んできた。
ツガは屋久島を南限とし、鹿児島県本土では霧島山、大口布計、高隈山とわずかに分布生育する……(…続きは、メルマガ申し込みを…写真あり…)

おおすみ春秋

ライダーの大隅ゴールデンルート…?  20190330

前回から続きの内容だが、佐多岬がグランドオープンになり、バイクで出掛けた。結構すれ違うバイクもいて、僕の場合はツーリングではないが、多くのライダーがピースサインを出してくれる。本土最南端を目指す仲間と思ってくれるのだろう。駐車場に着いてナンバーを見てみると、岡崎、袖ヶ浦、なにわ、福岡、下関などいろいろ。気になって自動車のナンバーも見ているが、鹿児島や宮崎など近辺も多く、やはりライダーとして最南端を目指して全国から集まるのだろうと、思わず下関からのライダーに声を掛けた。
普段は近辺を走るが、年に1~2回、一泊してツーリングするらしく、前泊は枕崎、そして宮崎方面へ走って帰るという。50代男性か。
(…続きは、メルマガ申し込みを…)
ロケットと山上陵

前回、稲尾と国見山系のことを書いたら、読者でそれを読んでというわけでもなく、前々から高屋山上陵跡を案内してと頼まれていた人から、イプシロン4号の打ち上げを国見平で観てから高屋山上陵への道順を教えてと連絡があった。
最近少し運動不足だったということもあり快諾。門扉のある国見平の国交省レーダー入口付近から歩いて中に入り、途中イプシロンの打ち上げをカメラに収め、山陵祠まで歩いた、往復約1時間。
ここで少し解説。
神代三山陵としての吾平山上陵は知られているが、明治7年までは、神代三山陵の一つ高屋山上陵は、この国見山頂にあった。国見山頂は、国交省のレーダーがあるピークが888㍍、高屋山陵祠のあるピークが886㍍とされており、10分前後で行き来できる……(…続きは、メルマガ申し込みを…)